初めてがこんな遅くて良いのかよ その1
夏休み明けの教室というものは、大抵憂鬱感を纏っている。
ある者は昼夜逆転から帰って来れずに目が死に、ある者は厳密な意味での締切は宿題を出した授業がある日だからと現在進行形でワークを解き、ある者は既に冬休みの到来を心待ちにして。まあ一部彼女とのデートを自慢するリア充とかいうクソ生命体が紛れ込んだりもするが、それはまた別の話である。
とにかく梅吉は、そんないつも通りを予想していたのだが。
「……ん?」
一ヶ月ぶりの教室、集ったクラスメイト達は、何故だか妙に浮き足立って見えた。何かあっただろうか、と首をひねるも特に心当たりはない。新学期に久々に友達に会ってテンションが上がるほど、高校生は純真であるはずがないのだが。
「どうしたんだこいつら。夏休み明けってダルすぎてテンションクッソ下がるもんじゃねえの?」
「だよな。しかもそわそんしてんの主に野郎だし。女子は言うてそこまでって感じだし」
珍しく登校中にかち合った青仁が、梅吉の隣で同じように不思議そうにしていた。どうやら奴も理由は知らないようである。
ちなみに梅吉の言う通り、主にテンションが高いと言うか挙動がおかしいのは男子である。スマホをガン見して違いがわからないレベルで前髪を調整し、ネクタイを執拗に整え、シャツのほんの少しのシワを伸ばそうと躍起になっている。明らかに異常だ。
「おーい納戸。あいつら何やってんの?」
そこまで難しくもないわからない事があったら誰かに聞くのが一番手っ取り早い、ということで何故か前髪をワックスで整えようとして彼女に猛烈に睨まれていた、体育祭実行委員こと納戸に聞いてみた。
「何って……え、お前らもしかして知らない?クラスL〇NE見てないのか?」
「見てないけど……うっわなんかめっちゃ通知来てる」
「どんだけ騒いでたんだよ」
駅に着いた段階で青仁に遭遇した為、スマホを開く暇が無かったのだが。言われるままにロックを解除すれば、凄まじい数の通知が表示された。少なくとも出かける前はこんなに通知が来ていなかった筈なので、これらは一時間もかからずに生み出されたものだろう。一体何をやっているのだろうこいつらは、とグループL〇NEを開くと。
「あーはいはいはいなるほどな、うん、完全に理解した。ところで納戸、女子ってこういう時何すりゃいいか知ってる?校則的に化粧したらしょっぴかれるのはわかるんだけど」
「しかもうちの制服ってスカート構造的に折れないから、簡単なおしゃれも難しいんだよな。そうなると……俺の場合、三つ編みを今以上に丁寧にするとか?でもなあ、三つ編みって綺麗すぎても微妙だし」
「理解が早すぎる」
この手のことに関してのみ理解力が跳ね上がるアホ二人は、無事爆速理解を遂げたのであった。
「いやでもまさかこんなこと本当にあるんだな。てっきり漫画の中だけかと」
「まあみんなそう思ってたからこそ、余計に気合い入れてんじゃねえの?」
「だろ?美少女転校生とかいう漫画の鉄板存在が現れたら気合い入れるのも当たりま……い、いや冗談だってば!俺は君一筋だから!」
つまり、そういう話だった。なお納戸は彼女に引きずられていったが、別に惜しくもなんともない。彼女持ちの分際で他の女に色目を使うなという話である。
ちなみに何故既に美少女であるということが判明しているのかと言えば、L〇NE曰く部活の朝練で学校に来ていた者が目撃したようである。なお写真を撮らずに見惚れているだけだった無能は二人が来る前に有志の手によって処刑済みとのことだ。それって色々どうなんだ?
「い、いや待て……転校生が美少女って事は間違いなさそうだけど、うちのクラスに来るかどうかはまだわからないのでは?」
「さっきちゃんと教室見たらこれみよがしな机が増えてたから、十中八九うちだぞ。そのせいで男子のみの学年L◯NEが荒れに荒れてる。ほら」
「うっわあ」
青仁に差し出したスマホの中では、学年中の男子が醜い争いを繰り広げていた。なお小競り合いなぞしょっちゅうなので、これぐらいは通常運転に含まれる。要は完全に民度が終わっていた。
「でも俺ら、本当にどうやって気合い入れりゃ良いんだろうな。校則が恐ろしすぎるからそんなに派手なことできないし。梅吉はどうすんの……って、何だその怖い目は」
そわそわと、それはもう絵に描いたように調子に乗る青仁。それ自体はなんらおかしくないし、梅吉だって大分調子に乗っている自覚はある。だが。
「……いやーべっつにー?なんでもないぜー?」
なんとなく、他の女子に色目を使っている所が気に入らないというか。誰だって嫌だろう、自分好みの美少女が、他の相手に好意を向けているとか。……二人の関係性は、先程の納戸のように、わかりやすい状況ではないし、これについては積極的に思考放棄していく事を決めたものの。
それはそれ、これはこれ。男というものは単純で面倒臭い身勝手な生き物なので、女の子には自分だけを見ていて欲しいけど、自分は他の女の子をちょくちょくそういう目で見てしまうのだ。まあ、それを奴と同じように転校生に対してやる気を出している梅吉が言えた話でもないので、直接的に口にする事はしないが。
「……そ、うか」
「え、なんでお前そんなそっぽ向いてんの」
とはいえ梅吉はわかりやすく言葉にしなかったとはいえ、態度には出まくっていた為、無事青仁は被弾して悶えていたのだが。自覚のない梅吉はただ不思議そうにそれを眺めていたのだった。
さて、新学期というものは、転校生がどうのとかいうよりも先に、始業式こと校長の長話を聞き続けるとかいう拷問が待っている。
何故校長というものはこんなにも話が長いのか、そういえばいつだったか気になりすぎて調べたらマニュアルがあるらしい、とインターネットが言っていたが。それ燃やしたら話が短くなったりしないかな、とかどうでも良いことを考えているうちに、左から右へと全ての話が通り過ぎ、始業式は終わる。ぞろぞろと廊下を歩き、妙に浮き足だったクラスメイト達が教室に揃った。
つまりは、(主に男子)待望の転校生の紹介が、教室にて今始まろうとしていたのだ。
「来るぞ来るぞ来るぞ……!」
「お、俺大丈夫かな、髪型おかしかったりしない?」
「新学期にやって来る美少女転校生というフィクション的存在、これこそが、この男女比で女子が優勢な学校ですら彼女が画面の中にいる俺に与えられた天からの慈悲……!」
「今なんか邪神信仰してる奴いなかった?」
「あー、ガチャ宗教とか乱数の神的なのの同類?こんなクソ童貞に好かれるなんてその神様も可哀そうだな」
ざわめく男子の発言が大分イカれているが仕方ない。非リアとはこういうものである。梅吉だって、数ヶ月前ならあの集団の中にいただろう。
それはそれとして邪神信仰者はシンプルに意味不明で怖いし、男子に白い目を向ける女子達には混ざれそうにもないけれど。
「あーそこの男どもー。言っても無駄だだろうけど静かにしろー。えーどこのどいつがリークしたのか知らねえが、今日からうちのクラスに転校生が」
「うおおおおおおおおおおお!」
やる気のなさだけは学年一、我らが担任教師がのそのそと教室にやってくる。無論その気だるげな声は、死ぬほど盛り上がっている男子高校生達の雄叫びにかき消された。
「ちょっと黙れ。転校生にむさ苦しいってドン引きされても良いのか」
「……」
「面白いぐらい黙るじゃん。まあいいや、よーし、入ってこーい」
「……ッ」
男子達と、ついでに梅吉、もう一つついでに少し離れた席に座っている青仁が沈黙する。今か今かと、転校生を待ちわびて。数十人の注目を浴びながら、件の美少女転校生は扉を開け、教室に一歩足を踏み入れる。
端的に言えば、前評判通り──いや、それ以上だった。
「は、初めまして……!」
緊張しているのだろう、ポニーテールとなかなかの胸部装甲を揺らして、ぎこちない動作で入室した少女は黒板の前に立つ。パッチリとした、梅吉や青仁には逆立ちしても不可能な邪気のない目で、しっかりと前を見据えて挨拶の言葉を口にする。
「きょ、今日からこの学校に転校してきた、と、橙田蜜柑、です。よ、よろしくお願いしましゅ……!うぅ、噛んじゃったぁ……」
俯いて、恥ずかしげに頬を染める。その時点でもう、百点満点だった。確かに梅吉の好みとはまた違う属性である。しかし、控えめに言って美少女であることには変わりない。それこそ青仁(美少女のすがた)に出会っていなかったら、秒速で鼻の下を伸ばしていただろう。
ちなみに野郎どもは必死に雄叫びやらなんやらを押さえ込んでいるが、鼻息が大分荒い為まるで誤魔化せていない。ついでに言えば青仁も大分挙動不審だった。
と、この通り実のところ梅吉も、ついでに言えば青仁もここまでは結局他人事だったのだ。何せ二人の対女子コミュ力は、地を這うどころか地にめり込み、バグった3Dゲームみたいな挙動をしている。そしてこの学校は基本的に男女比において女子が優勢だ、男子と関わらずとも特段不自由せず学生生活を送ることが可能である。彼女が二人と関わることはきっと事務連絡でしか
だが、現実はいつだって梅吉の想定を超えていくもので。
「橙田の席はそこだ。くれぐれも質問攻めにはしてやるなよ。それと赤山と空島、どうせお前ら部活とか何も入ってないし暇だろ?放課後橙田に校内を案内してやってくれ」
「えっ」
「えっ」
何故か担任の一言で、渦中のど真ん中に巻き込まれた。
それなりに席が離れている筈の青仁と声が見事にハモる。梅吉が反射的にぎゅるんと青仁の方へ顔を向ければ、助けを求めるように青仁がこちらを見ていた。しかし見つめ合ったところで特に何も始まらない。ついでに言えば主に担任の正気を疑っているらしいクラス中の視線も向けられたが、どうにもならない。
そもそもこういうのは席が近い生徒に頼むのがテンプレではないのか。このクラスは一学期の最初期のまま、出席番号順で座席が定められているので、当然出席番号一番の梅吉と、出席番号が真ん中付近の青仁、転校生であるが故におそらく最後であろう橙田の座席は離れている。つまり席は普通に遠い。
「橙田、赤山ってのはそこで百面相してるツインテで、空島ってのはそこで冷や汗流してる三つ編みだ」
「わ、わかりました……!」
件の転校生こと橙田は何かを理解したようだが、梅吉と青仁は何も理解していない。頼むから幼稚園生にもわかるようなレベルで説明をしてもらいたいが、あの担任の事だ、二人がそんなことを言ったところで無視されるのが関の山だろう。
「ほら、赤山も空島もいつまでフリーズしてんだ。ちゃんと聞いてたよな?」
「ソラシマ……?アイサツ……?オデ、ニポンゴ、ワカラーナイ」
「オデ、メシ、クウ。メシ、ウバウ」
「急速に退化してんじゃねえよ現代人。まあとにかくそういう事だから、転校生については以上だ。次、各教科の確認テストについてだが──」
必殺、言葉が通じないフリを咄嗟に披露したが、その程度で担任が引き下がる訳もなく。雑にあしらわれた上、別の連絡へと話が流れていく。咄嗟に机の下でスマホを操作してL◯NEで作戦会議でも練ろうかと思ったが、あいにく梅吉の席はあ行の苗字を持つ者の宿命、最前列である。いくら厳密には授業中ではないとはいえ、何かしらの制裁が発生してもおかしくはない。
必然的に、真っ当に対策を練る時間は与えられず、始業式当日故に大した話もなく、即座に放課後となってしまった。
「(無言で逃走を試みる)」
「逃げられると思うなよー」
なお潔い梅吉とは違って、愚かな青仁は授業終了直後に普通に逃走を試み、普通に担任に捕獲されていた。まあ梅吉も青仁が捕まるのがほんの少しでも遅かったら、なりふり構わず全力疾走していただろうが。結局実行していないので青仁の方が愚かである。
「お前ら別に用事とか何もないんだから逃げる必要ないだろ。なんでそう逃げたがるんだ」
「先生が言ってた確認テストとやらの勉強をしたいからっすかね」
「先生も知ってると思いますけど、数が苦って書いて数学とか読むやつってゴミクズなんですよ。ゴミクズをただのゴミにランクアップさせる程度には頑張らないとやばいんすよ」
「たかが一時間かそこら学校に残ったところで、お前らの勉強時間は大して変わんねえだろ。ほら、自己紹介しろ」
その後も学生の本分である学業という大義名分を振り翳したりしたが、やはり担任は引かない。本当、何故わざわざ二人に任せるのだろうか。どう考えたってもっと適した者がいるだろうに。
「……」
ついでに言えば、どこかそわそわした様子で、期待の眼差しを向けてくる橙田の純粋さがいたたまれない。心理的には今すぐ土下座を敢行したい程である。
「とっ、ととととと橙田さ、ん。は、はっはははははっじじじじじぃめまああああああして」
だって腹を括って自己紹介を始めたところで、死ぬほど目がきょどっている上に言葉が詰まっている所の騒ぎではない、醜態を晒す不審極まりない美少女が生まれてしまうだけなので。正直見た目が可愛いからなんとかなっているだけで、これで男だったら新種の変質者扱いを受け、職質されても全く不思議ではない。
ちなみに青仁はとうの昔にフリーズ済みである。しばらく再起動は望めないだろう。
「……だ、大丈夫だよ?あ、焦んなくていいからね?」
「だっだだだだだいじょ、ぶ!大丈夫!多分きっとおそらく大丈夫いけるいけるいける」
善意から来る心配が胸に痛い。きっと彼女は梅吉のことを単なる緊張しがちな人物と捉えているのだろうけど、実態は女の子になって暫く経つというのに、女の子とまともに会話ができないただの哀れな童貞の怪物である。初対面の美少女に心配してもらう程価値のある存在ではない。
とにかく自己紹介だ、いつまでもこの気まずい空気感を続ける訳にはいかないし、青仁も動かさなくては始まらない。そう考え、深呼吸をして自分の名前を口にしようとしたところで。
梅吉はやっと、目の前の女の子が自分が男だった頃を知らずに、自分のことを純粋な女の子として見ていることに気がついた。




