知ってるようで知らない その1
「──ああ、大丈夫だ。皆まで言わずとも理解している」
他クラスの住人である一茶がわざわざ二人のクラスに来た上での発言である以上、この後絶対ろくな言葉が続かないことは確定事項である。が、正直止めるのすら面倒だったので、そのまま放置した。どうせ、放置しようがしまいま、多分ろくなことにならないし。そう思いながら梅吉はピ〇レグミを貪り食う。
「挙式を挙げたんだな」
やっぱり、放置しない方が良かったかしれない。殴りたくなるほど清々しい訳知り顔で、夏の暑さに頭をやられたとしか思えない発言を繰り出してきたので。
「は?やめろなんだそのイラつく顔」
「知らないなら教えてやるけど、そもそも俺達まだ高二だから誰とも結婚できないぞ。こんなことも知らないなんて、一茶、お前やっぱ政経も赤点だったんだな」
「ご祝儀はいくら包めば良い?結婚式って参列したことないから、ぶっちゃけ相場がよくわかんないんだよな。こういうのってネットで調べたら出てくるのか?」
二人は慈悲深いので、童貞の夢に溺れる悲しき少年に真実を告げてやったのだが。耳栓でもしているのだろう、こちらの言葉を完全にスルーして、積極的に挙式云々の方向性へと話を寄せに行った。こいつだけ別の次元に生きているのか?
「一茶、お前まさかついに会話すら不可能なほどの馬鹿の境地に行ってしまったというのか……?!」
「何言ってんだ青仁。一茶はオレらが出会った頃からもうその境地にいたぞ。まあたまに正気を取り戻すけど、それだってなんか日に日に短くなってる気がしないでもないし」
色々と言っているが、残念ながら一茶が意味不明なことを言っているのはいつものことである。少なくとも梅吉の知る限り、その一点では一茶は何も成長していないどころか、二人が美少女と化して以降、悪化の一途を辿っているように思えてならない。
「おい、今僕のこと馬鹿って言わなかったか?」
「めちゃくちゃ言ってるけど?何を今更」
「確かに僕はご祝儀に適切な金額を即座に答えられない低脳ではあるかもしれないが……!」
一瞬正気に戻ったかと思えば、全然まだまだ妄想の世界にいた。何故そうも挙式に拘るのだろうか。……まあ、事の発端はわからないでもないのだが。
「頼むから早く現実に帰って来て欲しいんだけど。オレ今お前のノリについていけるほど元気じゃないんだよ」
うんざりとしながら梅吉は言う。何せ先程述べた事の発端は、何一つ解決していないのだから。微妙に色が混じったため息をつきたくなる衝動を堪え、梅吉は視線を上に向ける。
「あ、やっぱ梅吉元気なかったのか。なんか変なものでも食ったのか?」
そこには、椅子に座る梅吉に背後から腕を回し、当然のように梅吉の頭に顎を乗せている青仁がいた。ついでに言えば、奴が身じろぎするたびに先程からちょこちょこ胸が当たっていたりするので、色々と気が気ではない。ていうかなんでこんなことを奴は自発的にやっているんだ?可愛すぎるだろ。
この状況を素直に享受すべきか、それとも抵抗するべきか、梅吉にはわからなくなってきていた。時間が経てば経つほど、単純で適当な理性が本能に屈しようとする。自分好みの美少女にくっつかれるとかご褒美じゃん?と。しかしそれでも心のどこかで、潔癖な自分がいやに頑なに拒むのだ。
……まあ、この場合一番ヤバいのはおそらく、頑なに拒む理由が思春期的な潔癖さから来るものである、という事なのだが。
「は?お前じゃあるまいし、食い物かどうかも怪しい激物に挑んで腹下したりとかしねえよ」
「いや俺は滅多に腹は下さないが?最後に腹下したの、生牡蠣食った時ぐらいだし」
「それ、多分食あたりって言うんじゃねえかな」
確かに、これが常態化していたら、一茶ならば妙なことを言い出したっておかしくないだろう。というか既に男子オンリーのクラスL◯NEでは、奴と同じようにご祝儀の金額やら披露宴の余興やらについて話し合っていた形跡があるので、梅吉たちの学年の男子は総じてイカれている節がある。
まあ、ご覧の通り、やはり音声をカットしなければちょっと萌える(死語)のに支障がある光景ではあるのだが。
「まあとにかく、オレらはまだ結婚できる年齢じゃな、し、死んでる……?!」
「え、今死ぬ要素あったか?」
一茶はよく訓練された変態なので、梅吉の微かな表情の変化から繊細な感情の機微を見出し、普通に安らかな顔で眠りについていた。
とはいえ無論、そんなことを百合厨的素養を持たない二人が察する訳もなく。
「よくわかんねえけどこれってつまり落書きしていいってことだよな。オレ肉って書くやつやりたいんだけど」
「じゃあ俺は渾身の化粧テクを披露するわ。今手元にボールペンと蛍光ペンしかないけど」
「お前らには情緒とか搭載されていないのか?」
即座に顔面にいたずら書きをする方向性に話がシフトしていった為、無事一茶は蘇った。色々面倒なので、正直蘇らなくて良いと思う。
「むしろお前のほうが情緒通り越して夢見すぎなんだよ。なんだよ挙式って。さっきも言ったけど、そもそもオレらまだ結婚できる年齢じゃねえし」
「まあ、それはそうだな。すぐ挙式って言い出すのは悪い癖だなと自分でも思う。でもさ、挙式とか関係なく何かあったのは事実だろ?なあ」
「……」
「……」
じい、と一茶の目が二人を射抜く。おそらくそこで揃って目を逸らしてしまった時点で、多分一茶の勝利だったのだ。
「……ふうん。なるほどな。なぁるほどなぁ!」
勝者は、満面の笑みという言葉のお手本のような輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。
「おい意味深な沈黙を挟むななお前がやると不穏なんだよ!何をなるほどしてんだ!言え!」
「は?僕は今知ってる奴と知ってる奴がついに本格的に百合をやり始めたせいでめちゃくちゃ平静を欠いてるんだが?唐突にリアル百合を脳みそに叩き込まれた僕がまともに物を考えられるはずがないだろ?急に言われてもどうしようもないんだが?」
「何言ってるか一ミリもわかんねえけど、とりあえずウザいから開き直るな」
とりあえず、一茶の中で最悪の脳内変換が行われた上で、それに対し開き直っていることだけは確かだったので、適当に苦言を呈しておいた。まあ、その程度で止まってくれないから、一茶は一茶なのだが。
「くっ……!僕は一体どうすれば良いんだ……?!僕のプライドがこいつらに百合を見出したくないと叫んでいる、だがこれを見なかったことにするには、僕の理性は無力……!」
「誰か一茶語翻訳機とか作ってくれないかな。今日の一茶、いつもより輪をかけて何言ってるかわかんねえし」
「わかんなくしてる原因、お前だからな?」
「?」
すっとぼけているのか本気でわかっていないのか、青仁は呑気に首をかしげている。梅吉ですら、原因が青仁のやけに近い距離感であることには早々に予想がついたのに。
……この様子だと、梅吉が呼び方を訂正できていなかったらどうなっていたのか、考えるだけで恐ろしい。きっと今以上の惨事が繰り広げられていたことだろう。まさしく不幸中の幸いだったのかもしれない。
「……お前ら、今すぐ机に向けてヘドバンをキメてその衝撃で男だった時の記憶だけピンポイントで失ってくれないか?」
「は?」
「何言ってんだこいつ」
そして一丁前に苦悩していた一茶は、据わった目付きで、何故かシンプルな暴力を提案してきた。おかしいだろ。
「そうすれば、そうすれば理論上はいけるはずなんだよ……!」
「今までの話のどこに理論があったんだ」
「自分がTSしたことを覚えていないTS娘同士なら、純然たる百合として扱える筈なんだよ!」
「てかそれオレらの人格全否定されてないか?」
漫画的表現が現実に実装されて居たら、虹彩に渦巻きが書き込まれていそうな勢いで謎理論をまくしたてる一茶。完全に面と向かって言ってはいけない類の存在否定と化してきているのだが、奴はいつ気がつくのだろうか。
……まあ、以前も不純物とか言っていた気がするので、その手のことは気にせず生きていそうだが。
「……あ、でもこれすこっぷまん?とかいうやつ的にダメなのでは」
そして、会話不能状態に陥っていた一茶は、勝手に妙なことを言い出し、論理破綻(一茶視点)を引き起こしていた。なお客観的に見た場合、最初から破綻する論理がない。
「そこでなんでスコップが出てくるんだよ。なんも関係ないだろ」
「今ネットですこっぷまん?で調べたらア〇パンマンのキャラが出てきたんだけど。こんなんいるんだな」
「本当だ。マジで見覚えない。ていうか今ふと思ったけど、アンパ〇マンって冷静に考えると衛生的にヤバイよな。現代の衛生観念だと顔にビニールかけてちゃんと密封しておかなきゃ、子供に顔を分けられないだろ」
「そんなことしたらア〇パンマンが窒息しないか?」
「あーそうか……いやでもあいつパンだぜ?呼吸の概念とかあんの?顔に水がかかっても息ができないじゃなくて力が出ないとか言ってる謎生物だし」
無論、こんな変なワードは話題を逸らしたい二人にとって餌でしかなく、某国民的愛と勇気しか友達がいないぼっちヒーローに対してのしょーもない考察へと話が転がって行った。人間、この手のくだらない話が一番面白いのである。
「なんでお前らはアン〇ンマンの話をしているんだ?」
「お前のせいだよ」
「お前のせいだろ」
まあ、真剣(笑)に悩んでいた一茶にとっては、不可解な光景でしかなかったようだが。先程まで一人の世界で大暴走していたのだから、少しぐらい蚊帳の外を味わったって良いだろう。
ちなみに、先程の一茶が言いたかったのは、「スワンプマン的に、記憶はなくとも経験はある以上元男であるという事実はなくならないのでは?」といったものだ。人間、慣れない方向性で頭を使おうとすると失敗するという良い例である。
「まあいい。とりあえず進展おめでとう。こういう時ってやっぱり祝い金的なものを贈るべきなのか?でも残念ながら今僕の財布は給料日前ですっからかんなんだよな……」
「聞いていい?オレらの何が進展したの?いややっぱ言わなくていいわ怖いからパスで」
「てか普通にお前の財布事情とかクソどうでも良いんだけど。年中無休で金欠ってだけだろ。そんなに金がないならバイト増やせば?」
何故一茶は軽率に財布を取り出すのか。というか給料日前とか関係なく、こいつの財布がすっからかんじゃなかった時を見たことがないのだが。
「何が進展したのかって?それは……言うだけ野暮だろ、うん」
「マジでウザいんだけどこいつ。ぶっ飛ばしていい?」
「やめとけ青仁。オレらはこいつをぶっ飛ばせるほど強くない」
「あとバイトについては僕だって増やしたい。だからな、もう夏休みなんだし短期バイトを増やしても良いだろって部長に言いに行ったんだよ。『合宿あるの忘れたのか』って殺されかけたけど」
「まあ、だろうな」
脳裏に一茶と全力で鬼ごっこをしている柔道部の部長が過ぎる。確かにあの真面目そうな人物ならそう言うだろう。
……というか、そういえばあと数日で夏休みなのである。青仁絡みで色々あったり、定期テストのなんちゃら関数が大事故を起こしたりしていたせいで忘れていたが。
「というか僕の部活事情なんてどうでもいいだろ。それよりも今日僕がお前らの教室に来たのには、お前らの仲を確認するのともう一つ、目的があってだな……」
「シンプルに気持ち悪いからひとまずオレらの仲を確認するとかいう意味不明動機をゴミ箱にぶち込め。話はそれからだ」
「暇つぶしじゃなかったのかよ、タチ悪いな」
なお現在は六限後、本来ならばHRが始まるところで緊急の職員会議に担任教師が呼びされてしまい、少なくとも梅吉達の学年は全員そのまま教室に放置されているといったところである。故に、一茶は単なる暇つぶしで遊びに来ただけだと思っていたのだが。目的なんて持ってほしくなかった。
しかし梅吉の気持ちなどつゆ知らず、一茶は徐に何故かずっと手首に引っ掛けていた保冷バッグを開け、タッパーを取り出した。
「そ、それは、まさか……!」
「えっマジ?一茶がシンプル善行を働くとかありえるの?天変地異の前触れとか?」
青仁が驚きに目を見開き、梅吉が空っぽになったピュ◯グミを放り投げ、テンションを上げていく。一茶が手にしたタッパーに入れられていたのは、赤赤とした瑞々しいまあるい果実──さくらんぼであった。




