第8話
翌朝、森の外れで野営の支度をしていると、風に混じって何かの気配を感じた。
静かな緑の中に、ざわりとした違和感が漂う。
「フィーネ、伏せて」
即座に彼女の肩を押して、倒れ込む。
その瞬間、矢が頭上をかすめ、木の幹に突き刺さった。
「……囲まれてる」
森の中から、数人の法衣をまとった人影が現れた。
白と金の刺繍が施されたその装束は、見慣れぬものでありながら、どこか威圧感があった。
彼らの足取りは揃いすぎていた。まるで軍隊のような統率。
視線には一切の揺らぎもなく、感情すら宿していない。
「教会の執行者だ」
フィーネが呟いた。
「“黒き癒し”の異端者、神崎瑛人……あなたを保護します」
先頭の男が、無表情に告げた。
その声は、丁寧でありながらも冷たかった。まるで命令文のように、疑問も慈悲もない。
「保護? それはつまり拘束だろう」
俺の問いかけにも、男の態度は微塵も揺るがなかった。
「神の教えに背く力を、世に放つわけにはいきません」
「あなたの力は、秩序を乱します。癒しは神にのみ許された奇跡。
それを他者が行うことは、異端であり、冒涜です」
言葉の一つ一つが、機械的で、まるで人間らしさを欠いていた。
背後に控えた者たちも、同じ装束に身を包み、すでに武器を構えている。
祈りも説得もない。ただ命令と制圧。
“保護”とは名ばかりの排除だ。
このまま連れていかれたら、二度と自由に戻れない──本能がそう告げていた。
俺は、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、口を開いた。
「逃げるぞ」
フィーネの手を取り、別の獣道へと走り出す。
森を抜け、茂みを越え、息が切れるまで走った。
背後からは矢の音や追手の気配が追いすがっていたが、必死に振り切った。
やっと足を止めた時、胸の中にこみ上げてきたのは、ただの恐怖じゃなかった。
「くそっ……なんで……俺が……」
震える手を握りしめる。
「俺は……俺はただ……」
頭に浮かぶのは、ミレイの笑顔だった。
弱々しい声で「ありがとう」と言ってくれた、あの子の目。
自分の“癒し”が、誰かの痛みを確かに消した。
苦しんでいた人が、安心して眠れた。
それだけで──十分だったのに。
「誰かを……助けたかったんだよ」
俺の声は震えていた。
「俺には……それしかできない。誰かが泣いてたら、黙って見てられない。
もし手を差し伸べて、少しでも楽になるなら……そのための力だって思いたかった」
そのとき、ふと自分に問いかけるような言葉が、口を突いて出た。
「……癒しって、なんなんだろうな」
フィーネは隣で肩を並べて座り、少し黙ってから言った。
「教会はね、“癒し”を“管理”してる。
彼らにとって、あんたみたいに無償で癒せる存在は、都合が悪いのよ」
「……でも、ミレイの笑顔を見た時、俺……この力が間違ってるなんて思えなかった」
風が、木々を揺らした。
「だったら、信じなさい。あんたが信じなきゃ、この世界に“本当の癒し”なんて届かない」
フィーネのその言葉に、俺は静かに頷いた。
俺の癒しは、呪いかもしれない。
けれど──それで救われた人が、確かにいた。
教会がどう言おうと、俺の中に生まれた確信は、もう揺らがなかった。