第15話 迷い猫をプロデュース⑮ 地球育ちの異世界人
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「はー、つ、疲れたー」
呟きながら瑠依はヘタっと、その場に腰を下ろす。
下ろしてから「うーん」と伸びをして、「くあ」っとあくび。
そうして見上げた先にはタケオがいた。
「お前、なんでまた屋上にいるんだよ」
タケオは瑠依には目を向けず、錆びついたフェンスの前に立って屋上からの景色を眺めていたが、我慢できなくなったように、チラっと瑠依に視線を落とす。
その表情は渋いものになっており、まさかこの場に彼女が来るとは思っていなかったようだ。
再び風景に視線を戻したタケオに、瑠依は「ねえ、もっとこっち見てよー」と彼の袖を引っ張ってみるも効果はなし。これ以上はタケオくんが意固地になるかも……と、一ヶ月ひとつ屋根の下で暮らして把握した彼の性格から無理はしないでおく。
「だからぁ、疲れたんだってばー。みんな私が魔法世界のヒトだってわかると、いっぱい質問してきてさー。お昼を食べる暇もなかったよー」
今や異世界人は珍しくはない……とも言い切れない。
二年前から始まった異世界交流は、現在東京と大阪の一部にのみ交流特区が設けられており、そこに住んでいる異世界の住人はごくごく少数だ。
これには日本に来るための条件に日本語の習得が必須であり、異世界の識字率の低さなどから、なかなか留学して来られるものが少ない、という事情がある。
ただし様々な特例があり、例えば小学生以下の子供は、言語未習得でも親が習熟していれば地球への滞在が認められる場合がある。もちろん継続して勉強し続ける必要があるが。
他には高度かつ持続的な翻訳機能を有するごくごく一部の特別な者ならば、日本語が未熟でも滞在許可が下りることがある……。
「いやあ、それにしても自分でもビックリだよ。昨日愛理ちゃんから私が化け猫じゃないって言われたときはさあ――」
昨晩、愛理からもたらされたのは驚愕の真実だった。
瑠依は化け猫などではない、と。
「ど、どどど、どうしてそんなことがわかるの?」
「確認しましたので。化け猫たちが住む里に直接連絡をして」
「さ、里!? 化け猫に里なんてあるの!?」
「はい、正確には物の怪たちが住む集落のことですが。そこは御堂が厳しく管理をしておりますので」
「そ、そうなんだ……」
愛理の話では、御堂家は古来より日本を霊的な力で守ってきた巫女の家系。
方向転換して表の世界に出てきたのはここ150年あまりのことであり、それ以前はずっと、日本の民草のため、裏の仕事に携わってきた。
「私の母は元大江戸人外化生改め方という、ヒトに仇を成す化け物を討伐する者――その頭領でした。当時の京の都や江戸は霊的に不安定で、凶悪な化け物たちが自然発生する地獄とも言える場所。母は霊的な力を用い、それを調伏する任を幕府より仰せつかっていたのです」
「は、はあ……」
瑠依にはポカーンな話だった。
兎にも角にも裏の仕事をしていた御堂も、やがては表の世界に進出し、影と日向の両面からに日本を支え続けてきた。
そんな御堂は、現在では大財閥の一つに数えられる一方で、日本中の物の怪・妖怪たちの管理、まとめ役をしているのだという。
「先程も言ったとおり、あなたは化け猫――つまり物の怪の類ではありません」
「そ、そんな、それじゃあ私は一体何なの!?」
化け猫ではない。
自分の根底が揺らぐ感覚。
瑠依は焦燥感を覚えながら愛理へと聞き返した。
「あなたは地球上の存在ではない、異世界からやってきた獣人種なのです」
「獣人種――!?」
瑠依が目を見開く。
愛理は神妙な顔で頷いた。
長い沈黙が二人の間に流れ――瑠依はようやく口を開いた。
「獣人種って、何?」
今度は愛理が目を見開く番だった。
穴が空くほど瑠依を見つめたあと、パチパチと何度もまばたきをする。
「お戯れを。テレビやネットで散々騒がれていましたのに今更――」
「あ、お祖母ちゃんの家テレビなくて。ラジオだけはあったんだけど。でもあんまり使ったことなくて。あとネットって、そういうものがあるって噂程度にしか……」
愛理は美しい眉を顰めると、珍妙な生き物を見るような目で瑠依を見た。
「情報化社会に全力で逆らってきたのですねあなたは。いえ、環境が時代に迎合することを許さなかったのでしょう……仕方ないですね。いいですか、説明すると、事の始まりは16年前の大災害にまで遡るのです」
16年前、地球は一度滅びかけた。
空に突如として黒い太陽が現れ、そこからやってきた宇宙人たちによって、日本とアメリカは甚大な被害を被った。
だがその時、地球と異世界の英雄たちとが手を取り合い、共に宇宙人を撃退した。
その後、英雄たちは友人同士になり、細々と互いの世界を行き来しながら友情を深めあった。
「それが異世界交流の始まりです。ちなみに地球側の英雄の一人が私の母で、もう一人がお兄様のお母様です」
「ええええッ!?」
瑠依は本日一番の悲鳴を上げた。
さすがの瑠依でも大災害のことは知っている。
学校の教科書にも載っていることだからだ。
そこには宇宙人たちと戦ったのは主に米軍と日本の自衛隊や警察、としか記載されておらず、地球と異世界の英雄たちが手を取り合っていたことは一般人には知られていなかった。
「タ、タケオくんのお母さんも英雄だったの……?」
「はい。私の母が御堂財閥の裏の当主であるのと同様、お兄様のお母様もカーネーションを一代で起ち上げた女傑。その正体は戦後日本に定着した西洋の物の怪――吸血鬼の神祖だったと聞いています」
「きゅ、吸血鬼……ごめん、また知らない単語が」
こんなことならもっと小学校の図書室に足繁く通っていればよかった。
瑠依は自分自身がほとほと無知であることを今日ほど後悔したことはなかった。
「……まあいいです。そろそろ情報量も多くなってきたので、それらはまた次回、改めてということで。……あなたの話に戻りましょう」
「ご、ごめんなさい……」
瑠依は猛省した。
もしかしたら、見た目を整えただけではタケオの隣には立てないのかもしれない。
頭の中身もしっかり鍛える必要があるのかも……。
「元々は英雄同士のごく個人的交流を世界規模に拡大したのが二年前。日本政府は世界に先駆けて異世界の存在を世間に公表し、東京都北区には地球人と異世界人が共に暮らす交流特区が設けられました」
交流特区。
そんなものが自分たちのすぐ近くにあったのか。
北区といえば叔母の家からも豊葦原学院からも近い場所だ。
「異世界は地球の高い技術力を欲し、地球は異世界にある無尽蔵の資源を欲しています。そうして相互扶助をする目的以外にも、実は双方の大きな問題を解決するために異世界交流が開かれたのです。それが異世界難民の問題です」
異世界難民とは、一年前にようやくその存在が公表された難問。異世界と地球の双方で、住人たちが自らの意思とは無関係に入れ替わってしまい、地球人は異世界に、異世界人は地球に、ランダムな場所に転移してしまった大事件のことだ。
「な、なんでそんなことが……!?」
「わかりません。全ては未知の現象です。ですが、大災害の折に出現した黒い太陽――それによってもたらされた時空の歪みが、地球と異世界の双方に強く作用した結果だった、という仮説が近年立てられています……」
大災害の混乱もあり、異世界難民の存在に気づくのに数年の時を費やしてしまった。まだまだ全貌は掴めていないが、難民の数は数千から数万人にも及ぶという。
「そんな、見ず知らずの世界に突然放り出されたら、そのヒトたちはどうやって生きて行けばいいの……?」
ある日突然家族から引き離され、国も言葉も文化も違う世界に放り出される。
ある者は野垂れ死に、ある者は人買いに拐われ、ある者は死ぬよりも無残な目に遭うだろう。
悲しいかな、それは異世界よりも文明の進んだ地球であっても変わらず。
人々の悪意に晒された異世界難民たちの多くが、もう既に命を落としているものと予想されている。
「ですが、例え辛い目に遭っても、地球人の男性と結婚し、幸せを掴んだ方もいらっしゃいます。異世界難民の保護活動に尽力している交流大使、リサ・グレンデルさんもその一人です」
愛理はポケットからスマホを取り出し、サササっと操作すると画面を見せてきた。
「はわわッ! も、ものすごい美人さん!」
しかも猫耳だった。
瑠依と同じ猫耳の獣人種でこちらは青猫族というらしい。
確かに猫耳も髪の色も青みがかかっている。そして――
「この方も幼い頃に地球へと転移し、大変な苦労をされてきたといいます。彼女が壮絶な過去を乗り越え、旦那様と出会って幸せになるまでのエッセイはベストセラーになり、今度映画化するそうです」
「それは絶対見に行かなきゃ!」
瑠依はすっかりリサ・グレンデルに心掴まれていた。
というかスマホって本当に便利だなあ。調べたいことがすぐわかっちゃうんだ。いいなあ……。
「とにかく、私はその異世界難民、なんだね……。私に猫耳が生えてたから、お祖母ちゃんは化け猫の子供だって勘違いしちゃったんだ……」
それも無理からぬことだった。
瑠依が拾われた当時は異世界の存在などごく一部のものしか知らなかった。
ある日突然、猫耳の赤ん坊を拾ったら、きっと誰もが物の怪の類だと、そう思うことだろう。
「ですが幸いにも、あなたは善良なお祖母様に拾われ、生後間もなかったために、日本人として生活することができました」
そう、瑠依は一番の問題である言語の壁を既にクリアしていた。
物心が付く前に日本語に慣れ親しんでいたので生活に不便はなかった。
「異世界難民は今生活している国や地域で国籍を取得することが可能です。現在の瑠依さんは日本人であり、異世界人でもあります。18歳の誕生日を迎えるまでに、どちらか一方の国籍に決める必要がありますが……」
それは地球を取るか、異世界を取るかの選択。
まさに究極の選択と言えた。
「……わ、私はもちろん――」
「ストップ。おやめください。今答えを出さなくともいい問題です。まだ時間はあります。じっくり考えてみてください」
「う、うん……」
瑠依に大きな宿題ができたのだった。




