第40話 交流大使ってなんですか篇① 祖母と母と孫娘
硫黄の匂いが立ち込めている。
ここが草津か鬼怒川、はたまた箱根……というのなら違和感はないかもしれないが、実は東京のど真ん中である。
ビルが整然と並ぶ都心のビジネス街。
とある立体駐車場に、秘密の地下街への入り口があった。
特別な者しか入ることが許されないそこは、日本の政財界の重鎮たちが憩いを求めてやってくる温泉街であり、色街でもある。
そこに、一際毛色の異なる一組の母娘の姿があった。
一人は真っ白い御髪に赤い瞳。
純白の着物を着た、天守閣に匿われるお姫様のような美少女。
もう一人は学生服に身を包んだこれまた美少女。
つややかな黒髪に、アメジストを思わせるような瞳の色をしている。
誰が知ろう、日本四大財閥の一つ、御堂家。
その真の最高当主である御堂百理と一人娘の御堂愛理母娘だった。
「私ここ苦手です」
「おだまりなさい。私もです」
幽玄なる温泉街をゆく二人のうち、愛理がポツリと呟く。
黙れと言いつつ百理の方も肯定した。
ここは御堂家が所有する交遊施設。
しかし百理も愛理も全く趣味ではない。
では誰の趣味なのかと言えば、御堂命理の個人的な趣味によって開放されている施設なのである。
御堂命理。
百理の母であり、愛理の祖母。
かつて人外化生改め方をしていた現御堂家における最古参であり、御年400歳を越えて生きる伝説である。
第一線を退き、隠居した身ではあるが、未だ日本の政財界、特に年配の者に多くの信奉者を持っている。
今日はそんな祖母のもとに、百理は愛娘である愛理を連れてきた。
孫の顔を見せてお茶でも飲もう……という和やかなものでは断じて無い。
いわばこれはお説教の類だ。
「いいですか愛理。あなたの動かせるお金は決してあなただけのものではないのです。御堂に連なる様々な方々の血と汗の結晶なのです。それを私情により勝手に使うなど言語道断。お祖母様からもお叱りがあると覚悟しなさい」
「はい……承知しています」
愛理は先日都内のホテルをまるっと買収した。
都内の一等地、しかも超高級ホテルである。
その価格は十億や二十億では到底たりない。
数百億からのお金が一瞬で消えたのだ。
愛理は母である百理にも無断で、御堂の名前の元、それだけのお金を動かし、ホテルを購入してしまった。
後日そのことを知った百理は当然愛理を叱り、さらには祖母の前にまで連れていき釈明をさせようとしていた。
地下の温泉街は地底湖の上に建設されている。
脚の長い桟橋の下には水が流れる音がし、桟橋は左右に枝分かれして、各種施設へと続いている。
按摩、リラクゼーション、マッサージ、さらにはバー、居酒屋、ビリヤードに、ダーツ。はたまたボウリングやカラオケ、さらには性的なサービスをする施設や、賭博場まで存在する。
まさに大人のための娯楽施設。
そこを歩く、まるで姉妹のような母娘の姿は一際目を引いたが、相手はあの御堂百理――御堂財閥の裏の当主であり、16年前の大災害で日本を救った英雄の一人と知っているものは、誰も声をかけようとはしない。
ただ彼女の邪魔にならないよう、道を譲り、深々と会釈をするばかりだった。
「さあ、着きましたよ」
「はあ……やっぱり入らないとダメですか」
目の前には『湯』と書かれた大きな暖簾がぶら下がっている。
命理が根城としているのは施設の最奥にあるのがこの銭湯だった。
命理に嘆願を求めるものは、彼女と混浴をしなくてはならない。
男だろうが女だろうが、老いていようが若かろが関係がない。
身も心も全て裸になり、己自身をさらけ出せるものにしか、彼女は耳を貸してくれないのだ。それは例え実の娘と孫であっても変わらない。
「お祖母様のお風呂は熱すぎます。何故会談するとき一緒にお風呂に入らなければならないのか。理解に苦しみます」
「その意見には同感ですが……愛理、あなたは許しを請う立場なのですよ。今からそのような態度ではいけません」
「はい……」
愛理は明らかに不満そうな顔だった。
心から服従したわけではない。
腹の下では背いている。
そんな表情だった。
「はあ」とため息を零しながら百理は、暖簾をくぐり、早速湯殿に入るべく帯を解こうとする。しかし――
「失礼いたします。命理様が奥の座敷にてお待ちです」
「はい?」
女中の一人がパタパタと――着物を脱ごうとしている百理を止めるため――やってきて、早口でそう伝えてくる。
「ですって。良かったですねお母様。さあ参りましょう」
「むー……私のときはそんなこと一度もしてくださらなかったのに……!」
頬を膨らませて不満を表明する百理は、とても一児の母とは思えないほど、可愛らしく、また子供のように見えるのだった。




