1.羨望
みなさんは『運命の番』をご存知だろうか。
この世界には男女の他にアルファ、ベータ、オメガという三種類の第二の性が存在する。世界人口の約八割がベータであると言われているこの世の中において、数の少ないアルファやオメガは希少とされていた。そんなアルファとオメガの間のみに発生する特別な関係を『番』というのだが、その中でも特に遺伝子的な相性が非常に良く、本能的または運命的に惹かれ合う関係性を『運命の番』というらしい。
もはや御伽噺とさえ言われているそれを、僕はずっと信じていた。
――いや大人になった今でも、僕は信じている。
僕の名前は姫野瑠衣。
アルファ家系に生まれ、人の上に立つような人間となるように育てられた生粋のアルファである。
僕には歳の離れた優秀な兄が二人いる。二人とも容姿端麗、文武両道、さらには人柄も家柄も良く、流石は優秀なアルファと言ったところだ。家柄に関しては僕も同じだが、その他に関してで言えば僕は兄達よりも大分劣っている。同じ親から産まれた同じアルファではあるけれど、どう見ても僕は一族の中で一番の劣等種だった。
しかしそんな僕ではあるが、家族の中ではとても可愛がられて育った。歳が離れているせいなのかも知れない。両親は久々の子どもということで浮かれきっていたし、兄達に至っては十以上も歳が離れている弟に対して嫉妬したり、鬱陶しいと思こともなく僕を存分に甘やかしていた。きっと自分たちが厳しくされていた分、僕に同じ思いをさせたくないとどろどろに甘やかしてくれていたのだろう。
その結果、僕のように好き勝手に生きる人間が出来上がったのは言うまでもない。まあ正直アルファらしく抜きん出て優秀な両親や兄達に引け目や劣等感を抱いているせいで自分に自信がない、アルファらしくないアルファが出来上がったとも言える。
大きな会社を幾つも経営する両親とその後継と補佐の兄達。僕は三男だから両親が経営する企業に関わることもなく、関わらなければならないという柵もない。だから僕は自分の好きな研究をしたいという理由だけで家族とは全く関係のない場所でしがない研究員になった。
「はぁ……あとひと月、か」
あとひと月で僕は二十六歳を迎える。
今まで気づかれていなかったこと自体が驚きだったのだが、最近僕の人生において恋愛の『れ』の字も見当たらないことに家族がようやく気づき始めた。もうとっくの昔に知られていると思っていたのだが、どうやら恥ずかしがって家に連れてこないだけかと思われていたらしい。ごめんなさい、僕は兄達とは違ってモテないだけなんです。
これは家族も知らないことなんだけど、僕は実はこの歳になるまで恋人は愚か恋愛経験すらも皆無の童貞だ。好きってなあに?状態なのである。容姿は多分醜悪、ではないと思う。家族はみんな僕のことを可愛いだとか綺麗だとか言ってくれるけれど、それは身内同士での話だ。
――とは言っても、自分の容姿に全く興味がない僕にとっては美醜なんてどうでも良いことなんだけど。
今の僕にとって大事なことはただ一つ、自分の好きな研究を好きな時に好きなだけするということだけである。
正直それ以外はどうでもいい――ある一つを除いては。
その一つとは、幼い頃お祖母様が教えてくださった『運命の番』についてである。
運命の番とは本能的かつ運命的に魂が惹かれ合うとされる特別な相手のことで、普通の番とは全く違う。数の少ないアルファよりもさらに希少種であるオメガと番えること自体がもはや奇跡に近いのに、さらに運命の番ともなればきっと天文学的確率だろう。
御伽噺とも言われているその運命の番だが、僕はそれが現実にあることだと知っている。母方のお祖母様は親戚の中で唯一のオメガ性であるが、彼女がお祖父様と結ばれた理由というのがこの運命の番に関係していたのだ。
それを聞いてからの僕は大好きな研究の合間に運命の番についての文献を漁ったりしているのだが、どれも同じような内容ばかりで本当に知りたいことはまだ見つかっていない。あとどれくらい探せばいいのかもわからない。けれど僕にはまだ時間はあるのだから、どれだけ時間が掛かってもいいと思っていた。
「はあぁ……」
三男という立場だからか、今まで兄達のようにお見合いの話や結婚の話が僕に来ることはなかった。だが僕に恋愛の『れ』の字も見当たらないことに家族が気がついたとあれば、僕にお見合いや結婚の話がきてもおかしくないかもしれない。もしそうなれば今までのように自由に行動が出来なくなるだろうし、そもそも運命の番について調べることすらも叶わなくなってしまうだろう。
僕にはもう時間がない。余りあるほどの時間があると思っていたのに、それが有限のものだったなんて今の今まで知らなかった。
「こんなことならお祖母様にもっとお話を聞いておけばよかった」
オメガ性であった僕の大好きな祖母は、去年川向こうへと旅立ってしまった。もっともっといろんなことを聞いておけばよかったと悔やんでももう遅い。他の親戚や家族に比べれば沢山話をした方だが、それでも足りなかったなと今では思う。
運命の番に関係する資料や文献はそれほど多くない。それらでさえ夢物語、非現実のものとして扱われているものがほとんどであり、参考になりそうなものはほとんどなかった。
けれどそんな芳しくない状況だからこそ余計に研究者魂が湧くというものだ。僕は寝る間も惜しんで大好きな研究に没頭しつつ、その傍らで片っ端から調べて行った。
「うーん……見つからないなぁ……」
「そんなに唸ってどうしたんだい?」
「あっ、佐藤さん」
資料室でうんうん唸りながらあれでもないこれでもないと資料を選り好みしていると、同じ研究員の先輩である佐藤さんが向かいの資料棚からひょっこりと顔を出した。
「何かお探しなら手伝うよ?」
「あ、いえ、佐藤さんのお手を煩わせるほどのことでは……あっ、そういえば佐藤さんもアルファでしたよね?」
「え?うん、そうだけど……急にどうしたんだい?」
ぺたりぺたりと底の薄いサンダルが床を叩く音と共に近くまで歩いて来た佐藤さんを見上げながらそう確認すると、彼は少し困惑した様子で小さく頷いた。
後輩想いの気の良い佐藤さんなら僕の話を揶揄わずに聞いてくれるかもしれない。そんな淡い期待を胸に俺は口を開いた。
「佐藤さんは……運命の番って知ってますか?」
今まで出会ってきたアルファの数は、家族や親戚を除けば片手の指で足りるほどだ。それほどまでに少なく貴重なアルファの一人であり、僕と同じように研究に人生を捧げるような変わり者である彼ならばもしかすると笑わずに聞いてくれるかもと思い、投げかけた質問だった。案の定佐藤さんは揶揄ったり馬鹿にすることはなく、寧ろ真剣な表情になる。口元に手を添える仕草は何かを考えているようだった。
「聞いたことは何度か……確か本能的かつ運命的に魂が惹かれ合う特別な相手、だっけ。それがどうかしたの?」
「……実は僕、その運命の番を探してるんです。この世のどこかにいるかもしれない、僕の特別な相手を」
馬鹿でしょうと自嘲をこぼせば、佐藤さんは目を瞬かせた後、そっと目を閉じてゆっくりと首を横に振った。
「……馬鹿だとは思わないよ。あれは御伽話っていう人も多いけれど……きっと、本当の話だから」
「え……?」
眉尻を下げ、苦笑混じりに発せられた彼の言葉に俺は目を丸くする。今まで御伽話だ、出鱈目だなんて笑われて馬鹿にされて、誰も信じてくれなかった。けれど彼は今確かに『本当の話』だと言った。
「アルファの従姉が先月結婚したんだけどね、その相手が運命の番だって言うんだ。相手はオメガでね、一目見た瞬間……いや、見る前からそこにいる人が自分の番だってお互いに思ったんだって。最初はそんな夢物語って思ってたんだけど、あの二人を見ていると……多分本当なんだろうなって」
運命の番でなくともこの世の中には多くの番がいる。アルファとオメガが特別な関係を結ぶことで番になれるのだからそれは当たり前なんだろうけれど、その中には確かに祖母以外にも運命のような番が存在しているようで嬉しかった。
従姉さんのことを話す佐藤さんは終始穏やかで、きっとその従姉さん夫婦が穏やかで幸せそうだから彼もこうして穏やかに話せるんだろうなと少し羨ましくなる。
「……羨ましいです」
「うん……そうだね」
運命の番に出逢える確率なんて、きっと宝くじが当たるよりも低い。一生のうちなんてものじゃない。何度人生を繰り返したとしても出逢える保証なんてないのだから。生まれてくる時期にずれが生じれば確率はゼロ、だから出逢えた祖母も佐藤さんの従姉さんも奇跡を手に入れたも同然なのだ。
それでも僕は運命の番と出逢いたいと思う。どれだけの年月がかかっても良い。きっと見つけられたとしても必ず僕と番えるわけではないというのはわかっている。もし相手に他の番が既にいたり、結婚していたりしていたのなら、その時は思い出にすればいいのだ。出逢えた、それだけでも僕にとっては意味のあることだから。
それからもう少し従姉さん夫婦の話を聞いて、佐藤さんは探しにきた資料を手に再び研究室へと戻って行った。僕はといえば、今彼から聞いた話をまとめるために持ってきていたノートパソコンに打ち込んでいく。又聞きではあるが、それでも貴重な体験談だ。逃す手はない。
僕もいつかは僕だけの特別な運命の番を見つけたい、そんな想いだけがますます強くなっていく。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。
誕生日まであとひと月、ついに恐れていたことが起こってしまったのである。




