エピローグ 空を、埋めたあとに
羽田空港、第1ターミナル。夜の21時すぎ、人の流れは緩やかになり、ロビーには静けさが戻りつつあった。
ベンチに腰を下ろしたまま、あやはしばらく動けずにいた。疲労がすべての感覚をぼかしている。スマホを取り出し、無意識のうちにJALアプリを開く。──でも、画面に変化はなかった。FOPは、出発前と同じ数字のまま。「反映まで2日ほどかかる場合があります」という注意書きだけが表示されている。
「ああ、そうだった」
自分で調べて知っていたことなのに、その空白のままの画面が、思いのほか心に響いた。達成の通知も、サファイアのアイコンも、まだそこにはない。あるのは、10便分の搭乗履歴と、2日間を費やした現実だけ。
終わった。その実感だけが、胸の奥に静かに沈んでいた。
滑走路の向こうに、次の離陸機のライトがゆっくりと動き出す。かつてなら、あの光を見るたびに「自分もまた飛びたい」と思った。でも今は──何も感じなかった。
「もう、いいかな」
誰にも聞かせるつもりのない、独り言。それが、あやにとってのゴールの言葉だった。
スマホをバッグに戻し、立ち上がる。出口へ向かう足取りは、静かで、ゆっくりとしたものだった。
それから数日後、アプリの画面にようやく青の文字が浮かび上がった。
「JGCサファイア達成、おめでとうございます」
その瞬間すら、どこか他人事のようだった。空港を転々としたあの週末の疲労だけが、まだ体に残っている。
青のカードは、数週間後にポストに届いた。ビロードの箱に入ったそのカードは、きらきらと光っていた。だけど、あやは一度もそれを財布に入れることはなかった。棚の奥にそっとしまって、それっきり。
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翌年。旅行に行こうと思えば、いつでも行けた。でも、あやは一度もJALに乗らなかった。乗りたい理由も、乗る意味も、思いつかなかった。
ただひとつ、あの週末を思い出すとき、胸に浮かぶのは、石垣の風と、札幌の朝の静けさと、そして空港で見上げた空の白さだった。
【完】