第38話 異世界シスターズ篇⑮ 過去の記憶と男の覚悟
*
俺はバカだ。
大バカものだ。
アレスティアは俺の正体なんて知っちゃいなかった。
俺が四代目カーミラとして女装している事情なんて知りもしなかった。
単に彼女は幼い頃、俺と出会ったことがあっただけであり、その時の俺はまだ地毛と素顔のままだったから、現在のザンバラ髪と伊達メガネに違和感を覚えて指摘してきただけだったのだ。
それなのにも関わらず、俺はてっきり、四代目カーミラの姿がバレているものだと思い込み、デートをしてしまった。
あああ、やってしまった。自分の妹にぜーんぶバラしちゃった。
彼女からすれば地球にいる兄が突然したり顔でフルメイク&女装姿で現れてさぞやびっくりしたことでしょうね。あは、あはは、あはははは……!
「ちょっと、声を上げず泣き笑いするのやめて、怖いから……!」
周りから誤解されるでしょう、とアレスティア。
確かに。周囲の客からヒシヒシと視線を感じる。
給仕もコーヒーのおかわりを注いで良いものか迷っているようだ。
「はああ……俺はなんてバカなことを」
「本当にそうね」
ぐうぅ。何も言い返せない。
勝手に思い込んで、勝手に突っ走って、そしてしなくていいネタバラシまでしてしまったのだから。
「でも俺には……申し訳ないが、俺はお前と会った記憶がない……」
幼少期に既知を得ていたのなら、それは所謂幼馴染というやつではないだろうか。
だが俺の中には覚えがない。というか子供の頃にこんな綺麗な女の子に出会っていたら絶対忘れないだろう。
「ええ、だってそれは、あんたが事故に遭う前のことだもの」
「なんだって?」
事故。それは俺が幼少期、母と一緒に巻き込まれた事故のことに他ならない。
「あれは何度目かの地球旅行前日の夜のことだったわ……」
*
幼いアレスティアにとって、地球という別世界はまさに夢のような世界だった。
王都すら及びもつかないような大都会・東京に旅行することは、当時のアレスティアからしてもとても楽しみな行事の一つだった。
明日は家族全員で地球旅行。
お父様と三人のお母様、妹と弟と一緒にディズニーランドに行くのが楽しみでしょうがなかった。
だが旅行前日の夜、興奮しすぎて寝付けないアレスティアは、ポツンと寝室に一人ぼっち。「ねえ、ローラ、起きて」と妹に声をかけるも、「うーん、むにゃむにゃ」とぐっすり夢の中。寂しくなった彼女は、深夜に母たちの寝室に向かった。
そこでアレスティアは衝撃的な光景を目撃してしまう。
なんと、魔王と崇め称えられる絶対者であるはずの父が、三人の母たちを前に頭を下げている光景だった。
「あのときのお父様の姿は今でも目に焼き付いてるわ……」
「お、おう、そうか……よかった」
緊張していた俺はホッと息をついた。
「よかったって何が?」
「いや、こっちの話……」
てっきり夫婦の夜の営み的な光景を見たのかと思ってドキドキした。
いや、そんな光景を幼き日に目に焼き付けたのなら、今頃アレスティアはこんな無垢な子に育ってないか。
「よく聞き取れなかったけど、お父様は頭を下げながら、地球で別行動を取りたい、会っておきたいヒトがいるんだ、って言ってた。それで私ピンと来たの。あ、これは浮気相手に会いに行くんだって」
「……いや、もうどこから突っ込んだらいいのか……」
異世界で魔王と言われているクソ親父。
だが世にいる多くの夫婦と同じく、奥さんの前では立場が弱いようだ。
親父が頭を下げてる情けない姿。俺も見たかったなあ。
いやいや、それよりも当時アレスティアは何歳だよ。
たったそれだけの会話で浮気を看破するなんて。
「家族の一人にオクタヴィアっていてね。私とエウローラは、物心つく頃から、よく男女の恋愛テクニックを教えてもらってたのよ」
物心がつく年齢って……4歳くらいか?
絶対それ幼児教育によくないぞ。
「地球旅行当日、お父様は案の定一人だけ別行動を取ったわ。他のみんなはディズニーランドに。私も本当は行きたかったけど、でもお父様を尾行することにしたの」
幼児アレスティアの行動力よ……。
でも、よく考えてみれば、父親が母以外の女と会うと知れば、それは子供にとって一大事だ。そのせいで家族が崩壊してしまうかもしれないんだから。
「そして私はお父様の浮気現場を押さえたの」
アレスティアは言う。
父親との待ち合わせ場所にやってきたのは、今の俺の姿と瓜二つの美しい女性――と、もうひとり。
「お母さんに連れられてやってきた、すごく綺麗な女の子……ううん、男の子。それがあんたよ」
そうか、かつてそんなことが……。
その後、「ばかー、おとうさまのうわきものー!」と現場に突撃したアレスティアに、くそ親父は大層驚き、慌てふためいたそうな。
動揺する父親を問い詰めようとしたアレスティアだったが、次の瞬間、彼女の小さな身体は横から掻っ攫われていた。
「すごい! 可愛い! さすがセーレスちゃんの娘ですわ! もう食べちゃいたい!」
母さん……。
なんだか、そのときの光景がまざまざと目に浮かぶ。
顔だって今ではもう、よく覚えていないのに。
でも実に母さんらしいリアクションだと思ってしまった。
「その日はとっても楽しかったことを覚えてる。私とあんたと、お父様とカーミラさんで、まるで本当の家族みたいに街を歩いて、ショッピングして、ごはんを食べて……でも」
昔を懐かしむように遠い目をしていたアレスティアの表情に影が差す。
「魔法世界に帰ってすぐのことだった。あんたがカーミラさんと一緒に事故に巻き込まれたって聞いて……私はすぐに会いに行こうってお父様に言ったんだけど、絶対ダメだ、面会謝絶なんだって言われて……あんなに怖いお父様、初めてだった……」
「…………」
その後、幾度アレスティアがせがんでも、俺との再会が叶うことはなかった。
カーミラが亡くなり、俺もまた事故のショックで記憶を失ったのだと聞いて、幼いアレスティアは、悲しかったけど、納得するしかなかったという。
「あんたのことは……正直一度も忘れたことはなかったわよ。あんたが私のことを覚えてなくてもね……」
「アレスティア……」
幼いアレスティアにとっても、その時の思い出は宝石のようにキラキラと輝いたまま。でも、事故があったせいで暗い影を落とし続けている。
「地球に行くことが決まって。あんたに再会できるって、嬉しかった。なのにあんたは……普段あんな格好で自分を偽って、でも今はそんな格好して……どうしてなの?」
来た、と俺は思った。
給仕が三杯目のコーヒーを注いでいったのを見送りながら、俺は居住まいを正す。
そしてことさら真剣な表情でアレスティアを正面から見据えた。
「聞いてくれアレスティア。俺がこんな格好をしているのには理由があるんだ」
カチャっと紅茶の入ったカップを手に取りながら、アレスティアはそれを口元に運ぶ。ソーサーの上にカップを戻すと、無言の視線が先を促してきた。
「母さんが遺したカーネーショングループという大企業は、母さん……カーミラという象徴が必要不可欠なんだ」
カーミラという存在を心の支えとし、国内外の社員たちが、日夜働いてくれている。そんな社員たちの生活を守るため、そして外敵から守るためにも、俺は生まれ持ったこの容姿を使い、四代目カーミラとなることを決断したのだ。
「俺がこんな格好を始めたのは、最初はもちろん、育ての親に頭を下げられたからだった。食べたいものも食べず、ずっと食事制限とトレーニングをして、鏡の前でメイクをする……なんで俺がこんなことをしなくちゃいけないんだって思ったよ……」
でも、それでも――
「それでも俺は母さんが築き上げてきたものを守りたい。そのために俺が犠牲になるくらい構わない……そう思ってるんだ」
「そっか……」
アレスティアは静かにそう呟いたきり、押し黙ってしまった。
随分ぬるくなってしまった紅茶を飲み干し、「ふう」とため息を一つ。
俺はその間、ずっと心臓がバクバクしっぱなしだった。
ど、どどど、どうしよう。
なんか勝手にカッコつけたこと言ってみたけど、俺が男のくせに女装してるのは事実だし、それが女の子にとってみれば相当に気持ち悪いことも理解できる。
なんとか俺の女装のことだけは胸の中にしまっていて欲しくて、豪華ディナーを食べながら、正直に話して見たけれど。拒絶されて異世界に帰られちゃったらどうしよう……。
「オクタヴィア……」
「え?」
「当時は難しい話も多くて、半分も理解できなかったんだけど……」
ああ、子供に恋愛テクニックを語るっていう。それってちょっとどうなんだろう?
「オクタヴィアはね、そういう種族で……だんだん記憶を失って、精神が子供になっていくことが決まっていたヒトだったの。身体は大人なんだけど、心が完全に子供になっちゃって。今では私たちの方がお姉さんみたいなんだ」
そ、そうなのか……。じゃあもしかしたら、お前たちが子供なのは十分承知の上で、自分が持っている知識や経験を、できるだけ早く伝えたかった……ってことなのか。
「で、いつか彼女が言ってたのよ。男が一度こうと決めて始めたことを、女はごちゃごちゃ言わず黙って見守ってやれって。あれって……まあ、こういうことなのね……」
ふっ、とアレスティアは笑った。
それは全てを受け入れたような笑顔だった。
俺はそれだけで全てを察した。
つまり許されたのだと。
はああ〜、よかったあ……。
「あ、でも」
ニヤリ、と次の瞬間、アレスティアは悪魔のような笑みを浮かべた。
「あんたがそういう格好してるってのは、わかった。黙っててあげる。でも、私が見たいって言ったら、いつでもどこでも、必ずその格好をすること。いいわね?」
「えええっ!?」
いつでもどこでもって、つまり、学校や荘厳荘の部屋で俺が女装させられる可能性があるってことなのか――!? それはいくらなんでも身バレするリスクが高すぎるぞ――!
「じゃあまたこういうホテルに連れてきてよ。そこでまたデートすればいいでしょ?」
「おま、ここのディナーいくらすると思ってんだよっ!」
俺の鋭いツッコミに、アレスティアは笑った。
そうしていると本当に天使のような笑顔だと思った。
*
「さて、悪いんだけどまた先にロビーで待っててくれるか?」
ディナーも終わり、アレスティアの説得も成功した。
今日はもうお開きにして荘厳荘に帰るとしよう。
「先にって、あんたはどこに行くの?」
「いや、着替えてくるんだよ。この格好じゃ帰れないだろ」
ここよりずっと下のフロアに客室を取ってある。
そこでメイクを落として、黒髪と伊達メガネを装着しなければ――
「私も行く」
「は? 来てもなにもないぞ?」
本当に着替えて荷物をまとめて帰るだけである。
「さっきあんなことがあったのに、私にまた一人で待ってろっていうわけ、あんたは……!」
いや、でも……確かにそうか。
アレスティアを一人で待ちぼうけさせるとろくなことがない。今朝の上野駅でもパニック寸前だったし、さっきのトラブルみたいに、よくないのに絡まれる可能性もある。
「そ、それに、滅菌消毒しないと」
「え?」
「あのおっさんに腕、掴まれたから、私もその、シャワー浴びたい……!」
い、いや、お前それは、男の部屋でシャワーって、よくないぞそういうの――
「ねえ、ダメ……?」
エレベーターに乗り込みながら、彼女は俺の腕を抱き、もたれかかるように身体を預けてきた。
アレスティアの顔が真っ赤になっている。
翡翠の瞳がウルウルと見上げてくる。
ゴクリ、と俺は生唾を飲み込んでいた。
どうする、どうするんだ俺――!?




