アンマー
病床の父を見舞った時
ナースステーションの近くの病室から
「アンマー」
と叫ぶ声が聞こえた
年老いた男性の掠れ声が
幾度も廊下に鳴り響いた
父が言うには
夜も昼もなく
アンマーと
叫んでいるらしい
参ったよ、父は小さくそう言った
老人は
すっかり子どもに返り
母を探し求めている
眠れぬ暗がりの中で
見慣れぬ明るい病室の中で
己の声を
力の限り張り上げ
母を呼んでいるのだ
恋うているのだ
見舞いの間中
その声は止まず
父は、参った、ともう一度呟いた
翌年
病の中で
父は誰にも看取られることなく
自室で静かに逝った
父のことを寂しく思う度
あの病室での一時を思い出す
あれは
きっと未来の私で
今の際の父だったかもしれない
老人の悲痛な声と
力ない父の声がこだまする
呼ぶのだ
呼んでいるのだ
心細さを
掻き消すような手が
自分の手を取ってくれるように
なにも心配いらないと
温かに包んでくれるように
何度も
何度も
──参った
父のいない部屋で
そう呟いた
私の声は
誰にも重ならず響いた