選択肢なんてものはない その2
「放っておいたら多分オレの精神は死ぬぜ?だって現時点でもう既に結構キてるからな!だからオレは全力で抵抗させてもらう」
その口ぶりは、声音は、単なる調子の良いことを言っているだけ、に聞こえるかもしれない。しかし内容は当然、調子が良いなんて形容できるものではなかったし。青仁を映す大きな瞳は、不安げに揺れていた。
──自分と話せないと寂しくて精神的に辛くなっちゃう、なんて吐露してくる可愛い女の子。そんな幻想みたいな存在が、こうも容易く、無自覚に青仁の手に落ちようとしてくれているなんて。まさしく、据え膳と読んでも過言ではない状況だ。夢みたいだ、とすら思う。
しかし現実はそう甘くもなく、夢を夢として受け取ることは、あらゆる意味で困難だから。青仁は据え膳に手をつけられない。
「ってことでオレを壊す趣味がないんなら、オレのメンタルをちょっとでも案じてくれるなら、マジで今すぐやめろ」
こちらを真っ直ぐ見すえて、言ってやった、と言わんばかりに好き勝手話し終えた梅吉が黙る。その様を青仁は、据わった目つきで眺めていた。
俺にお前を壊す趣味があったらどうするつもりだったんだ無防備だな、そもそも独占欲とか色々と隠そうとしない時点でどうなんだ、いい加減自覚しろよ、自覚されても困るけど……と沸々と湧き出た嫌に桃色をした感情は、やはり発露するには至らなくて。
結局、どこまでいっても、二人の間には友情が介在している。独占欲だとか性欲だとか、複雑な諸々がどれだけ積み重なろうとも。シンプルな「こいつとつるんでると楽しいし」みたいな感情がなくなることはないのだ。
いっそ、お互いに男だった頃を知らなかった方が、ここまで面倒なことにならなかった気がする。それこそシンプルに欲望のまま突き進んで──ストレートにどうにかなっていたのだろう。
とはいえ仮にどちらかを選べと言われたところで、今の青仁は絶対に現状を選び取るのだが。それぐらいには、青仁にとって現状は心地よいのだ。失うには惜しい。
だから青仁は、ため息をついた。
「……お前さあ」
「え、なんだその反応。やめてくんない?オレ今結構勇気振り絞ったんだよ、これで却下されたら居た堪れないし、何より割に合わないっていうか」
とはいえ、青仁の一挙手一投足に振り回され、この手におさまろうとする美少女は、あまりにも可愛いのは事実である。だから少し、遊んでみることにした。
「……ふーん」
「お、おい不穏ムーブやめろオレのメンタルをそんなに削りたいのか?!」
わざとらしく、意味深な素振りをしてみたりして。とはいえ青仁は、梅吉と違って腹芸は得意ではないのだ。だから素直に──
「ひ、ぁ?!」
衝動のまま、梅吉が座る席の側に回って、背後から抱きしめることにした。
「お前、気づいてないみたいだから教えてやるけど。ここまでして自分を求めてくれる女の子を、私が手放すと思うか?」
いつだったか、囁きがどうのこうのと言っていた筈なので。お望み通り、その形の良い、柔く食んでしまいそうになる小さな耳に、甘ったるい声を吹き込んでやる。ついでに、これまたいつだったか死ぬほど刺さっていた、一人称だけ変えるという謎ムーブも付加してやった。青仁の細い腕の中、華奢な柔らかい身体が途端に熱を持っていく様子に頬を緩める。
久しぶりに抱きしめると、体温と鼓動が露骨に伝わってきて、とても心地良い。それら全て、青仁が梅吉にもたらしているのだと思えば、尚更仄暗い愉悦が胸の奥底から湧き上がる。
確かに、こうして梅吉を独り占めしているのは中々に良いかもしれないな、とふと思う。あまり理解したくない気持ちだ、とは思うけれど。わからないままでいられるほど、腕の中の少女は優しくない。
同時に、青仁が梅吉を独り占めしている、ということはすなわち、梅吉が青仁を独り占めしている、ということでもあって。それすらも快を得る手段として認識してしまっている現状は、正直どうなのだろうとは思うけど。目先の甘味に抗えるほど、青仁は真っ当でも大人でもなかったので。面倒な理性は放り捨てて、本能のまま堪能する。
しばらくそのまま、梅吉はなすがまま青仁に抱きしめられていいたのだが。
「っ、は、離せ離しやがれ今からお前をぶん殴る!」
しばらくして、やっと我を取り戻したらしい。ジタバタと暴れ始め、青仁を引き剥がす。しかしその肌は明らかに、耳まで赤く染まっていた。
……可愛いなあ。
「えー、ひどくね?ちょっと思いついたからやってみただけなのに。あっもしや、お姉さん成分が足りなくて欲求不満とか?やっぱお前の性癖ってやば」
「思いつきでんなことすんじゃねえよ!やり返してやろうか?!」
「え、いいの?」
「〜〜〜〜良いわけあるか!!!」
「全力でノリツッコミするじゃん」
発言内容は可愛くないのに、発言動機が可愛いので、何もかもが可愛らしく見えてしまう。だが別にそれで構わないだろう。この認識が、 間違っているとは思えないので。ニヤニヤと笑いながら、享受するべきだ。
「つ、つかオレもちょっとは思ってたことを改めて突きつけないでくれるか?!こっちはわかった上で、それでも後がないからやってんのに!」
「へえ、ちょっとは思ってたんだ。それでも、俺と一緒に遊ぶためにやったんだ。ふーん」
「おいなんだその『ふーん』は?!お前マジで意味深なことやるのやめろ!」
自覚ありでやったとしたら、尚更青仁としてはニヤケることをやめられないような状況になってしまうのだが。今の梅吉は、それすらわからないほどに動揺しているらしい。
梅吉が無自覚に動き、青仁個人の折り合いの問題で発生した事象が、ここまで美味しい状況を連れてきてくれるなんて。もしかして今日の青仁はとても運が良いのかもしれない、なんて思いながら口を開く。
「まあいいや。ここら辺で勘弁してやるよ。意図的に避けるのはやめてやる」
「お、おう……やけに素直に引くじゃん。まあ、わかってくれたなら良いけど。つか、意図的じゃなけりゃやるのかよ。上から目線ムカつくな」
梅吉が戸惑うように視線を空中にさ迷わせながらも、言葉に安堵を滲ませる。そのいじらしさはなんとも可愛らしいが、それでも少なからず毒が滲む辺り流石梅吉と言うべきか。
……その毒すらも愛らしいと思ってしまう己の感性に、歪みを感じてしまったというか。
「そりゃあ、完全に原因がなくなったわけじゃねえし」
「……結局、なんだったんだよ。お前がオレを避けてたの」
当たり前だが、梅吉にとってこれを問わずには終われないのだろう。不満げな態度を崩そうとしないまま、確実に青仁の痛い所を突く。だが最初から青仁には、何を言われようともこれだけは、答える気がないのだ。
何せ青仁には、元々選択肢が与えられているようで与えられていない。
梅吉から向けられている感情を受け入れなくては、今後奴とつるんでいくことはできないだろうから。
だからと言って、梅吉に現実を叩きつけることもできない。叩きつけたらきっと、今の不安定で甘美な関係性は、ガラスよりも容易く砕けて壊れてしまうだろうから。
故に、青仁が梅吉に言えることは、これだけなのだ。
「……ないしょ」
わざとらしく、人差し指をひとつ立てて、口元に添えて。細めた瞳に、複雑な感情をごちゃ混ぜに薄く微笑む。それしか、できることはない。
本当、我ながら自分の全てが不可解で意味がわからなくて、どうしようもない。なんで友人から独占欲を向けられて、それを「だって一緒に馬鹿やれなくなるの嫌だし……」みたいなくだらない理由で受け入れてしまっているのだろうか、だとか。それすらも建前で、独占欲を向けられていたことに喜んでいる感情があることだとか。梅吉はたかが青仁にほんの少し避けられた程度で、ここまでぶっ壊れる程精神的に脆い奴だっただろうか、だとか。
疑問は掃いて捨てるほど湧いてくる。だが、その全てを切り捨てることしか、青仁は選べない。隠し事が苦手分野であることは痛い程理解している。それでも現状を維持するためには、やらなくてはならない。
お互いに突然美少女になっちゃって、勢いで恋人(仮)とかやっちゃったり、劣情に負けてあーだこーだとやり合ったり。相手に独占欲を向けて、劣情を向けられることに悦んで。到底真っ当とは言えないし、数ヶ月前と比べて、随分とぐちゃぐちゃになってしまったけど。
俺はまだ、お前の隣で遊んでたいんだよ。
「──お、前。思わせぶりな態度しておいて、結局それかよ」
息を呑んで青仁を眺めていた梅吉が、拍子抜けしたようにテーブルにへたり込んだ。
「は?なんだその言い分は。これは俺の慈悲だぞ慈悲」
「そっちこそ何言ってんだ。慈悲ってこう言う時に使う言葉じゃねーぞ。つか、お前がオレに慈悲とかかけるわけないだろ」
「いやいやいやそんなことないって多分おそらくきっと」
「もうその時点で『無い』が確定してんだよ……!」
とはいえ、この辺りで素直に主張できるほど青仁の性根もまっすぐではないので、勢いよく口から感情論由来の出まかせが飛び出していくのだが。今回限りは己の気質が有効に働いてくれた。
「まあ気にすんなって。ってことで口直しのドリンクバー、一杯やってきていい?」
「ちょっと何言ってるかわかんないんだけど。普通そのノリで飲むのは酒じゃねーの?」
「お前こそ何言ってんだ。俺ら未成年なんだから酒飲んじゃだめだぞ」
「そういう話してるんじゃねえんだよなあ」
ひとまずこれで双方の用件は済んだだろう、と青仁はドリンクバーに向かうことにする。まあ、とりあえずドリンクバーの調合を通して精神を安定させ、一刻も早く平常心に戻りたいという感情もあるのだが。何せ情報量が多すぎた、青仁が一度で処理し切れる量を超えている。
「つかさっきのマジでなんなんだお前。わざわざんなことする必要なかっただろ。オレはあんな感じで都合悪いことはぐらかしてくるおねーさんが大好きなんだぞ」
「え、知らねえよそんなの。なんで俺がお前の性癖に配慮してやんなきゃいけないわけ?面倒臭えんだけど」
「は?じゃああれ素かよ。お前って割と体に精神引きずられてるよな」
「そっちこそ自分を棚上げしてんじゃねえよ。性転換病をやっちまった以上、それについてはお前だって逃げらんねえんだから」
「……あ゙〜!嫌な現実突きつけんのやめてくれるか?」
「やなこった。俺だけじゃなくて、お前だって現実見ろよ」
まあ、互いに現実を見てしまったら、こんなくだらないやり取りは壊れてしまうだろうから。青仁の返しは完全に、単なる冗談にすぎないのだが。
「おいおいなんだその言葉は。それだとオレだけが現実を見てないみたいになるじゃねえか」
「だからそう言ってんだけど」
「は?おいお前がいつ現実を直視したんだ。ちょっと言ってみろよ」
「さて、いつだろうなー?んじゃま、とりあえずドリンクバー行ってくるわ」
「話を流すな一から百まで説明しろ現実には読む行間がないんだよ!」
そんなことを言われたって、青仁はこの話を長く続けるつもりはないのである。むしろ本当なら記憶を消して、なかったことにしてしまいたいぐらいなのだ。だってそれが、誰にとっても平和な解決策なのだから。
故に青仁は、適当に梅吉をあしらい、ドリンクバーへと向かう。そして去り際に、騒ぎ続ける梅吉に向けて言葉を紡いだ。
「うるせえな、さっきから質問ばっかだぜ?自分の頭でちょっとは考えてみたらどうだ?梅」
「さっきから挙動不審すぎるお前が悪……は?」




