第21章
夜が明け始めていた。
森の合間から淡い光が差し込み、木々の葉を照らしている。
火はすでに消え、白い煙がかすかに立ち上っていた。
葵は木の根元に静かに座り、俺は少し離れた場所で腰を下ろしていた。
会話はなかった。
けれど、不思議とその沈黙は居心地が悪くなかった。
鳥のさえずりが、ようやく世界が動き出したことを知らせていた。
俺は、ぽつりと声を発した。
「……これから、どうするんだ?」
葵は少しだけ顔を上げた。
長いまつげの奥で、その瞳がゆっくりと揺れた。
「分からない……でも、もう、ひとりじゃないって思えるだけで……少し、怖くなくなった」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるように、静かに響いた。
俺は葵を見つめた。
何もかもが変わってしまったように見えたけれど、変わっていなかった。
葵の声も、仕草も、あの頃と同じだった。
「……俺、さ」
ゆっくりと、言葉を探すように呟く。
「たぶん、あの時から……ずっと、葵のことが、好きだった」
葵は驚いたように、こちらを見た。
そして、小さく、唇を噛んだ。
その目に、涙が浮かんでいた。
「……私も……ずっと、好きだったよ……」
声が震えていた。
泣き声のようでもあった。
──葵の脳裏に、過去の記憶がよみがえる。
中学三年の春。
初めて、瑛人の笑顔に触れたとき。
消しゴムを拾ってくれたあの瞬間から、ずっと心が惹かれていた。
さりげなく優しくて、無理に踏み込んでこない。
でも、いつもそばにいてくれた。
気がついたら、毎日が楽しみになっていた。
瑛人のことを考えるだけで、心があたたかくなった。
けれど、それはある日、突然終わりを告げた。
真柴悠翔。
彼に呼び出され、言われた言葉。
「神崎と話すな。もし逆らえば、お前の父親の仕事がどうなるか分かってるな?」
心臓が凍るような思いだった。
父は真柴の家の会社に勤めていた。
逆らえば、本当に何かされる。
誰にも言えなかった。
瑛人にも。
ただ、冷たく突き放すしか、方法がなかった。
それが、どれほど苦しかったか。
毎晩泣いた。
ずっと後悔していた。
伝えたかった言葉は、喉の奥で何度も渦を巻いて消えた。
だから今、こうして言葉にできたことが──
「……本当に……嬉しいんだ……」
葵の声は、震えていた。
その瞬間、何かがふっとほどけた気がした。
痛みも、後悔も、すべてを抱えたままで。
それでも、心の中にあたたかい火が灯った。
言葉はそれだけだった。
でも、それで十分だった。
ただひとつの言葉が、俺たちを繋ぎなおしてくれた。
新しい朝が、ゆっくりと始まっていた。




