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第35話 異世界シスターズ篇⑫ ホテル・トラブル・美しいヒト

 *



「え……どうして、どうしてなのお父様! どうしてあいつにもう会えないの……!? お兄ちゃんが大変な目に遭ってるなら、それこそ今行かなきゃダメでしょう! 私たちは家族じゃないの……?」



 *



 アレスティアは怒っていた。


「あいつ……もう、ホンっと腹立つ……!」


 彼女が今いるのはホテルのロビー。

 ガーデンレセプションと呼ばれる憩いの空間だった。


 広い空間。

 高い天井。


 ゆったりとしたソファセットがいくつも並び、めいめいの人々がくつろいでいる。


 そんなロビーの中央には四角く切り取られた大きな水鉢があり、あたかもインフィニティプールのようなデザインだ。真ん中の台座にはオブジェとして大きな生花が飾られている。


 その前で一人、アレスティアは待ちぼうけを食らっていた。

 もう何時間……何十分……いや、実はまだここに来て数分程度しか待たされていないのだが、別に待たされていること自体に怒っているわけではなかった。


「あいつ、何がホテルよ、いきなりそんこと言うから私てっきり――」


 言いかけて口を噤む。

 しばしの沈黙……。

 そして突然「ボッ」と着火したように顔を赤くする。


「てっきり、てっきり……もうっ!」


 そう、アレスティアは誤解してしまったのだ。

 男性からホテルへ誘われるその意味。

 額面通りではない、裏の意味も、彼女はちゃんと理解していた。


 つまりアレスティアは――


(て、てっきり今晩こ、子供、作るのかと……!)


 男性からホテルに誘われる意味は婚前交渉……男女の営み的なものだと彼女は思った。


 言われた瞬間、アレスティアの意識は宇宙まで飛んだ。

 だがすぐさま意味を理解し、まともにタケオの顔が見られなくなった。


 地球ではこれが普通なの?

 なんなのよこいつ。奥手っぽくて、そういうの鈍そうなのに、いきなり大胆に誘ってくるじゃない……! などとも思った。


 アレスティアは魔法世界(マクマティカ)換算では15歳。

 もうすでに元服……成人している歳である。


 彼女の生家である龍王城があるダフトン市には、最近最高高等機関――地球で言う大学ができ、卒業後は高級職にありつけるとして皆が入学を目指している。


 その一方で元服年齢が15歳なのにも関わらず、上級学校入学のために結婚をしない若者が増えており、婚期の遅れ、出生率の低下が懸念されている。


 そんな国を統治する父親の元で育ったから……というわけではないが、異世界ではアレスティアも十分に適齢期なのである。結婚を意識する年齢であり、女性なら妊娠・出産も当然意識しているのだ。


 しかもアレスティアはわざわざ、許嫁に会うために地球に来ている。

 そんな相手からホテル=逢い引き宿に誘われたら、自分は今夜、大人の階段を上ることになるんだ……と勘違いしてしまうのも無理はない。


「こっちはタクシーの中で一生懸命覚悟決めてたのに、それなのに――」


 三十分ほど前。

 大手町のラグジュアリーホテルに到着するなりタケオは言った。


「じゃ、向こうのドレスルームで着替えてきて」


「き、着替え……ちょっと待って、あんたはその、ど、どういうのが好みなの?」


 二人が初めてを迎えるための衣装である。

 どんなドレスだって着こなす自信と美貌がアレスティアにはあるが、それでもタケオのためにできるだけ好みに近いものを選びたい。


「いや、今日の服装と同じく、明るいグリーン系が似合うんじゃないかお前の場合」


「そ、そう、そいうのが好きなのね?」


「好きっていうか、お前のその翡翠の瞳によく似合ってる」


 ――似合ってる。似合ってる……似合って……似……。


 ぱあああ、っとアレスティアは顔を輝かせた。

 母親譲りの瞳を褒められることは彼女にとって無常の喜びだった。


「まあでもそんなに固く考えなくていいぞ。ただ単に飯食うだけだし」


「へ……?」


 ホテル行きを告げられたときと同じ、ひどく間抜けな声が出た。


「め、飯……? 飯って、食事……?」


「そう、ディナー。シティホテルのレストランなんだから正装するのは当然だろ?」


「へえ、ああ、そう」


 ……などということがあったのだ。

 一人で勝手に勘違いして覚悟完了していた自分が恥ずかしい。


「ああもう、思い出しただけでムカムカしてきた……!」


 去り際のタケオのあの顔。

 アレスティアのことなんて、なんにも意識してなさそうな表情だった。

 こっちはこんなに心臓バクバクさせるというのに……!


「それにしても遅いわね……」


 アレスティアが到着してからもう間もなく10分が経過しようとしていた。


 現在の彼女はドレスルームでレンタルした薄緑色のイブニングドレス姿である。

 襟元、袖が露出しており、白く透き通るような肌と、金色に輝く髪との対比が美しい。


 スマートカジュアルな格好であっても、それが極上のドレスに見えてしまうのは、彼女が王族の娘であるが故か。はたまた異世界においてはその美貌と実力を絶賛される精霊魔法使いの娘であるが故か。


 とにかく今の彼女は目立った。

 まるで彼女が立っている水鉢の側に、一筋のスポットライトが当たっているかのように、衆目を集めている。


 ラウンジで時間を潰したり、待ち合わせをしていた利用客たちにとっては、突然目の前に見たこともないような美少女がドレス姿で現れたのだ。チラ見るなという方が無理な話である。


 だが、当の本人は、そんなことなど全く意に介していなかった。

 というかそれどころではなかった。


「って、パッと目についたからこれに決めちゃったけど、別にあいつの好みに合わせたわけじゃないんだから……!」


 本当にそう。

 あんなヤツのことなんて全然ちっとも意識してない。


 許嫁の件だって、お父様とお母様から言われたから仕方なく受け入れただけ。

 そんなことよりも、エウローラと一緒に地球で生活する方が全然楽しみだったんだから。


「そうよ、あんな地味なヤツなんて……」


 わざわざ本当の自分を偽り、あんなダサい格好をしているヤツのことなんて好きでもなんでもない。


 今に見ていろ、どうせ似合いもしないスーツ姿で来るに違いない。

 もしくは学校の制服かも。ぷぷぷ。そんな格好でノコノコやってきたらスマホで撮影して、エウローラと一緒に笑いものにしてやる。


「ふん、私に恥をかかせて……絶対許さないんだから」


 さて、待ち時間はそろそろ十五分になろうかというところ。

 いい加減タケオのスマホに一報を入れようか、そう思っていたときだった。


「お客様、困ります、周りのご迷惑になりますので――」


「うるさい、俺の勝手だろう……!」


「部長、やめてください、帰りましょう……!」


 そんな声が聞こえてきた。


「何……?」


 アレスティアが目向けると、開きっぱなしのエレベーターの前で、ボーイと若いスーツの男が、一人の中年男性に絡まれている。いや、あれはくだを巻く男をボーイと若いのが取り押さえているのか。


「全くバカにしやがって……誰のお陰で結婚できたと思ってるんだ。最近の若いヤツはすぐ恩義を忘れやがって……!」


 傍目にも中年の男の顔は真っ赤で、酷く酔っ払っているのがわかった。

 ドンドン、とわざと床を強く踏みしめながら、男が歩いてくる。

 サッと、ラウンジ全体に緊張が走った。


「わかりました、わかりましたから、今日はもう帰りましょう、ね?」


「うるせー! このままで収まるか! やっぱりもう一度行って、思い知らせてやる……!」


 どうやら上のフロアで結婚式が行われていたらしい。

 男は新郎か新婦か、どちらかの上司であり、式に参加していたが、悪酔いして顰蹙を買い、会場を追い出されたようだ。


 どこにでもいるのね、ああいうのは……とアレスティアは思った。

 以前にもレイリィおば様のパーティに出席するため、ヒト種族の王都に行ったことがあった。


 貴族の中に、あんな風にプライドが高くて、ちょっとしたことですぐに周りに怒鳴り散らすバカがいた。


 そいつは後に、女王陛下だったおば様からキツイ制裁を食らったらしいが……。


「部長、もう本当に勘弁してください……!」


「この、さわるな、離せ……!」


 中年男を羽交い締めにした男性の顔面に肘が入る。

「うッ」と顔を抑えて蹲る男性に、中年男はあろうことか蹴りを入れた。


「このッ、どうせお前もッ、俺を馬鹿にしてるんだろう……!」


 激昂した中年男は、若い男性に容赦ない蹴りを連続で叩き込む。

 ホテル内が騒然となる。ボーイはオロオロとしたあと、応援を呼ぶためか、すっ転ぶようにその場を離れて行った。


 その間も中年男の暴力は続く。

 止めるものは誰もいない。

 若い男性は腹や顔面を何度も蹴られ、うめき声すら上げなくなって――


「いい加減にしなさい!」


 肉を抉るおぞましい音だけが響く空間に、凛とした声が舞い降りた。

 険しい表情をしたアレスティアだった。


「事情は知らないけど、お前の怒りには正当性の欠片もないわ。イタズラにそのヒトを傷つけるのはもうやめなさい」


「な、なんだこの娘は……!?」


 気色ばみながら振り返った男は、アレスティアの美貌と迫力に、ギョッとしながら仰け反った。


「どきなさいよ」


 キッとアレスティアが睨むと、ササッと中年男が場所を譲る。

 アレスティアはピクリともしない男性の顔に手を当てる。


(外傷がほとんど。頭部にダメージはないけど、酷いわね……)


 男性は鼻血、そして唇が切れて出血していた。

 硬い革靴の底で容赦なく踏まれたのだから当然だ。


(お母様やお姉様みたいな完璧な治療はできないけど、痛みを和らげるくらいなら……)


 アレスティアの母親は魔法世界(マクマティカ)で一番の治癒魔法師。

 生きてさえいればどんな病や怪我もたちどころに治すとして『聖女』の異名さえ持っている。


 母親ならこんな怪我、あくびを一つする間に治してしまうのだが、アレスティアにはまだそこまでの治癒魔法は使えない。


「う……うう……」


 手のひらに魔力を集中させ、相手の自然治癒力を高めながら治療していく。

 青あざだらけだった男性の顔色が若干良くなる。しかし――


「なにしてんだコラっ」


 グイっといきなり肩を掴まれた。

 治療に専念していたアレスティアは全くの無防備。

 そのままよろけて尻もちをついてしまう。


「この、いきなり何す――」


「おー、よく見ると偉いべっぴんだなあ」


 顔を上げた途端、脂ぎった顔面がすぐ至近にあった。

 はあ、と吐きつけられた息は大層酒臭かった。


「よっしゃ、おじさんが(めし)おごってやる」


「はあ? いい加減に――」


 拒絶の言葉を言うより早く、中年男はアレスティアの手首を掴んで引っ張った。


 どんなすごい魔法が使えても力は普通の女の子。

 さらに小柄なアレスティアに抗うことは難しい。


「やめっ、離しなさいよ!」


「なんだあ? せっかくおじさんがご飯食わせてやるって言ってんのに、生意気だな。チューしてやろうか」


「ひッ」


 再び脂ぎった顔が近づく。

 アレスティアはあまりの気持ち悪さと恐怖からとっさに目をつぶることしかできない。


 だが、その時だった。


「ねえ、おじ様」


 背後から声が掛けられる。

 細くてしなやかな女性の手が、アレスティアを掴む男の手首を万力のように締め上げていた。


「その子は私の大切な連れなんです。いい加減にしてもらえませんか?」


 ゴールドブロンドの麗人が獰猛な笑みを浮かべながらそう言った。

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