第18話 シェアハウスの管理人篇② 一人暮らしの条件
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「今帰ったぞ〜」
酔っ払った、ろれつの回らない声が、玄関の方から聞こえてくる。
というかこの家の玄関からリビングにまで聞こえるってどんだけの大声なんだか。
声の主はドダドダと下品な足音をさせながらこちらに近づいてくる。
俺は調理の手を止め、冷蔵庫からミネラルウォーターの取り出すと、グラスになみなみと注いでからドアの前で待ち構える。
「おお、我が息子よ、母を出迎えてくれるとはしゅしょーな心がけ……愛してるぞー」
「ざけんな、酒臭いんだよ、近づくな!」
手を広げながら唇を寄せてくる母親に、俺は精一杯の悪態をついた。
照れ隠しなどではなく、本当に臭かったのだからしょうがない。
「そ、そんな……お母さんになんて口をきくんだ。ああ、カーミラ様、タケオが不良になってしまいました……申し訳ありません……!」
シクシクと直立不動のまま涙を流すのは俺の母親。
名前をベゴニアといい、まあ、本当の母親ではない。
育ての親ってところだ。
本当の母親は俺が五歳の頃に亡くなったらしい。
というのも、俺には当時の記憶がなかった。
何か大きな事故に巻き込まれ、俺だけが奇跡的に助かったのだ。
それ以来、俺はこのヒト、母親の部下だったベゴニアに育てられた。
「まーたしこたま飲んできて。いい加減歳を考えろよ歳を」
「ふん、女の年齢を持ち出すとは男の風上にも置けない奴め。親の顔が見たいものだ」
「今すぐ風呂場行って鏡見てこいバーロー」
俺と育ての親の距離感は大体こんなものだ。
気のおけない相手、という意味では大分年の離れた姉と弟と言っても過言ではない。
俺に言い負かされて憮然としていたベゴニアだったが、突然顔をニンマリとさせると、「ふっ、くくく」と笑い出した。
「なんだよ気持ち悪りーな」
「いやいや、そんな生意気なことを言っても、昼間はあんなすまし顔で演説してたと思うと……無性に笑えてきてな」
「くッ――てめえッ!」
頭から水ぶっかけてやる、とグラスを振りかぶった瞬間、大きな手が高速で伸びてきて、スパンとグラスを奪われる。ベゴニアは「ゴッ!」と中身を一息で飲み干した。
「ふう、美味い。おかわり」
「知らん。自分で汲んでこい」
ベゴニアは俺より背が高い。
身長178センチの俺が見上げるばかりだ。
本人は頑なに189センチと言っているが、どう見ても2メートル近いと思う。
顔立ちは彫りが深く、女性なのに男前な感じだ。
なんでもロシア人と日本人のハーフだそうで、髪型は黒のショートカット、前髪の左部分だけ、白くメッシュが入っている。
体格は身長に負けず筋骨隆々で、スーツの上着を脱いでシャツ一枚になると、その異常なまでに発達した筋肉がよく分かる。
「なんだ、舐め回すように母を見つめてからに。そうか、お前も思春期の男の子だ、仕方ない。キスの手ほどきくらいは母がしてやろう」
「だーッ、ちがッ、酒臭いって言ってんだろう!」
2メートルの上背が天井から覆いかぶさってくる。
俺はつい本気で抵抗してしまう。
「お?」
カクン、とベゴニアの膝が抜けた。
そうだ、こいつ今泥酔してるんだった。
ベゴニアの身体は寄りにも寄って左後方に倒れる。
不味い。俺が支えないと――
「なんの、これしきッ!」
ビタっと、後ろに倒れかけた身体が水平に停止していた。
つま先を立てて右手を前に突き出したベゴニアは、ありえないことに腹筋と脚の力だけで姿勢を保持していた。慌てて腰に手を回した俺などお構いなしにムクリと起き上がる。
「今、身体が不自由な母を支えてくれようとしたな。ふふふ、普段は憎まれ口ばかりだが、本当に可愛いやつだ……」
「……うるせ」
ベゴニアには左腕が無かった。
ついでに言えば左目――アイパッチで隠してある奥には眼球も無いそうだ。
16年前、地球が滅びかかったその時、彼女はその身を盾にして、宇宙人たちから一つの町を守った。
その代償として彼女は、左肩から先を失い、左目も失ってしまった。
ベゴニアもまさしく英雄と呼ばれる存在であり、俺の本当の母親と同じ、地球側の英雄の一人なのだ。そんな彼女の本当の正体は――
「気遣いは嬉しいが、全く心配には及ばん。腕や目玉の一つや二つ無くとも何も問題はない。何せ私はお前の母君――吸血鬼の神祖であるところのカーミラ様が、唯一残してくださった眷属だからな」
ハッハッハ、とベゴニアは豪快に笑った。
そう、俺の母親――産みの母も育ての母も、どちらとも人間ではない。
戦後日本に定着した吸血鬼。しかも神々の血を引くという神祖と呼ばれる種族だった。
そしてベゴニアは母親が日本に来たばかりのときに眷属にした元人間だ。今年でなんと117歳になるという。
「げふぅ〜」
「…………」
「ういー、酔いが覚めてきたな。いかんいかん」
ベゴニアはブランデーケースから琥珀色の瓶を取り出すと、固い栓を親指で軽くポンと弾いて開けてしまう。そしてそのままソファにどっかと腰を下ろした。
「まだ飲むのかよ」
「当然だ。お前の晴れ姿動画を延々エンドレスして、朝まで飲むつもりだ」
そう、全ての元凶はこいつだった。
俺がどうしてあんな格好――ひらひらでフリフリな衣装――自分の趣味に一個も該当しない――しかも女装をして全世界を騙すことになったのか。それもこれも全てはこの母親のせいなのだ。
「このぉ、いい加減に――」
ヒトが嫌がることをどこまでも嬉しそうに。
俺は一瞬で沸騰しかけるが、ベゴニアはそんな俺を真摯に真っ直ぐに見つめていた。
「本当にありがとうタケオ。四代目の役目ばかりは、誰が代わることはできない。カーミラ様の実の子供であるお前にしかできないことなのだ」
ベゴニアは先程まであった悪戯な雰囲気が消え、真摯で真剣な表情をしていた。
今回俺が自身最大のコンプレックス――母親そっくりの顔立ちを生かして表舞台に上ったことには理由がある。
「もはやカーネーションという組織は、カーミラ様という象徴がなければ成り立たなくなっている。カーミラ様はまさに皆を照らす太陽。太陽がなくなればカーネーションは滅亡するしかないが、太陽がまた昇れば、その恩恵を借り、また再び輝くことができる……!」
母であるカーミラ亡き後、カーネーションは低迷していた。
良くも悪くも母のカリスマ性と才覚によって支えられていたカーネーションは、母がいなくなったことで経営が傾きつつあったのだ。
「私も会長代理を務めている間、幾度も改革を試みようとしたが、ことごとくダメだった。カーミラ様不在の影響は、あまりにも大きすぎた」
ベゴニアではカーミラの代わりにはなれなかった。
豪胆で豪傑な名物社長として有名なベゴニアだが、それでも母の持つ圧倒的な美貌とカリスマには敵わなかった、ということだろう。
カーミラという象徴を喪った社員たちは意欲を無くし、少なくない辞職者を出した。また、海外支社に対する敵対的買収行為なども、ライバル企業から数多く仕掛けられていた。
カーミラが存命だった頃には起こらなかった様々な困難が、ここ十年あまりの間、絶え間なくカーネーションを襲い続けた。
それでも、そんなカーネーションを一人で守りきったのがこのベゴニアなのだ。
文字通り不自由な体で、骨身を削って、日本だけでなく、世界中を駆け巡って、社員たちを守り続けてきた。
そんな彼女の姿を間近で見続けてきた俺は――やっぱり最後は首を縦に振らざる得なかった。産みの母と育ての母。二人が守ってきたものは、やっぱりその息子である俺が引き継いで守っていかなければならない、そう思ったからだ。
「今日、演説をしているお前を見つめる社員たちの表情は実に活き活きとしたものだった。悔しいが私にはない力が、お前にはあるようだ」
正直なことを言えば、俺は四代目の話を聞いたとき、全力で拒否した。
わざわざ私生活で女顔を隠してまで生きているのに、どうして人前で素顔を晒さなければならないのかと。
結局は二人の母のため、そして大勢の社員やその家族を助けるためと思い、四代目の役割を引き受けたのだ。
ちなみに。四代目になるにあたって、俺はこの間の瑠依の比ではないほどのトレーニングと食事制限を自らに課して、完璧なプロポーションを手に入れたり、知りたくもない美容の知識や経営学を猛勉強したりもした。
だがこの話は俺にとってのデメリットだけではない。
四代目を演じることによって、俺にはご褒美が与えられることになっている。
それは――
「さて、では約束の報酬の話に入ろうか」
「待ってました!」
ベゴニアがそう口にした途端、俺は弾けるように、彼女の対面に正座した。
「現金な奴め」とベゴニアは苦笑するが、俺はそれだけのために頑張ってきたのだ。
「認めよう。お前の一人暮らしを許可する」
「しゃッ!」
グッと、ガッツポーズ。
そう、俺は一人暮らしがしたかった。
何がなんでも絶対に。
この広すぎて不便な家を出て、ミニマムな暮らしをしたかったのだ。
そのために俺は悪魔に魂を売った。
女性モノの下着を身に着けて、胸パットを入れていたときの俺は、本当に地獄の業火で火炙りに遭うのと同じ苦痛を味わったほどだ。
あのときの羞恥、悔しさ、やるせなさや切なさがようやく報われようとしている――
「ただし、一つだけ条件がある」
「ちょ、おい、話が違うぜ。四代目になることが一人暮らしの条件じゃなかったのかよ!」
あとになってから条件を付け足されては困る。
そんなの詐欺と一緒じゃないか。
「お前な、そもそもヒトより恵まれた衣食住に囲まれている分際で、一人暮らしをしようだなんて、贅沢以外の何物でもないだろう。私はいいんだぞ、条件が飲めないならこの話はここまでだ」
ベゴニアは酒瓶片手に立ち上がると、のっしのっしと出口へと向かう。
俺は「ま、待てよ」と絞り出すように言った。
「ん? 今何か言ったか?」
「待ってください……」
「誰かさんが言った通り、最近歳でな。耳が遠くてかなわん。もっとハッキリ大きな声で言ってくれ」
「待ってくださいッ!」
「………………」
聞こえているのに聞こえないフリ。
ベゴニアのとぼけた表情がムカつく。
クソ、落ち着け俺。夢の一人暮らしのためにここは冷静になるんだ。
「条件を教えて下さい……お母さん」
「はううっ! お、お前……くぅ、し、仕方ないな全く……!」
ベゴニアの泣き所。
「お母さん」「ママ」と呼ばれるとメッチャ弱い。
普段はこっ恥ずかしくて絶対言いたくないけどな。
再びソファに腰を下ろしたベゴニアは、グビっと度数40のブランデーを一口飲み、酒臭い息を吐いてから条件を開示した。
「なあに、簡単なことだ。住む場所はこちらから指定する。お前はそこで暮せばいい」
「なんだ、そんなことかよ」
拍子抜けした。てっきりどんな無茶を言われるのかと思えば。
もっとシンドい条件――例えばこれからは常に自分のことは「お母さん」もしくは「ママ」と呼べ、などと言われるかと……。そんな条件だったら問答無用で家出してるところである。
「これがお前が住む部屋のルームキーだ。あとは――ここに行け。明日からでも住めるぞ」
鍵を俺に放って寄越したベゴニアは、上着のポケットからスマホを取り出し、ササッと操作する。
即座に俺のスマホが着信を告げ、送られてきたメッセージと添付の地図を確認する。
「げッ」
送られてきた住所を見て、俺は声を上げた。
これは相当に厄介な物件じゃないか。
何故ならその場所は、伝説が始まった場所だったからだ。
「お前が住む場所は十王寺町。異世界との交流特区内にあるシェアハウス『荘厳荘』。そこの管理人をしながら暮らすことが、一人暮らしの条件だ」
絶句する俺に、ベゴニアはニヤリと、したり顔をするのだった。




