第7話
その日、俺たちは朝から歩き続けていた。
森の中を抜ける細い獣道。葉のざわめきと小鳥の声が耳に心地よい。
けれど、隣を歩くフィーネの足取りはどこか重かった。
沈黙が続く中、不意にフィーネが立ち止まり、ポーチの水筒を口に運んだ。
その仕草に合わせて、彼女の猫耳が微かに揺れる。
「……ミレイが笑ってるの、久しぶりだった」
静かな声だった。
俺は歩みを止めて、その横顔を見つめる。
「そうなんだ」
「うん。あの子、小さい頃からずっと病弱で……母さんが亡くなった時も、泣きもせず、ずっと布団の中で震えてた」
フィーネは、木の幹にもたれ、目を閉じた。
「父さんは、村でも一番真面目だった。でも教会の薬代で、家はいつも苦しくて。夜遅くまで森で働いて……あの人、笑わなくなった」
彼女の声には、懐かしさと痛みが入り混じっていた。
「……それでも、ミレイのために、あたしは何かできるって思ってた。たとえ“呪い”って言われても、体温を分けてやったり、夜中に泣きながら祈ったり……」
足元の枝を踏み砕く音が響いた。
「でも、何も変わらなかった。誰も信じてくれなかった。癒しなんて、この村には“存在しない”って……」
彼女は自分の尻尾をそっと掴んだ。
どこか寂しげに。
「それでも、ミレイだけは言ってくれた。“お姉ちゃんの手、あったかい”って。……たぶん、あの子、全部分かってたんだと思う」
言葉の隙間に、感情が滲んでいた。
俺は一歩、フィーネに近づく。
「だから、あんたがミレイを救った時……」
彼女は一瞬言葉を止め、俯いた。
「ちょっと、悔しかった。……ずるいって、思った」
「……」
「ずっと見てきたのに、祈ってきたのに、何もできなかった私が、たった数日で来た人間に……大切な人を救われた」
唇を噛む彼女の指が、わずかに震えていた。
「それでも──」
フィーネは顔を上げ、まっすぐに俺を見た。
「ありがとう。あんたのおかげで、ミレイが笑ってくれた。……それだけで、救われた気がした」
その目に浮かんだ光を、俺は忘れない。
「……俺の癒しが届いたのは、たぶん、フィーネがずっとミレイのそばにいてくれたからだよ」
そう告げると、彼女の猫耳がぴくりと動いた。
照れくさそうに顔をそらしながらも、尻尾の先が小さく揺れている。
「……ばか」
その一言が、どこか優しくて、俺は少しだけ笑った。
森の風が、静かに吹き抜ける。
誰かを想う心は、傷つくこともある。
でも、そこにある優しさは、本物だった。