第16話 迷い猫をプロデュース⑯ 恋する赤猫は強くなる
*
「……ルイス・ヴァレリアだって。自分でも名前負けしてて笑っちゃう」
場所は再び屋上。
空を見上げながら、ルイス――瑠依は自嘲気味に笑った。
瑠依がタケオに保護された当日の夜、瑠依の頭に猫耳があることが判明した。
その瞬間からタケオと愛理は、瑠依が物の怪の類である可能性、そして異世界人である可能性の両方から瑠依の身元を洗っていた。
結果、瑠依は異世界人だった。
獣人種赤猫族。
しかもきちんと異世界側から捜索願が出されており、16年が経った今でもそれは取り下げられてはいなかった。
「私の本当のお父さんとお母さん、獣人種の偉いヒトだったみたい」
「ああ、列強氏族な」
「タケオくんは全部知ってたんだねえ」
獣人種列強氏族とは人間でいうところの貴族のようなものだ。
つまり――
「私もね、所謂お姫様、みたいなものなんだよ」
エヘン、と瑠依は胸を張る。
こちらが気後れするほどの大金持ちであるタケオに対して、立場上同等になれたのは嬉しい誤算だった。
「気になってたんだが、お前の名前、瑠依って偶然か?」
「ああ、それ?」
瑠依の本名はルイス。
本名をもじって名付けられたとしか考えられない。
「お祖母ちゃんが昔話してくれたんだけどね、私ってばどんな名前で呼んでも泣いてばかりいたんだって。だから、泣かない名前を順番に呼んでいって、それで瑠依になったみたい」
恐らくそれは生まれて間もない頃の微かな記憶。
両親から「ルイス」「ルイスちゃん」と呼ばれていた彼女は、自然と響きの似た名前を選んだのだ。
「それはそうとタケオくん。私はずっと不満に思ってました!」
「なんだ急に」
瑠依は立ち上がると、グイっとタケオの袖を引っ張る。
さも面倒くさそうに、タケオは向き直った。
「瑠依でもルイスでもどっちでもいいけど、私のことはちゃんと名前で呼んで!」
「は?」
瑠依はプクーっと頬を膨らませた。
私は怒っています、と言外に主張していた。
「今更なにを。名前なんて……あれ?」
タケオもようやく自覚したようである。
自分が瑠依の名前をまともに呼んだことが一度もないことを。
正確には先程一度だけ「瑠依」と口にしたが、それをカウントするのはダメだろう。
「あー、はいはい名前な。まあ、そのうち、気が向いたらな――」
「ダメ、今呼んで。今欲しいの!」
「お前な……」
瑠依はタケオに迫る。
彼の胸元にそっと両手を置き、上目に見つめる。
一ヶ月前はこの距離が怖かった。
でも今は全然平気だ。
何故なら今の瑠依は見た目に関してはちょっとだけ自信がある。
黒髪のウィッグを外し、少しだけウェーブの掛かった赤いロングヘア。
毎日キチンとお風呂に入り、今朝だってシャワーを浴びてきた。
運動と食事、睡眠を取り、身体はすっかり健康的になった。
スキンケアだって必ず毎日行っている。
もう臭いだなんて絶対に言わせない。
「お願いタケオくん……そうしたら私、頑張れるから」
「…………」
瑠依は懇願した。
目尻には涙が溜まっていた。
これから瑠依は自宅に帰る。
一ヶ月ぶりに叔母の家に戻るのだ。
そこで彼女は向き合わなければならない。
自分の正体を明かし、今までの待遇改善を直接訴えかけるのだ。
瑠依はごくごく当然の要求をするだけ。
でもそれはとてもとても怖いことだった。
物置ではない、ちゃんと寝起きができる部屋をください。
三食の食事を必ず保証してください。
叔母は嫌な顔をするだろう。
家に置いてやってるだけでもありがたいと思え、と言われるかもしれない。
なんて図々しい、どこの馬の骨かもわからないお前を引き取ってやった恩を忘れたのか、などとも言われるかも……。
それでも瑠依の地球での保護者は叔母なのだ。
彼女が本来頼るべきは他人のタケオでも愛理でもない。
これ以上二人の善意に甘えることはできない。
本当の友人だから。甘え続けていては決して対等にはなれないから。
「瑠依」
「――ッ!」
タケオに名前を呼ばれた途端、瑠依の心臓が跳ね上がった。
ドクドクと全身が脈打ち、指先がムズムズし始める。
顔が熱い。というか体中が火照っているようだった。
見上げるタケオは薄く微笑んでいた。
それはまるで妹でも愛でるような保護者の笑みだった。
異世界難民であることがわかり、本当は瑠依の方が年上だと判明したのだが、でも今の瑠依にはそれで十分だった。
「大丈夫だ。全部上手く行く。もしダメでも、お前にはもう逃げ場所がある。辛くなったらいつでも俺ん家に来い。いいな?」
「うん……!」
そうだった。瑠依にはもう逃げ込める場所があるのだ。
叔母の怒りに触れて家を追い出されたら、そのときは素直にタケオを頼ろう。
――そうなったら、本当にタケオくんのペットになろうっと。
瑠依は強い決意と共に、自分本来の家へと帰るのだった。
*
瑠依の決意は無駄になった。
何故なら、タケオの言ったとおり、全て上手く行ったからだ。
勇気を振り絞り、「た、ただいま帰りました」と自宅の玄関から入ると、ドドドっと血相変えた叔母が走ってきて、突然目の前で土下座をしてきた。
「ご、ごめんなさい瑠依ちゃん、っていうか瑠依ちゃんよねあなた? お、叔母さんが悪かったわ、お願い、許して……!」
「え? え? ええ……?」
叔母は床に額を擦りつけながらガタガタと震えていた。
訳も分からず呆然としていると、居間の方から見知らぬ女性が現れる。
「初めまして、あなたがルイス・ヴァレリアさんですね。私こういうものです」
渡された名刺には『総務省・第七特殊地域・統括事務次官、秋月楓』と書かれていた。
「第七特殊地域?」
「ああ、今風で言うなら異世界、魔法世界のことです。お役所なので名前一つ変えるのにも結構手続きが面倒で。近々もっとわかりやすい呼称にする予定ですので」
「はあ……」
秋月は丁寧な口調で人当たりが良さそうな感じではあるが、決定的に怪しさが拭えない箇所があった。それは――
「なんでそんなに大っきなサングラスをかけてるんですか?」
「あは。申し訳ありません。これは視力矯正用でして。これがないと私ほとんど目が見えないものですから」
「そ、そうですか。失礼しました」
そういう事情なら仕方がない。
怪しさ爆発で、名刺を見せられてもこの秋月が政府の人間だなんて信じられないけど仕方ない。うん。
「私は日本における異世界交流が円滑に進むよう、日本人、異世界人の双方の間を取り持つ役目を担っていると同時に、異世界難民の保護も行っております」
「それじゃあ今日は――」
「はい、異世界難民であるあなたの生活の一切は、日本国政府の名のもとに保証されます」
瑠依の全身から力が抜ける。
叔母を相手に勝ち取らなければならないクオリティ・オブ・ライフがあっさりと手に入ったからだ。
(もしかしてタケオくん、こうなるって全部知ってた……!?)
「ルイス・ヴァレリアさん。いえ、黒森瑠依さんとお呼びした方が良いでしょうか。よくぞ生きていてくださいました。今まで大変なご苦労があったことでしょう」
秋月がそう言った途端、ビクっと叔母の肩が大きく震えるのを瑠依は見逃さなかった。
「異世界にいるあなたの本当のご両親は大変高名なお方で、あなたが無事であると知ればとても喜ばれることでしょう。あくまで本当に無事だったらの話ですが……」
叔母はガタガタと震えていた。
つまり瑠依が無事ではない――虐待など受けていた場合はその限りではないと秋月は言っていたが――
「やめてください。私は別に何もされていません。叔母さんの家にお世話になったのは短い期間でしたが、特に問題はありませんでした」
「る、瑠依ちゃん……」
そう、特に暴力を受けただとか、ことさら辛い仕打ちをされたことなどはない。
ただ瑠依の方が叔母に馴染めず、勝手に遠慮をして、一人で落ちぶれていただけ。
叔母はそんな瑠依に積極的に関わろうとせず、ただ放置した。
それを虐待ということはわかっっているが、瑠依にも問題はあったのだ。
「わかりました。あなたがそういうのであればそういうことにしましょう。ただし環境は変える必要があるでしょう」
「どういうことですか?」
「あなたは異世界人です。異世界人が日本に住むにはうってつけの場所があります」
「それってもしかして交流特区の――」
「はい、東京都北区十王寺町。そこに荘厳荘という異世界人の駆け込み寺的なシェアハウスがありますので、どうぞそちらで暮らしてください。今の学校からも通えますし、きっとあなたの恋の成就にもお役に立ちますよ」
「えッ!? どどど、どういう意味ですか!?」
突然恋の成就などと言われて瑠依は慌てた。
初対面のこのヒトに、自分の事情のどこまでが把握されているのだろう。
秋月は「ささ、詳しいことは食事でもしながら」と言いつつ叔母に暇を告げる。
「叔母さん……今までありがとうございました」
最後にしっかり頭を下げてお礼を言ってから、瑠依は秋月の後を追った。
不安はない。何故ならこれもすべてタケオが瑠依のために手配してくれたものだとわかっているから。
たった一ヶ月前に出会ったばかりの男の子が、瑠依の心のなかで、もう無視できないほど大きくて大切な存在になっていることを、彼女ははっきりと自覚していた。
続く。




