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第36話 異世界シスターズ篇⑬ 水の精霊娘が恋に落ちる瞬間

 *



 レースが散りばめられた真っ赤なアフタヌーンドレスに身を包み、背中の中ほどまである長いゴールドブロンドは、光の加減によっては薄桃色に輝いて見える。


 ヒールを履いた身長は180センチ近くもあり、均整の取れたプロポーションと合わせて見れば、スーパーモデルと言って差し支えない。


 瞳の色は妖しい光を湛えた(あか)

 唇に纏うルージュもまた(くれない)

 ニコリとつり上がった口元からは、一際長い牙のような犬歯が覗いている。


 セレスティアを助けてくれたのは、そんな大人の魅力溢れる美しい女性だった。


「な、なんだぁ、またとんでもないべっぴんが……へへ、こっちのガキより、お前の方が好みだな。いいぞ、飯おごってやるからお酌してくれよ……!」


 酔っ払っているためか、男の判断能力と思考力は著しく低下したままだった。

 もはや状況はそれどころではなく、あとは如何に時間を稼ぐかにかかっている。


 放っておいてもこの中年男には社会的制裁が下り、破滅することは必至。

 だが麗人――女性はそれだけでは済まさなかった。


「お酌ですって? 申し訳ないけど、私は高いですよ。あなた程度がペイできるお店のホステスと一緒にしないでくださる?」


「あんだとぉ? ――いでででッ!?」


 ネイルで彩られた美しい爪が、皮下脂肪満載の腕に食い込んでいる。

 中年男はたまらず手を開き、アレスティアを解放した。


「あらやだ、汚い。あとで手を滅菌消毒しないと」


 中年男を離した女性は自分の手を見つめたあと、明らかに侮蔑の表情を浮かべる。その仕草でさえも堪らなく妖艶だった。中年男は自分の腕を抑えながら、ゴクリと喉を鳴らした。


「い、いいぞ、気に入ったぞ、気の強い女は好きなんだ……こうなったら無理矢理にでも言うことを聞かせてやる……!」


 言いながら中年男は全身を使って飛びかかる姿勢を見せた。

 アレスティアが目を剥く。周囲の客たちも騒然となる。


 だが獲物と見定められた女性本人だけは「ふう」とため息を一つ、その場にて軽く手を振った。それだけだった。


「ぶべッ!」


 飛びかかろうとしていた中年男が床に口づけをしていた。

 大理石でできた床には傷一つなかったが、男の方は前歯が根こそぎ折れ、出血しながら悶絶していた。


「あらあら、レディや衆人環視の前でズボンを下ろすなんて。どこまでも見下げ果てた男ね」


 そう、中年男の下半身はパンツ一丁になっていた。

 落ちたズボンに足を取られ、男はその場に顔面からダイブしたのだ。


 だがアレスティアは見ていた。

 男が自らズボンを下ろしたのでは断じてない。


 彼女から見てもそれは異常な光景だったが、突如として男のベルトが切れたのだ。突き出た下っ腹のせいで千切れたのではなく、まるで鋭利な刃物で切られたようにベルトは切断されていた。


「こ、この、よくも――もう許さないぞ!」


 顔を抑えながら中年男はそのようなことを言うが――タイムアップだった。


「もしもし、許さないってどういうことです?」


「そうです、救急車の手配をお願いします」


 中年男の背後には警察官二名と、先程のボーイを携えた老紳士が立っていた。


「ち、違う、私は被害者だ! 私は何もしてない!」


「そんなわけないでしょう。状況から見て暴行とわいせつ行為の現行犯だよ」


 警察官に押さえつけられながらも男は散々に言い訳を始めた。

 だが防犯カメラの映像もあるだろうし、何より周囲から続々と男の悪業についての証言が得られることだろう。


「失礼、丸の内警察署のものですが、被害者の方ですよね。署までご同行願えますか?」


「お断りします」


 警察官たちが「え」という顔になった。

 女性はなんら悪意のない朗らかな笑顔で言った。


「私たちは見ていただけです。特に何もされていません」


「いえ、ですが――」


「それに私たち、これからディナーですの」


 警察に協力するよりも遥かに大事なこと、とでも言うように、女性は笑顔で答えると、アレスティアを支えて立たせる。労るように優しく、彼女の肩や腕、そして腰に手をやり、乱れた髪を愛おしげに手櫛で整えている。


 そうされるだけでアレスティアは、まるで母親にあやされているような安心感を覚え、ポーっと彼女を見つめてしまった。


「大丈夫そうね」


「え、う、うん……」


 アレスティアの手を取り、ニコっと微笑む女性。

 警察官はまだ何か言いたそうだったが、そこで初めて老紳士が口を開いた。


「こちらは何も問題ございません。どうぞお食事をお楽しみくださいカーミラ様」


「えッ!?」


「なッ!?」


「はあッ!?」


 警察官ふたりはおろか、中年男も、そして周囲の客たちにも衝撃が走った。

 それは日本人の中に深く浸透している偉人の名だったからだ。


 戦後の経済復興の一翼を担い、これまでにも様々な社会貢献や奉仕活動に従事する世界に誇るべき日本発祥のビューティーカンパニー。


 その偉大にして美しき会長――カーミラ・カーネーションの名は、誰もが知るところだった。


「ええ、総支配人。あとはよろしく頼みましたよ」


 老紳士は深々と(こうべ)を垂れ、女性――カーミラは「みなさん、ごきげんよう」と背を向けた。


 未だ呆然としながらカーミラを見上げるアレスティア。

 その完璧な所作と佇まい、そして纏う雰囲気はそう、まるで母たち(・・・)のようだと思った。


 即ち、異世界に於いて比肩するもののない、水と風の精霊魔法使いであるアレスティアの母と、エウローラの母。その二人と同じ超然としたものを彼女は感じていた――


「おい、本当に大丈夫か?」


「――ッ!?」


 エレベーターの扉が閉じた途端、あれほど綺麗だったソプラノボイスが、聞き慣れた男性の声に変貌する。


 長身からアレスティアを覗き込む赤い瞳。

 それは分厚い眼鏡越しにいつも見ていた瞳に相違ない。

 タケオだ。紛れもなく。タケオ・フォマルハウト本人だった。


「すまん。上の階に個室を取ってて、そこで着替えてたんだが、メイクに時間がかかりすぎた。いや、何せお前とディナーだろ、気合いが入りすぎたんだ。そのせいでまさか――」


 あんなことになっていようとは。

 最初に見たときは目を疑ったとタケオは言う。


「でもすぐにわかったぞ。お前倒れてたヒトのために立ち向かったんだな。偉い、ホントすごいよ」


「〜〜〜ッ!?」


 今のタケオはクソダサいざんばら黒髪、分厚い瓶底眼鏡姿ではない。

 同性であるアレスティアでさえ見惚れてしまうほどの美貌を持っている。


 そんな綺麗な顔で屈託のない笑顔を向けられたら……しかもそんな風に我が子を褒め称えるように絶賛されたら――


(ヤバイヤバイヤバイ…………マジでなんなのこいつ!)


 ギュンギュンと全身の血管をすごい勢いで血が巡っているのがわかる。

 心臓が痛いくらいドコドコ鳴って、指先がズキンズキンと痛むほどだ。


「おい、本当に大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ? ホテルの部屋で休むか?」


「休む!? ご休憩!? な、何する気よッ!?」


「いや、だから休憩するんだろ?」


「エッチ! 変態!」


「なんでだよ!」


 アレスティアは照れ隠しにタケオに思いっきり肩パンをするのだった。

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