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第88話 交流大使ってなんですか篇2㉜ 吸血鬼、タケオ・フォマルハウト

 *



 ――誰だ?


 純礼はもう相手が誰かも判別できなかった。

 眼球があった場所からは昆虫のような複眼が突き出し、口は上唇と下唇、さらに大顎と小顎にパーツ分けされ、口内には乱杭歯が生えている。服の下はもはや人間の地肌はなく、固い外骨格に覆われつつあった。


「まだ私の声は届いていまして、反町純礼さん。届いているのなら警告いたします。この通路は封鎖しました。投降なさい。今ならまだあなたを人間として扱い、政府が治療行為をしてくれるそうです。ですがそこから一歩でも踏み込めば――殺しますわよ」


 ゾクリと、純礼――だったものに戦慄が走る。

 嘘だ。こいつ、私より強い――!?


 皮肉にも純礼は、ヒトで無くなったことで得られた鋭い感覚器官――あるいは生物としての直感のようなもので、人間のときにはわからなかった、相手の強さに関する情報が得られるようになっていた。


 そうすると目の前の女は――人間じゃない。

 人間よりも遥かに強力な別の生き物だった。


 爛々と輝く真紅の瞳。

 笑みをこぼす口元から覗くのは犬歯――いや、あれは牙だ。


 そして優れた己の複眼を使わなくてもわかる。

 女の全身から赤いオーラのようなものが立ち昇っている。アレに触れれば間違いなく命はない。


 それでも――


「う卯ぅッ、が亞亞亞あAアアあ――!」


 あるいは純礼が、成り立て(・・・・)ではなく、完全変態してしまったあとなら。化け物として、剥き出しの生存本能が働き、この場から即時撤退することを厭わなかっただろう。


 だが、中途半端に残った人間としての理性、あるいは欲望が、愚かしくも目の前の相手に挑むことを選択する。


 何故なら、この女もとても美しく、ヒトを超えた己よりも強い。そしてこの女がいなくなれば、あの三人の小娘も食べられるから。


 純礼が跳躍する。

 女までの距離――十メートル近くが一気にゼロになる。そしてその綺麗な顔面めがけて鉤爪のような前脚を振るう。


 ――キンッ、と鋭い音がした。


 仁王立ちする女と純礼が交差した瞬間、硬い金属の弦を弾くような、そんな音が木霊したのだ。


 ガダンダダン、ガダンダダン……。

 高架の上を電車が通り過ぎていく。

 たっぷりと数秒後、純礼の背後に何かが落ちた。


「ア――……?」


 ドサっと重い音を立てて、背中から生えていた純礼の三本の前脚が地面に転がる。

 ビクンビクンと神経節が残っているためか、激しくのたうっている。その切断面は、まるで鏡面のようにツルンとしていた。


「警告は無駄だったようですね……やはり狙いはあの三人ですか」


 怒りをたたえた声に純礼が振り返る。

 振り返るまでもなく、視野角の広がった複眼はその姿を捉えていたが、人間だった頃の癖で振り返るという無駄な動作をしてしまう。


「な荷、そレ――?」


 女の右腕――手首と肘の間から、紅い光の刃が伸びていた。まるで、夜空に浮かぶ三日月のような形をしている。


 女の瞳はなお禍々しい赤光(しゃっこう)を放ち、口元の牙はもう隠しきれないほど長々と伸びている。


「行かせない――あの子たちには指一本触れさせません!」


 バンッ、と女の足元が爆発する。

 鋭い踏み込み。それだけでアスファルトが弾け飛び、女の身体は瞬きの間で純礼へと肉薄する。


 すれ違いざま、紅い線が(ひらめ)く。


「あア、亞あ亞アアァ――!」


 純礼の身体が(かし)いでいく。

 自分の意思では止められない。


 ドサっと、顔から地面に落ち、その場に立ち尽くす己の下半身が見えた。


 胴の半ばから寸断された純礼は、最後に首を巡らせ、真紅の刃を腕から生やす、あまりにも美しい女を目に焼き付ける。


「ふー……まだ生きてるのかよ」


「――ッッ!?」


 その声を聞いたとき、純礼は激しく動揺した。

 自分が化け物になったことよりも、兄たちを食い殺したときよりも、ずっとずっとショックだった。


「お、戸、仔…………?」


 目の前の女性から発せられたとは信じられない男性の――否、少年の声。消えていく意識の中で純礼は、何が本当で何が嘘なのか、わけも分からず混乱の中で息絶えた。


「――秋月さん、終わりました。後処理をお願いします」


 女――タケオは、スマホで報告をする。

 総務省の秋月楓から連絡を受けたのは今日の夕方近くになってからのことだった。


 おかげさまでマクマティカーズは大好評で、初の屋内ライブを行うこととなった。急遽決まったライブであり、チケットも数量限定販売。


 もともとキャパの少ない500名弱の会場を押さえたが、なんと結果は即時完売。チケットが買えなかった、500人は少ない、もっと大きな会場でやってほしい……などなどの苦情が相次いだ。


 苦肉の策として、オンライン配信のチケットを販売することとなり、それもサーバーの関係で1万人限定にしたものも完売してしまった。


 そして先程、学校から帰ってきたエウローラ、アレスティア、瑠依の三人を連れて会場入りし、さて、ゲネプロに立ち合うか……と思っていた矢先、血相を変えた秋月楓から電話で警告を受けたのだ。


 化け物になった反町純礼がマクマティカーズを襲うかも知れない――と。


「…………」


 タケオは真紅の刃を霧散させると、関係者用出入り口から、控室へと向かう。妹たちを守るためとはいえ、元人間を殺めたのだ。気分がいいはずはない。ないが――


「あ、ようやく来た。どこ行ってたのよあんた」


「お疲れさまですカーミラ会長」


「お疲れさまでーす」


 アレスティア、エウローラ、瑠依。

 ステージ用の衣装を着た三人が出迎えてくれる。


 タケオは、彼女たちの顔を見た瞬間、自分の心が軽くなるのを感じた。


「ごめんなさいね、野暮用が入っちゃって。でももう終わったから」


「ホント? ちゃんとプロデューサーとして舞台袖で私たちのこと見てなさいよね」


「まだデビュー曲しか持ち歌がないのに、ワンマンライブなんて間が持ちません」


「歌は慣れてきたけど、私はフリートークとか、質問のコーナーとかが苦手。余計なこと喋っちゃいそう……」


 アレスティアは自分のパフォーマンスに自信満々で、エウローラの心配事は本来カーミラがしなければならないこと。そして瑠依は歌に慣れてきた(!)などと言い出す。麻痺しただけだ。相変わらずキーを間違えてるから自覚してね、と――


「大丈夫よ、あなた達ならやれる。失敗しても責任は私が取るから。とにかく楽しんでいきましょう」


「「「はいっ!」」」


 元気よく答える三人。

 やがて本番が始まり、三人はステージへと駆けていく。


 その後姿を見守りながら、タケオは決意を新たにする。


 これから、どんなことがあろうとも、例え相手が化け物であろうとも、必ず彼女たちは守ってみせる――と、固く心に誓うのだった。

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