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第11話 迷い猫をプロディース⑪ 美しすぎるメイドさん

 *



「あ〜……ちゅかれた……」


 瑠依はベッドに寝転がったまま呟いた。

 実際運動量はそれほどではないが、慣れないことをしたのでヘトヘトになってしまったのだ。


 瑠依は既に入浴を済ませていた。

 一人では広すぎる一階のお風呂。大きな湯船に浸かり、モミモミと手足をマッサージしてきた。


 叔母の家に来てからというもの、彼女の入浴は、中庭での行水、あるいは近所の公園に行き、トイレの水道でタオルを濡らして身体を拭く……というものだった。


「あんなにたくさんのお水、っていうかお湯。なんて贅沢」


 でも気持ちいい。

 こんなのに慣れたらもう元の生活に戻れないかも、と瑠依は涙目になった。


「とりあえず言いつけどおり、キチンと身体を洗ったけど……」


 タケオに言われたのはここまで。

 お風呂で身体を温め、髪も身体も備え付けのシャンプーやコンディショナー、ボディーソープで優しく洗うこと。


 なので瑠依は下着姿のまま、ベッドに仰向けになり、次の指示を待っている。

 プロテインとやらが入ったドリンクは半分以上飲み終わっている。

 ちょっとお腹がタポってるかも……。


「変な味は変な味だけど、意外とスルスル飲めるんだよねプロテイン(これ)……」


 それは実は身体が欲しているということ。

 瑠依は栄養失調気味だった。

 タケオが保護しなければ、いずれ倒れてしまっていたかもしれない。


「まあ、タケオくんが言うんだから本当にこれで健康になれるんだよね……多分」


 僅かな時間ではあるが、瑠依の中ではタケオへの信頼度は抜群に上昇していた。

 タケオが言う事なら間違いないだろう。タケオがいうならそうしてみよう、などなど。


 なんと言っても瑠依みたいな化け猫を家に泊めてくれるほどのお人好しなのだ。


 そんな彼は信用に値する。

 どこまでやれるかわからないけど、彼が与えてくれるものは全て受け入れよう……瑠依はそう決心していた。


「失礼します」


 コンコンというノックのあと、部屋の扉が開かれる。

 起き上がりながら目を向けた瑠依は、突然の来訪者に固まった。


「大変お待たせを致しました」


「なッ――」


 コーンっ、とプロテインが入ったシェイカーを床に落とす。

 白い液体が絨毯にぶち撒けられる。


 本来の瑠依なら人様のお家でなんて粗相を――と騒ぎそうなものだが、今の彼女はそれどころではなかった。


「あら大変。絨毯がシミになってしまいますますね」


 瑠依の足元に女性が跪く。

 そう、入室してきたのは一人の女性。

 しかもメイドさんの格好をしている。


 だが瑠依が驚いたのは初めて見るメイドの衣装などではない。

 彼女の容姿。そのあまりの美しさに驚愕してしまったのである。


 高い秋の空を思わせるような薄青の髪色を優雅にウェーブさせている。

 僅かに露出した肌は透き通るように白く、目元を飾る銀縁のメガネは知的な雰囲気を醸し出している。


「あの、どうかなさいましたか?」


 言われてからハッとする。

 私、まだ一言も喋ってない。

 これは感じ悪いかも――


「あ、あのあのあの! えっと、床、零して、その――」


「ええ、大丈夫ですよ。幸い零れたのは少量でしたし、問題ありません」


 ――うわぁ。


 瑠依は心の中で悲鳴を上げた。

 なんて優しい笑顔。

 まるで全てを許す聖母のような笑み。


 この笑顔を向けられているだけで脳が蕩けそうな錯覚に襲われてしまう。

 それくらい、やってきたメイドさんはとても魅力的な美少女だった。


「申し遅れました、私はアリス・衣笠。本日は瑠依さんのお世話をするようにと、タケオさんから申しつかっております」


 スッと立ち上がったメイド――アリスは深々と頭を下げる。

 頭を下げた途端、ふわりと瑠依の元にいい匂いが届いて、再び彼女の意識は遠のきかけた。


「お、おおおお、お世話って、まさか私の……?」


 こんなメイドさんにお世話してもらうなんてとんでもない……!

 と思ったところで、瑠依はハッと思い出し、慌てて自分の頭を抑えた。


 しまった。完全に油断していた。

 今瑠依はウィッグを被っていない。

 つまり、大きな猫耳を曝け出したままだった。


 だというのに、アリスは特に気にした様子もなく、テーブルの上に自分のバスケットを置いている。多分、タケオから瑠依のことを聞いているのだろう。うん、きっとそうだ。そういうことにしよう。


「まずは――失礼しますね」


 そう言ってアリスは瑠依に近づくと、無遠慮に至近から顔を覗き込んできた。

 きゃーッ、と瑠依は心の中で叫んだ。


 目の前にいるヒトが信じられない。

 こんなに綺麗なヒトがこの世に存在しているなんて。


 そして瑠依は急に羞恥を覚える。

 今の自分の顔をアリスに見られるのが耐えられないくらい恥ずかしい。


 環境のせいにして自分で自分をどうにかする努力を怠ってきた。

 なんだお風呂に入らないって。

 2〜3日くらいなら平気平気ってそんな馬鹿な。


 人生は不思議だ。

 そんな風に不潔でも平気だった日常に、こんなとんでもない美人といきなり鼻を突き合わせる機会が巡ってくることもある。


 そんなとき、自分がもし臭かったら。汚かったら――

 こんな美人に嫌われたら、私はもう生きていけない……と、瑠依は思った。


「うん、やっぱり洗い方がまだまだ雑ですね」


「あ、洗い方って、顔の、ですか? なら、もう一回お風呂に入って――」


「いえ、今日はもうやめておきましょう。いいですか、お顔を洗うときはまず洗顔料を泡立てて、泡を使って優しく優しく洗いましょう。擦りすぎて、頬が赤くなっていますよ?」


 つん、とアリスの白い指先が触れる。

 その瞬間、瑠依の肌はピリッとしたものを感じた。


「さあ、お風呂に入って毛穴が開いているうちにスキンケアを行います。まずはこちら、化粧水をつけていきましょう」


「は、はい……」


 化粧水? 初めて聞く名前だが、とりあえず瑠依は頷く。

 手を出すように言われ、ポタポタと甘い香りのする液体がたっぷり落とされる。瑠依は言われた通りそれを手のひら全体に広げ、自分の顔へと押し当てた。


「ひうっ」


「痛みますか? 擦る必要はありません。顔全体が濡れるように、優しく押し当てましょう。どうですか?」


「は、はい、なんだか、もう乾いちゃった感じが……」


「では追加をしましょう。それだけお顔が乾燥していた証拠ですね」


 再び手のひらで化粧水を受け、顔に塗布していく。

 すると今度は手がいつまでも乾かない。顔を上げるとアリスが「適量のようですね」と言った。


「次は美容液……と言いたいところですが、まだ瑠依さんには必要ないですね」


「そ、そうなんですか?」


 美容液を使うのはシミやシワ、たるみなどが気になり始めてからでいい、とのことだった。確かに今の瑠依には不要のものだった。


「さあ、化粧水で保湿をしたら、今度は油分を補います。放っておけばお顔はどんどん乾燥していきますので、しっかりこちらをつけて乾燥を防ぐようにしましょう」


「は、はい……!」


 アリスが取り出したのは何やら綺麗な容器に入れられたクリームだった。

 蓋を開ければ乳白色の粘液が入っており、今度はアリスがそれを指先で掬い、自分の手のひらの上に馴染ませ始める。


「はい、目をつぶってください」


「あわわわわ……!」


 細く繊細な指が瑠依の顔に触れる。

 おでこ、鼻梁、鼻先、頬、唇、顎と、本当に触れるか触れないかぐらいのフェザータッチでクリームが塗られていく。


「顔を洗うときも、化粧水やクリームを付けるときも、強い刺激をお肌に与えるのはいけませんよ。今ぐらいの優しい手付きで塗ってくださいね」


「わわわ、わかり、ました……!」


 なんてこった、これは心臓に悪い。

 やることなすこと全てに目を奪われる。

 こんな超絶美人をメイドさんとして雇ってるなんてタケオくんって本当にすごいお金持ちなんだ……。


「今行った化粧水とクリームは、これからはお顔を洗ったあと、必ずするようにしましょう。それから次は髪の洗い方と乾かし方、そしてヘアケアについてですが――」


 アリスの美容に関する講義は、瑠依にとっては初耳なことばかりだった。

 髪を洗うだけでなく、頭皮や毛根も丁寧に洗わなければならない。

 シャンプーのあとはしっかりトリートメントをして、髪にも栄養を与える。


 乾かすときもキチンとドライアーで。

 でも温風を当てすぎると髪が痛むので注意するようにと。

 今まで水で洗い、自然乾燥に任せていたときとは、手間が雲泥の差だった。


 瑠依は丁寧に教えてくれているアリスに申し訳ないと思いつつも、どうしても言わずにはいられなかった。


「あ、あのアリスさん、これって絶対これからしないとダメなんですか?」


 正直に言えば、どうしてこんな面倒なことをしなければならないのか、瑠依にはわからない。


 もちろん、タケオの意図しているところは理解しているつもりだ。

 私がイジメられないように、自分に自信が持てるように、容姿を徹底的に改造すると。


 本当にそれは必要なことなのか。しなければいけないことなのか。

 瑠依にはわからない。猫耳と尻尾以外、自分の容姿など気にしたことがなかったからだ。


「お、お風呂とかには、これから毎日入ろうと……入る努力はしようと思うけど、でも……自分自身を改造するとか、そういうのはちょっと、よくわからなくて……」


「改造、ですか。そうですね、タケオさんでしたらそういう言い方しかできないでしょうね」


 アリスは苦笑しながら「うんうん」と頷いた。

 納得してくれた。瑠依がホッとしていると、彼女は続けた。


「でしたら好きな男の子のために綺麗になる。これで行きましょう」


「は?」


 これで行きましょうって何?

 好きな男の子のため……?

 それってどういうこと?


「好きなヒトに告白したい、お付き合いしたい、恋人同士になりたい。でも今のままの自分ではダメだ。もっと綺麗になって、魅力的になって、成功率を上げてから告白をしよう……そのために自分を変えるのです」


「え? え? え?」


 アリスの話すことは、瑠依にはまるで異世界の言葉のようだった。

 瑠依は今まで誰かを好きになったことことはない。

 自分が誰かを好きになり、誰かに好かれることなど想像できない。


 故に好きな男の子などいたことがない。

 そう素直に告白する。


「あら、本当にそうなんですか? 今まで好きな男の子の一人もいませんでしたか?」


「い、いません……」


「本当の本当に?」


「え、ええ……」


 なんだろう、やけにアリスさんがしつこい。

 彼女はしばし考える素振りをしたあと、再びニコっと笑った。


「じゃあ、気になる男の子はいませんか。例えば最近知り合った子とか」


「気になる? 最近、ですか……?」


 そういう言い方をすれば、該当するのは一人しかいないような……。


「そう、好きかどうかはまだわからないけど、ちょっと気になる男の子。ふと気がついたらその子が今なにしてるのかなーって考えちゃう相手のことです」


「それは――」


 タケオ以外にいないだろう。

 彼は瑠依を助けてくれた。居場所がないと泣く瑠依の手を引いて、自分の家まで連れてきてくれた。


 そればかりか、叔母さんを説得して、この家に泊めてくれて、さらには瑠依がイジメられないよう色々手を尽くしてくれている。


 彼自身は学校では目立たないし、最初喋ったときは口調が乱暴で少し怖い、などと思ってしまったが、その奥にとてつもない優しさを持っていることを知ってしまった。


 タケオと知り合えたことこそが、瑠依にとっては今までの不幸をすべて帳消しにできるほどの幸福と言えるのではないだろうか。


 そんなタケオに告白をする――


「ヒッ……!」


 瑠依は恐怖した。

 そんなの振られる未来しか見えなかったからだ。


 特に今のままではダメだ。

 タケオに庇護され、おんぶに抱っこの今の状況では、とても対等な立場で告白などできないし、受け入れてもらえるはずがない。


 ならばどうするか。

 変わるしか無い。


 瑠依自身が本気で努力をし、生まれ変わらなければならない。

 告白するとかしないとか以前に、今のような『主人と飼い猫のような関係』のままは絶対によくない。


 タケオと対等になりたければ、せめて見た目くらい整えないとスタートラインにすら立てないのだ。


「ふふふ……目つきが変わりましたよ瑠依さん」


 アリスはとても嬉しそうな顔をしていた。

 瑠依自身、イジメられないようにとか、舐められないように、などと言われてもまるでピンとこなかった。


 でも、タケオの隣に立って恥ずかしくない見た目になる、という目標は瑠依に強いやる気を沸き起こさせていた。


「アリスさん……」


「はい、なんでしょう」


「お願いします、もっと美容のこととか、教えて下さい。私頑張りますから……いえ、頑張りたいんです」


「その言葉を待っていました」


 その後、瑠依はアリスから様々な手ほどきを受けた。

 身体の洗い方から、湯上がりのボディケア、ヘアケア、就寝時にもお肌の保湿をしなければならないと聞いて、自分が今まで如何に『女の子』から程遠い生活をしていたのかを思い知った。


「今使っているクリームはとても特別で高価なものです。なので、普段使いのものは自分のお小遣いで買える範囲のものでいいでしょう」


「はい、アリス先生!」


 短時間ながら、アリスの女性としての魅力、立ちふるまい、そして豊富な美容の知識を垣間見て、瑠依はアリスを先生と呼ぶことにいささかの躊躇いもなくなっていた。


「えっと、これはCARNATION……カーネーションというブランドのものでしょうか」


 とってもいい匂いのする、抜群に肌に馴染むクリームを手に取り、表面に印字されている文字を読む。赤いパッケージには金色で縁取られた花弁のマークがあしらわれている。


「あら、もしかして瑠依さん、ご存じないんですか?」


「はい?」


 何の話だろう。

 ご存じないことが多すぎて、瑠依にはどれのことかわからなかった。


「こちら、タケオさんのお母様の会社で作られたものですよ」


「え? タケオくんのお母様……?」


 よく見てみれば、化粧水もクリームも美容液も……さらには風呂場にあったシャンブーやコンディショナー、洗顔フォームに至るまで全て。


「タケオさんは世界的な企業、カーネーショングループのご子息様なのです」


 対等になりたい男の子は遥か遠い世界のヒトだった。

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