シャンパン
私はこの話を彼に持ちかけた。彼も同僚として気にかけていると云っていた。君の落ち込み方はそれこそ見ていられない。夜の街で食事をし少しお酒でも嗜めば、君の損ねた機嫌も元に戻ることになる。私の言葉が伝えた通りに彼は上手く誘ってくれた。オフィスは定時を迎え各々が帰路についた。私たちもオフィスからロビーに向かい、彼が歓楽街に向かう為のタクシーをアプリで捕まえてくれた。
私はタクシーがすぐに来るとは思わずに驚いてしまった。君は最初に乗り込みその後に彼が、そして私がタクシーに乗ったのは最後だった。私は車内でスプリングコートのシワを気にした。君もシワは気になるのか、君のスーツのシワにも目配りを始めた。私は云った。
「私の安物のコートにシワが…参ってしまいます」
君は優しそうにタクシーの中で笑い、繁華街までの道程を歓談を踏まえて楽しんでいた。私は夜遊びはしない女性だけど、彼は大人の遊び方を知っていた。彼は飲食店に予約は入れない。それだけ遊べる飲食店を知っていた。彼の語り口ではそれが粋と云うものだ―、と気さくに笑って応えた。
彼はいきなり酒場に向かった。それはBARと呼ばれる盛り場だった。私は驚いて君の顔を覗ったが、君も驚いている表情をしていた。私は食事のつもりで君を誘ったが、彼とすれば最初から飲み会のつもりだったのか。彼はやはり店の馴染みで、左手を軽く挙げてカウンターについた。その方が粋なのか。彼はバーテンダーに軽い会話を挟んで云った。
「シングルモルトのウイスキーを」
君は少し悩んだあとで云った。
「スコッチの良いものを」
それで私はどうすれは…私は困ってしまい、メニューをずっと眺めてしまっていた。彼は気を利かせて云ってくれた。
「シャンパンかスパークリングワインはどうだろう。女性でも飲みやすいと思うよ」
私は迷うことなくシャンパンと応じていた。君はフルーツのオードブルを、粋のある語りを残してオーダーし、ウイスキーをロックで嗜み、いつもと違う語り口で仕事の話を交わしていた。
私はシャンパン。素晴らしい口当たり―、そして強めの酸味が利いていた。この更に円やかな味わい。ウイスキーをロックで飲むなんて信じられない、私は頭の中で繰り返した。ただ苦味のするだけのアルコールが、何故か美味しいと口にする男の多いこと。私は黙って大人しく飲むことにしたが、君は二杯目のウイスキーをまたロックで頼み、お酒に任せて段々と饒舌に語り始めた。
彼は話しに相槌を打っていたが、君の話しは愚痴めいた語り口になっていく。彼は困ってしまっていた。