コミュニケーションは難しい
突然だが『馬鹿は風邪を引かない』という偉大な言葉をご存知だろうか。そう、読んで字の如くである。だが青仁は今、この偉大な言葉に注意書きを追加したい衝動に駆られていた。 そんなことを梅吉とのトーク履歴を眺め、震えながら思う。そう、追加すべき注意書きとはすなわち──
『昨日調子に乗って刺身食いまくってさ』
『今トイレとランデブーしてる』
『青仁は何が当たったと思う?』
ただし馬鹿でも食中毒になることはある、と──!
スマホをミシミシと音がしそうな程に握りしめる。しかしそんなことをしたって梅吉は教室に現れることはない。
『青伊 がスタンプを送信しました』
『青伊 がスタンプを送信しました』
『青伊 がスタンプを送信しました』
『青伊 がスタンプを送信しました』
『青伊 がスタンプを送信しました』
『うるさい黙れ』
『一人で生きていけ』
怒りのスタンプ連打をかましてみても、二言で会話を終了させられる。だが青仁にはどれだけ梅吉に無為に扱われようとも、なんとしてでもL◯NEにしがみつかねばならない理由があった。
「空島ちゃん、どうしたの?」
「ヒっ?!きゃ゜い……」
何せスマホに縋り付きでもしないと、こちらを伺う橙田のせいで、青仁のHPは一限に突入する前に尽きてしまいそうなのだから!
Q.梅吉が学校を休むとどうなる? A.青仁と橙田が二人っきりになる
全く、馬鹿げた問いかけだと思わないか。なおこれが現実である。クソが。既に青仁のHPバーは赤く染まって警告音を発しその存在を激しく主張しているというのに!
「なっナなァナナナナナンデモナイデス、ハイ」
「そう?なら良いけど……今日赤山ちゃん遅いね、どうしたんだろ」
「……」
「空島ちゃん?」
「ヒャい」
ちなみに梅吉がいないからといって、火事場の馬鹿力的なサムシングでコミュ力が跳ね上がったりはしない。そんなことができたらもうちょっと青仁は器用に生きている。故に今日も元気に奇怪な奇声をあげていた。最悪である。
「えっと。そ、そっそそそそそそっそそそそその」
視線をあちらこちらへと彷徨わせ、美少女でなかったら許されないレベルの挙動不審ぶりを披露しつつ、青仁は思考を回す。
自分にまともな会話は望めない。かといって橙田にスマホの画面を見せたら見せたで、何か不適切な物が映り込んでいる可能性も否めないのだ。一対一のトーク履歴なんて大抵はそんなものだろう。少なくとも青仁はそうだ。
「あ、あの。う、梅、は。が、学校、や、やや休み、みたい、で」
「そうなの?風邪引いちゃったのかな。あ、あたしからもL◯NEでお大事に〜って送っておこっと」
「かっかか風邪、で……あー、うん。そ、それで(?)」
ただの自爆であると言ってやろうとしたものの、悪口ですら青仁の口は上手く回ってくれないようだ。女子との会話というシチュエーションから無限にデバフを受け続ける青仁の頭は、朝っぱらから限界だった。
「早く良くなって欲しいね〜」
「そっそう、だっだだだね!」
極めて単純な相槌すらこのザマである。はっきり言って会話が成り立っているとすら思えない有様だ。果たして青仁は今日一日生き残ることができるのだろうか。
「そ、空島ちゃん。だ、大丈夫……?」
「……」
普通に無理だった。もうフラグ回収乙!とかってふざけ倒す気にもならないレベルで終わっていた。
橙田は悪くない。青仁はJKという存在に対し無知を極めているが、多分彼女は普通に友達への対応をしているだけなのだと思う。一緒に移動教室行こうと誘ってきたり、一緒に昼食を食べたり、体育の二人組を作ったり。ひとつひとつはありふれた行動だと思う。
だが残念ながら青仁はそれに耐えられるほどのコミュニケーション能力を持ち合わせていないだけで!
ことあるごとにスマホに助けを求めたとも。ついでに言えば物理的に緑に縋ったりしたとも。
だが前者は最終的に腹の痛みがピークに達して神仏に祈りを捧げ始めたせいで会話にならなかったし、後者には無言で引き剥がされたのち緑本人は流れるように女子と身体的に接触した罪で処刑台に登らされていた。なお後者は俺悪くないと叫んでいたものの、普通に聞き入れられることはなかったようである。
「……」
「空島ちゃん……?」
六限が終わった直後に机に突っ伏し、動く気力を失ってしまった青仁を助けてくれる人はどこにもいない。 L◯NEに既読はつかないし、緑はいつの間にか姿を消していた。
視界を自主的に封じている為定かではないが、きっと側にいるのであろう橙田の心配が胸に痛い。たとえ彼女が直接的な原因だとしても、元はと言えばコミュ力が死んでいる青仁が全て悪いのだ。現実というものは複雑で、原因=悪とはなり得ない。
「……ごめん」
自己満足の謝罪だ、と罵られても何ひとつ否定できないような身勝手な言葉が口からこぼれる。こんな事を言った所で、何も始まらないとわかっているのに。
本当、自分って馬鹿だな。立ち上がり、机の脇にかけた鞄を手に取る。今日の自分は他人に迷惑をかけっぱなしだった。今日はもう寄り道せずに大人しく家に帰ってのんびりしよう、そう思ったその時。
「……えっ」
二の腕を、橙田に掴まれた。思わず反射的に彼女の方へ振り向けば、真剣な眼差しに射抜かれる。驚きに目を見開く青仁に、橙田は意を決した様子で言った。
「空島ちゃん、一緒に帰ろっ!」
一緒に帰る?ああなるほどそういえば今は放課後だ帰宅するのは当たり前である。結局色々と言っていた部活には入ったらしいが週の活動日数が少ない緩めの文化部らしいので、放課後すぐに帰宅することは全くもって不自然なことではない。そして誰かを誘って帰るという選択肢もまた極々自然な流れだろう。現に青仁もなんだかんだで梅吉と一緒に帰っている事だし。つまり橙田の行動は何一つおかしくない。
青仁を誘っている、その一点を除けば、だが。
「……」
さてどう返答するのが正解なのか。空島青仁という人間は人生をやり始めてぼちぼちその道十七年程度でしかない、まだまだビギナーとでも言うべき存在であり、端的に言ってどのように返答すべきかさっぱりわからない。
本能というか煩悩は「シンプル美少女と二人っきりで下校とかハイパー青春だぞ今すぐやれ!!!頷け!!!」と叫んでいるが、理性こと己のチキン成分は「女子と二人っきりとか耐えられる訳ないだろいい加減にしろ!!!死んじゃったらどうするんだ?!?!」と冷静な事を言っている。果たしてどちらが勝つか、勝負の行方はいかに──
「ご、ごめん。迷惑だっ」
「い、一緒に帰る!」
結果、悲しそうな美少女とかいう煩悩及び罪悪感に死ぬほど訴えかけてくる概念の介入により、青仁は反射的に橙田の誘いに応じたのだった。
「ほんとっ?!やった〜帰ろ帰ろ〜!」
「うわっ?!」
青仁の返事を聞いた橙田がぱあ、と表情を明るくする。その楽しげな調子のまま、橙田は掴んだままの青仁の腕を自らの方に引き寄せた。そんなことをすれば当然、青仁の腕に橙田の胸が柔らかくめり込む訳で。
「とっとととととと橙田さっささささっさささううううう腕、腕、が」
「腕?あ、ごめん。強く掴みすぎちゃったかも」
かあ、と頬をわかりやすく染め上げて接触を訴えかけたものの。当の橙田はぱ、と手を離してくれはしたが、結局意図は正しく伝わってくれなかったようだ。
別に嫌な訳ではない。むしろラッキースケベヒャッホウ!的な気持ちが九割ぐらいを占めている。だが残りの一割に相当する良心が「相手は俺のこと純粋な女の子だと思ってるからだぞ?」と囁いてくるのだ。
「あ、今更だけど空島ちゃんって電車?チャリ通?」
「で、でで、電車……」
「あたしも〜!じゃ、方向どっち?」
「く、暮馬……」
「そっちか〜あたし逆なんだよね。じゃあ駅まで一緒ってことで!」
ぎこちない返しを続けているうちに、いつの間にか話が固まっている。そしてすたすたと廊下を歩いていくせいで、その後を追いかけるように歩いていけば、もう既に昇降口は目前だった。青仁に逃げ場はない。
いや別に逃げたい訳ではないのだ。再三言うが、こちとら肉体的には女性と化してしまってもなお、ここ最近まで女子とまともに交友を持つことができていなかったのだ。この貴重なチャンスを逃すわけにはいかないのである。
ただ、今の青仁にはその絶好のチャンスを美味しくいただけるほどの精神的余裕がないだけで。
「あっづ〜い。八月よりはちょっとはマシになったけど、今も全然暑いよね〜」
「……」
相手から積極的に話題を振ってくれようとしているのに、首をぎこちなく縦に振ることしかできない。自分はなんたる無様を晒しているのだろう。
授業終了時刻から少し時間が経っているが故に、通学路に知り合いの姿が見当たらないことは幸いか。まあ、既にめざとい奴が見つけていて、 L◯NEで大騒ぎをしている最中かもしれないけれど。
「この制服めっちゃかわいいけどさ、正直通気性はいまいちじゃない?胸元とかめちゃくちゃ熱こもるじゃん。まあでもおしゃれは我慢ってよく言うしなぁ。仕方ないのかも?」
「……」
「しかも胸元緩めるとめちゃくちゃセンセーに怒られるし!ちょっとぐらい良いじゃんねー」
「……」
先程から変わらず、引き続き首を縦に振ることしかできていない。一応相槌という体裁は保持しているつもりだが、側から見ると橙田が一方的に喋り続けている可哀想な人に見えてしまうだろう。
だが残念ながら、今の青仁にはこれ以上の対応は不可能なのだ。頷く以外にまともなコマンドは搭載されていない。自ら会話を振るなんてもってのほか、会話デッキ一軍に今日の天気デッキとか地球温暖化についてとかが大真面目に食い込んでくる奴に、そんなことをする資格はない。
「……ねえ、空島ちゃん」
ふいに、橙田がその明るい声のトーンを落として青仁の名を呼ぶ。まるで本当の女の子みたいに可愛らしい呼び方で呼ばれることは、いまだに慣れなくて。自分のことだ、と認識するまでどうしてもしばらくのタイムラグが生じてしまうそれが胸に届くより先に。
「やっぱり、あたしのこと苦手?」
寂しげに笑う橙田の言葉が、胸に突き刺さった。
「……っ、ち、ちが」
「空島ちゃんってさ、無理して合わせてくれてるみたいだけど、元々赤山ちゃんと仲良いから、あたしと一緒にいてくれるだけでしょ?別に気にしてないよ。よくある話だもん、友達の友達と仲良しとは限らないって」
否定の言葉は間に合わない。少女は少女の中だけで理屈を完結させて、淡々と語り続ける。
「……ごめんね。ちょっと当たり散らしたみたいになっちゃったかも。こんなこと言われたって、空島ちゃんからすればどう返したらいいかわかんないもんね。でも、元はと言えばあたしが無理矢理頼み込んだせいだし」
橙田にこんな事を言わせてしまうのも、今までの自分の彼女に対する態度を思えば当たり前だろう。たまたまそれが今日だっただけで、いつ起きてもおかしくなかった、と自分の中のいやに冷静な部分が指摘する。
わかっている、これは全て青仁のせいだ。橙田の前で挙動不審を極め続け、ろくにまともな会話ができずに梅吉の後ろで縮こまっていたのだから。相応の報いを受けただけだ。橙田は何一つ悪くない。彼女からすれば、そう見えてしまうのも無理はない。
しかし理屈がわかったぐらいで動けたら苦労しない。青仁にとって、女子というものはそれだけ摩訶不思議な対象で、自分がなってしまった後ですら未だ理解の及ばない「異性」のままだ。口を開こうとするだけで容易に思考が凍りつく。
「無理しなくていいよ。あたしだってわかってるもん、苦手なものをそう簡単に克服できないって。あたしだってそうだし。だから」
「──無理なんかしてない!」
それでも、先に続く決定的な言葉だけは聞きたくなくて。無理矢理絞り出した否定の言葉を、青仁の喉はついに吐き出した。想像よりも大きな声で発してしまったそれに、自分で自分に少しびくりと肩を震わせる。
勢いのままに思いの丈をぶちまけなければ、きっと青仁は一生橙田に何も伝えられやしない。だから目を見開いて固まってしまった彼女に向けて、青仁は叫ぶように言った。
「た、たしかに俺は橙田さんと話すのめっちゃくちゃ苦手だけど!話したくないなんて全く思ってないし、友達の友達だからとかそんな理由で一緒にいるわけじゃねえよ!」
最初のきっかけは軽率に梅吉が首を縦に振った事だし、その時点で青仁はほとんどおまけみたいなものだったけれど。今だってせっかく得られた純粋な女子との関係を失うわけにはいかない、という打算にも程がある感情で動いているけれど。
寂しそうに笑う少女に手を差し伸べられずにいられるほど、青仁は自分を失っちゃあいないんだ。
「俺が!橙田さんと仲良くなりたいって思ったんだよ!」
「──!」
全てはこの言葉に尽きる。どう考えたってできないなりに梅吉の方が橙田と話している気がするけど、青仁だって何も思っていない訳ではないのだと。声を荒げて、必死に叫ぶ。
それをただ、橙田はぽかんとした間抜けな顔で眺めることしかできていなくて。しかし次の瞬間、くしゃりと顔を歪めて言った。
「……ごめん。今のはかんっぜんにあたしが悪かった。あ〜失敗した〜!」
「……えっ」
そのまま頭を抱えて、くしゃりと緩く広がったポニーテールに両手を埋め、橙田は続ける。
「いやだってさ、さっきのあたしなんか面倒な女みたいじゃん。みたいってかそのものじゃん。環境が一気に変わって戸惑ってちょっと疲れて、まだ知り合ってそんなに経ってない子に当たり散らすとか、恥ずかしすぎるんだけど!」
「……そ、そ、うなんだ」
「空島ちゃん、迷惑なことはちゃんと迷惑って言った方がいいよ。なんなら今からあたしのことめっちゃ罵ってくれていいから。あ、なんなら詫びってことでなんか奢ろっか?コンビニ寄ってく?」
「い、いいいいやそこまでしなくていいから!お、じゃなかった私も悪いのは事実だし!おっおおおお互い様ってことで!」
青仁にはよくわからないが、少なくとも彼女の感覚としては恥として認識されるものらしい。そもそも詫びなんて全く望んでいないし、貰ったら罪悪感が余計加速する一方な気がしたので、通り道のコンビニを指差す橙田を慌てて止める。
「……」
「な、なっななななななななな何?お、私なっななっなななにかかっかかかか」
じい、と橙田が青仁を物言いたげに見つめる。今度はどうしたんだ、と戦々恐々としていると。
「空島ちゃん、無理しなくていいよ」
「え゛。だ、だっだだだっだだだだから何を」
「空島ちゃんって本当は、自分のこと俺って言うんでしょ?」
「?!?!?!?!?!」
むしろ無理しかしてないんだが、と困惑していたところに喰らった予想外の鋭い指摘に、危うく鞄を取り落とすところだった。
もしかして青仁が元男である事がバレた?いや別にバレても良いっちゃあ良いのだが。この際勝手に悟ってくれた方が、自分の口から伝えなくて済むという利点すらあるし。しかしだとしたらタイミングが最悪過ぎないか。この場合、どう考えても青仁が変態以外の何者でもなくなってしまうのではないか。そう青仁が一人で百面相していると。
「別に気にしないよ〜。今時女の子だから〜とか男の子だから〜とかナンセンスだし。むしろ意外性あってかわいくない?空島ちゃんみたいな大人っぽい女の子が自分のこと俺って言ってるの。あたしは好きだな〜」
「好ァア゛ッ?!」
同性として見ている相手にしか絶対に使わないタイプの「好き」が直撃し、青仁は無様な悲鳴をあげることしかできなかった。
「なおそうと頑張ってるみたいだけど、別にそんなことしなくて良いのに。ちゃんとした時だけ私って言ってれば大丈夫でしょ。って……空島ちゃん?どうしたの?」
「……」
ここから先、青仁の記憶はごっそりと抜け落ちている。気がついたら帰りの電車に乗っていた。
盛大に過ぎていますが二周年でした。あとついでに百話到達しました。ということで記念にちょっとした短編をこさえたので置いておきます。本編時空ではありません。
百話&二周年記念:甘味を転がす
「なんか姉貴が突然『今日はめでたい日だから』ってケーキ寄越してきたんだよ。これを今から二人で食べる為に、オレはお前をここに呼んだ訳だが」
「え、梅吉が食い物を分けるとか、明日は槍でも降るのか?」
本日の赤山邸のリビングには、それなりのサイズ感の白い直方体の箱が鎮座していた。なお早速失礼発言をぶちかましている青仁もセットである。
「うるせえな。姉貴に『絶対に青仁くんと一緒に分けて食べなさいよ』って命令されてなきゃ分けねえよ」
「何その命令。自分の分を取っとけとかならわかるけど、そこでなんで俺の名前が出るんだ」
「知らん。そんなのオレが聞きたい。おめでたいから、の一点張りだったし」
実のところ姉に『おめでたいって言うならお前も食ったほうがいいんじゃねえの?』と聞きはしたのだ。『私はサブキャラってかゲストキャラだから』とよくわからない答えしか返ってこなかったので、最早青仁に話す必要すらない、と梅吉は判断していた。
「だからそのおめでたいって何?梅吉の誕生日とか?ちょっと早い気はするけど」
「青仁お前偉いよな。オレの誕生日ちゃんと覚えてて。オレお前の誕生日日付まで覚えてないのに」
「別に偉くもなんともねえよ。誕生日バトルの絶対王者ってのが面白くて覚えてるだけだし。ほら、お前一番早く十八歳になれるじゃん」
「十八歳未満(高校生含む)閲覧禁止、とかいうカス表記が蔓延ってる以上、そういう方向性だとあんま意味ないんだよなあ。ところでオレらケーキを前にして何しょうもないこと話してんだ?」
「だって梅吉がケーキ開けないから」
「なんで当然のようにオレが開ける前提になって……あーお前こういうの苦手だもんな、うん。そりゃオレの仕事か」
そういえばこいつは死ぬほど不器用なのだった。大人しく箱へと手を伸ばす。
「ケーキひっくり返していいならやるよ」
「やるなやめろ。なんでそこで無意味に自信満々なんだよ」
「ひっくり返す自信がめちゃくちゃにあるから、かな……」
「ドヤ顔うぜ〜」
不器用を誇ってなんかキメた感じの雰囲気を漂わせているアホを横目に、梅吉は箱を開ける。そしてそのまま、中からケーキを取り出した。
「お、これ二人で食べて良いのはちょっと嬉しいかも。ホールケーキ一気食いって中々できないからな」
「うわかなりがっつりケーキじゃん」
現れたのは、ごくごく普通のいちごと生クリームでホールケーキであった。生クリームでできた優雅な装飾に彩られ、つやつやのいちごが食欲を掻き立てる、オーソドックス故の安定した美味しさが保証されている代物だ。
中央に鎮座する、チョコプレートとその両脇を挟むように設置された二つの砂糖菓子を除けば、だが。
「……ツッコミ入れていい?『祝!二周年&百話到達!』って何。何が二周年で何が百話なんだ」
「あとこの砂糖菓子、どっからどう見ても俺らだよな。自意識過剰とかじゃないよな」
そう、このケーキにはメタいチョコレートプレートと再現度高めのゆるキャラ化した梅吉&青仁砂糖菓子が搭載されていたのである!
「とりあえず、うん。このプレートってあれだよな、お誕生日おめでとう!とかするやつ。ってことはこれもなんかめでたいんだろ、うん。実際姉貴もめでたいって言ってたし」
「……」
「でもオレの誕生日だとしたら、青仁はいらねえし。ボケにしても二周年とか百話とかよくわかんねえし。文言的には漫画とかにありがちだけど、別にオレそんな熱心に追っかけてる漫画とかないしな……?おい青仁、黙り込んでどうし」
「ちっ。流石にパンツは再現されてなかったか。つまんねーの」
「おい待て!!!展開が早すぎるだろ!!!!!」
そして青仁は最悪な方向性においてのみ無駄に手が早い為、即座に梅吉を模した砂糖菓子を持ち上げて底面を確認していたのだった。
「は?フィギュアをしたから覗かないとかもぐりか?ってこの前一茶が言ってたし。つまり俺は悪くない。やってない梅吉がおかしい」
「初手にやる行動としてはパンチが強すぎだろ、せめてもっと段階を踏んでだな……」
「このレベルのデフォルメ加減に段階もクソもないだろ。まあでもそっか、デフォルメだしな。パンツ再現されてないのは仕方ないか」
一切悪びれる様子を見せず、堂々と開き直った青仁はつらつらと言い訳を語る。気持ちはわかる、梅吉だって多分最終的にはやっていたと思う。だが開封直後に及ぶ行動ではない事だけは確かだろう。
「お前デフォルメにエロ求めるタイプ?実は結構上級者だったんだな……近寄らないでほしい……」
「は?心外な。ただの好奇心だっつーの。こんなんで抜ける訳ないだろ。あとお前俺にドン引きする権利とかないから」
「全然あるが……?オレはお前が変な飯食ってる時いっつもドン引きしてるが……?」
「俺もお前がフードファイトレベルの飯をぬるっと完食してるのに常にドン引きしてるから、認めたくないけどそれについては相殺されてると思う」
「くっ……!」
困った、何一つ否定できない。ドン引き要素とドン引き要素の相殺は全くの事実である。いや別に梅吉はほんのちょっと人よりたくさん食べるだけで、特別大食いではないのだが。ところでテレビのフードファイトって意外とぬるいよな。
「でも実際、パンツ除いたらすごい完成度だよな。俺詳しいこと何もわかんないけど、なんか色々細かいし」
「多分こういうの、一茶とかにレビュー任せたら語彙力の限りを尽くしてくれるんだろうけど。オレらに言わせるとなんかすごい、ぐらいしか言えねえよなあ」
青仁を模した砂糖菓子をじいと眺めながら言う。奴のゆるりとした三つ編みもきちんと細かく再現されているそれは、確かに青仁の言う通り凄まじい完成度である。一体誰がどんな目的でこんなものを作ったのか、正直若干怖い。いや姉が持ってきたと言うことは、おそらく梅吉と青仁の写真か何かをケーキ屋に渡してオーダーしたのだろうけど。結局我が姉は何がしたいんだ?
「あ、もう一つ悲しいとこがあったわ。砂糖菓子だから体が寸胴」
「よくわかんねえ粗探ししてんじゃねえよ、ボンキュッボンの砂糖菓子とか嫌だろ。こういうのは簡易的なシルエットだからこそかわいいんだっての」
「梅吉がこの手のかわいさの哲学語ってるとか珍しいな。好きなの?こういうの」
「一般的な美観の問題だっつーの、嫌いじゃねえけど好きでもねえよ」
ニヤニヤと笑ってこちらを揶揄うつもりの青仁には悪いが、梅吉はこの手のものに特別な関心を向けたつもりはない。人並みにかわいいとは思うが、それだけだ。
性転換病のせいで身体的にはそっくりそのまま女の子になってしまったとはいえ、突然その手の細かな嗜好が変わる訳がない。
「ちっ。お前のビジュアルでかわいいもの好きだったらめちゃくちゃ良いのに」
「なんでオレがお前の好みに合わせなくちゃいけないんだよおかしいだろ。んなこと言ったらお前みたいな大人っぽい女の子がかわいいもの好きってギャップは中々に美味しいと思うけど?」
「は?そんな都合の良い世界がある訳ないだろ何言ってんだ」
お互いにご都合主義的テンプレがまかり通る筈もなく。否定し合うだけの結果に終わる。わかりきった結末だ。
「やっぱ現実ってクソだわ。ってことで早く食べようぜ。どうせオレが入刀するんだろ?」
「いちごが無残な姿になって良いっていうならやる」
「(無視)えーと包丁でいいか。ちょっと取って来るわ」
青仁とケーキを放置して、キッチンへと向かう。我が家の調理器具は特別充実していない上に、誰もお菓子を作らない為、十中八九ケーキ入刀用のガチなナイフなんて存在していない。最初から包丁を持ってくる方が早い。
と、ここまでは良かったのである。取り分についても、青仁が「いくら美味しいとはいえホール真っ二つはちょっと……四分の一ぐらいで良いわ」と言った為特別揉める事もなく。事は順調に運んでいくと思われたのだが。
「……目の前にいる奴っぽい砂糖菓子食うの、すっげえなんかこう、気まずい」
「やっぱ食い物ってかわいさ追求するべきじゃねえよ」
ケーキ本体はともかく、砂糖菓子に対して、二人揃って見ている分にはかわいいけど食べ物としてはキツい、という現実に直面していた。
「でも食べ物だしな、食わない訳にはいかないよな……よし」
「お前行くの?度胸あるなあ」
「ほらこういうのは一思いにやったほうが精神的に楽だし。えいっ」
いまだに躊躇しっぱなしの梅吉とは違い、青仁は早々に覚悟を決めたらしい。ずっと手にしたままだった梅吉を模した砂糖菓子を、口の中に放り込む。
ぺろり、と赤い舌が砂糖菓子と薄い唇を撫でる。ゆるりとしたみつあみが似合う美少女がやると、そこはかとなく色気の漂うその仕草を「こいつ無意識かよ怖……」と眺めながら、梅吉は口を開いた。
「……思ったんだけどさ」
「ふぁに?」
「自分の奴食うならそんなにメンタルにダメージ来なかったんじゃ」
「あっ」
見事に後の祭りでしかなかった。
おまけ 自分&知り合いを模した砂糖菓子を出されたら
蜜柑:食べるのめっちゃ躊躇するけどお菓子だし……で渋々食べる。知り合いの物も同様。
緑:普通に食べる。ただし妹を模したものだった場合めちゃくちゃキショ以下略
一茶:普通に食べる。誰のものであろうと気にしない。
椿:普通に食べる。ただし知り合いのものは絶対に食べないし食べれない。