第66話 交流大使ってなんですか篇2⑩ 交流大使プライベートレッスン開始!
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「はい、ワンツーさんしー」
ここはカーネーション六本木本社ビル。
その中にある極秘の一室……というか会長室。
そこで俺はアレスティアと瑠依のレッスンを行っていた。
会長室は本社ビルの最上階に位置し、フロアの大半が会長であるカーミラの執務室とプライベートルームに占領されている。
実は俺が幼少期の大半を過ごしたのがここのプライベートルームだった。
現在アレスティアと瑠依がいる執務室――窓際の執務机と壁際のソファセット以外、広大なスペースがある――の隣にある、家族であっても余裕で暮らせるほどのプライベートルームがある。
オール電化で、リビングにお風呂、さらには仮眠室まで完備しており、俺は生まれて間もない頃、産休明けで仕事に復帰したばかりの母さんに、ここで母乳をもらっていたらしい。
ベゴニアは、買い物がとにかく不便で、おいそれと誰かにお使いを頼むわけにもいかなかったので、なにかあるたびに地上まで降りて、買い出しをしていたとボヤいていた。
そして現在、執務机の目の前では、動きやすい豊葦原学院中等部の体操服に着替えたアレスティアと瑠依が、カーミラとなった俺の手拍子に合わせてステップを踏んでいる。
ふたりとも、上は体操服の半袖に下はブルマ……というものは遥か昔に絶滅していしまった。故に履いているのは短パンである。
膝上くらいから太ももが露出した状態であり、アレスティアの脚線の美しさは言うに及ばず、瑠依も屋上でパンチラしたときのやせ細った印象はもうない。
程よく脂肪と筋肉がついた、実に健康的な太ももだった。うん、この太ももは間違いなく俺が育てた。そして今はダンスに適した脚に改良しようとしているのだった。
「失礼します、そろそろご休憩を挟まれてはいかがでしょうか」
秘書である棚牡丹麗子さんが、入室しながらニコやかに告げた。
レッスン開始から90分が経過していた。
ふむ。初日からあまりやりすぎるのもよくない。
このへんにしておこうか。
「いえ、今日はもう終わりにしましょう。麗子さん、彼女たちに何か飲み物を」
「かしこまりました」
一礼して麗子さんが退室する。
秘書である麗子さんが、来客のためにお茶を用意する給湯室も別に完備してある。
そちらには何ならアルコール類も置かれており、カクテルを作って持ってきてもらうことも可能だ。
「ふう……カーミラ、私たちどうだった?」
タオルで額の汗を拭いながら、アレスティアが問うてくる。
彼女は現在、いつもの髪型であるツインテールを止めて、ポニーテールにしている。
ほっそりとした白い首が顕になっており、実に健康的なエロスを醸し出しているのだが、俺は現在カーミラモードなので何にも感じない。本当だよ。
「そうね、ふたりとも物覚えが早くて実に優秀よ」
そう、意外なことにアレスティアだけでなく、瑠依の動きも悪くなかった。
たまにドン臭いところはあるものの、運動能力自体はなかなかのものだ。
それもそのはず、元々彼女は獣人種なのだ。
獣人種はヒト種族――人間よりも非常に優れた身体能力を持つことで有名だ。
今までは猫耳がバレないよう、縮こまって自分を出さないように生きていた。体育の授業も見学ばかりだったし、その御蔭で同年代の平均より遥かに運動能力が劣っていたが、現在の彼女は違う。
俺がしごいたことを切っ掛けに、長年眠り続けていた彼女の中の潜在能力が目覚めた。さらにそこから自身でトレーニングを継続して行うことで、アレスティアと遜色ないレベルの運動力を身に着けていた。
「はあ、疲れた〜」
だがケロリとしているアレスティアとは違い、瑠依は本当に疲労困憊しているようだ。やっぱりこれ以上無理はさせられないな。
「はい、瑠依」
「あ、ありがとう、アレスちゃん」
ソファに置いてある通学カバン(例の落書きは消去済み)から、タオルを取ったアレスティアが、それを瑠依に向けて放ってやる。
瑠依はおっとっと、などといいながらタオルを受け取ろうとして「ぶべッ!」と顔から転んだ。
「いたッ、いたッ、いたッ!」
顎を押さえて転げ回る瑠依。
ステップの練習ではそれなりに見られる動きだったのに、こういうなんにも無いところで転んだりする。運動能力はあっても、持って生まれた運動センスはイマイチらしい。
「大丈夫、瑠依ちゃん」
俺は急ぎ瑠依の元へ駆け寄り、彼女を助け起こす。
「は、はひッ!」と言って、瑠依は頬を赤くしながら返事をした。
「ぶつけたところを見せてちょうだい」
「い、いえ、カーミラさんの手を煩わせるほどでは――」
「ダメよ、あなたは大事な身体なんだから」
交流大使という意味でも、そして一人の女の子という意味でも。
「まあ、赤くなってる。口の中は切れてない?」
俺は瑠依の口内を観察するため、両側から頬を手で押さえた。
瑠依はウルウルと潤ませた瞳で俺を見上げながら、ポカンと口を開けた。
綺麗な歯並びだ。
過酷な家庭環境にあったのに虫歯の一つも見当たらない。
いや、お祖母さんと長く暮らしていたのだから、その教育の賜物か。
でも犬歯だけは異常に長い。
俺も吸血鬼だけあって長いほうだが、こちらは牙だ。
そもそも血を吸うのと獲物に食らいつく武器として、用途が違いすぎる。
いや、俺は吸血などしない。蝙蝠に変身するとか、聖水に弱いとか、鏡に映らないなどなど……あんなものは絵物語の中だけだ。実際の吸血鬼はとある特性があるだけなのだが……。
「あ、あにょう……?」
「あら、ごめんなさい。幸い口の中は切ってないようね。顎はまだ痛む?」
「は、はい、少し……」
「じゃあ麗子さんに頼んでなにか打ち身の薬でも――」
俺が瑠依の身体を支えながら立ち上がろうとしたときだった。
「ちょっとどいて」と言ってアレスティアが割って入ってくる。
ペシっと瑠依の脇の下に入れていた腕が叩かれ、言外に離れろと言われる。俺は素直に瑠依を床におろした。
「お母様やお姉様、ケイトほどじゃないけど」
アレスティアがそう言うと、ポウっという音を立てて、彼女の手のひらに水色の光が灯る。それは優しく暖かく、そして清廉な輝きだった。
「どう、まだ痛い?」
「え? 痛くない……え、なんで!?」
「あなたそれ……」
間違いない。治癒魔法だ。
魔法世界の魔法師は、四大魔素、炎、水、風、土のいずれかの系統魔法を使う。
特に水精魔法師は、人体に干渉し、自身の魔力による治療と、患者自身の自己治癒力を高めて、内と外から怪我や病気を治すという。
「すすす、すごい、すごいよアレスちゃん!」
「ふん、お母様やお姉様に比べたら私なんて全然よ。あのふたりなら、生きてさえいれば、手足が千切れてるヒトだって完治できるんだから」
手足って。グロい例えだけど、要するにそれくらい私の身内はすごいんだよ、と言いたいのだろう。瑠依は若干引いてしまっているが、それでも打ち付けた顎の痛みが綺麗サッパリなくなっていることには感激しているようだ。
「だから……もう大丈夫だから、この子から離れなさいよ」
「え? ああ、ごめんなさい」
アレスティアはしっしと俺を手で追っ払う仕草をした。
そして俺の視線から瑠依を守るように立ちはだかる。
瑠依は床に座り込んだまま、そんなアレスティアと俺とを交互に見やる。
パチクリとせわしなく瞬きをしていた瑠依の表情に、気付きが起こった。
「え、ええ、えええ〜!?」
違うぞ、違うぞ瑠依。
お前の考えていることは全然違うぞ。
アレスティア、お前こらッ!
純情無垢な瑠依が誤解するだろうが。
俺は今カーミラの格好してるんだぞ。
お前がそんな嫉妬ぽい感情をむき出しにしたら、カーミラとお前が出来てるみたいな雰囲気になるだろうが。




