第19章
夜の山道を歩いていた。
月もなく、木々の影が深く落ちる中、俺はただ、靴音を響かせていた。
どこへ向かうという目的はなかった。
ただ、人のいない場所へ、人の言葉が届かない静寂の中へと、無意識に足が進んでいた。
そんなときだった。
枯れ枝を踏んだときのような、かすかな音。
すぐ近くの茂みから、わずかなうめき声が聞こえた。
俺は足を止めた。
音のする方に近づくと、月のない闇の中でも、わかる影があった。
──少女が倒れていた。
長い黒髪。
制服のような服。
手には擦り傷、唇は青白く、息も浅い。
「……葵……?」
口から漏れた名前。
心臓が跳ねた。
信じられなかった。
でも、その顔は──間違えようがなかった。
あの日、俺の隣にいた少女。
いつも笑ってくれて、俺を見てくれて、
けれど、ある日突然──拒絶された。
「もう、話しかけないで」
あの冷たい言葉が、今でも胸に刺さっている。
親友だったはずの真柴と、いつの間にか付き合っていた彼女。
俺が好きだった彼女。
彼女も、たぶん、俺を……
けれど、何も言えず、奪われた。
気づけば周囲からも孤立し、彼女も背を向けた。
その記憶が、胸の奥を焼いた。
呼吸が浅くなるほどに、苦しい。
なのに──俺の手は、勝手に動いていた。
無意識に、葵の肩を抱き起こし、額に触れる。
黒い光が、ふわりと浮かんだ。
この光を使うことに、迷いはなかった。
過去の痛みも、裏切りも、
いまは、ただ彼女の命がここにあるかどうか、それだけだった。
やがて、葵の呼吸が落ち着き、顔に微かな色が戻ってきた。
「……ん……」
小さな声。
瞼がゆっくりと開かれた。
「……えいと、くん……?」
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
この声を、何度夢で聞いたことだろう。
あの頃の想いが、怒りとともに蘇る。
許せない気持ちと、どうしようもない懐かしさが混じり合い、心が熱くなる。
「どうして……こんな場所に……」
問いかける俺の声は、震えていた。
葵は焦点の合わない目でしばらく俺を見ていたが、やがて、微かに、笑った。
「見つけてくれて……よかった……」
その言葉が、俺の胸をまた締め付けた。
涙が、にじんでいた。
こんなに寒い夜なのに、心が少しだけ、あたたかくなった気がした。
それが、苦しくてたまらなかった。




