9 朝
鼻を刺すような寒さに、あたしは目を覚ました。
目をあけると、緑の草と、茶色の土が見えてくる。すごく変な感じ。在るはずのものが、在るはずのところに無い。
本当なら、今頃は、おばあちゃんちに居たんだ。なのに、あたしはここで、地べたに寝転がってる。
母さんたち、心配してるだろうな。
体温が、地面からどんどん奪われていく。冷えきる前に、あたしは体を起こした。
とたんに背骨が音をたてる。節々が痛くて、あたしは顔をしかめた。
「おはよう。よく眠れましたか」
ウエンディだ。もう起きて、たき火を何かでつついてる。火を起こそうとしてるんだと思う。
一昨年の夏に行った、キャンプを思いだす。
お父さんもああやって、火を起こそうとしてた。でも、いつまで経っても、火は着かなくて、結局ライターを使った。
それがあるなら最初から使えば良かったのにって、母さんが呆れて笑ってた。
「お早うございます」
とりあえず起き上がって、服に着いた土を払った。
コートは少し湿っていたけど、そんなに汚れていない。顔を洗いたいけど、ここじゃそんなの贅沢なんだろうか。
「何か、手伝うことありますか?」
このまま、何もせずにいるわけにも行かない。でも、あたしにやれることってあるのかな。
「ありがとう。そのへんの落ち葉を集めてくれますか。乾いたやつをお願いしますね」
頷いて、あたりを見回した。落ち葉は、朝露に湿っている。
あっちの陽があたっているところなら、落ち葉も乾いているかもしれない。
「あまり、遠くへ行かなくてもいいですから」
後ろから、ウェンディの声が追い掛けてくる。首だけ振り返って、頷いた。
さっきまで薄暗かった、森の中に、ぽつりぽつりと日溜まりが出来ている。光が、教会で見た神様の絵のように、いく筋もの線になっておりてくる。
光って、こんなにくっきり見えるものだったんだ、と気付いた。森の緑が、光の当たるところだけ、黄金色に変わる。黄金色は、うっすらと出てる朝もやで、ところどころ、濃さを変えながら、落ち葉の上に降り注いでた。
それは、一枚の絵のように綺麗だった。まるで、物語の中のような美しさ。
あたしは、本当にここにいるのかな。
今までのことすべては、物語のなかの出来事のように、遠い。魔法も、違う世界も、魔女も、全てが思いも寄らないことばかりで、実感がわかない。
わかるのは、尚がここに居ないって事。あたしは、本当にひとりだ。
乱暴にかかえた木の葉が、腕のなかでパリパリと崩れた。
土の、枯れ葉の匂いがお腹に流れ込んでくる。すごく、お腹が減っていることに気付く。
物語のなかとは違う。体は、確かにここにあるんだ。この、何だか分らない場所で、木の葉の匂いをかいで、お腹を空かせてる。
やけに、体が重く感じられた。空っぽの胃のなかで、冷たい空気がすかすかしてる。外の空気と同じ冷たさがあたしのなかにあった。この森の空気を、あたしは吸ってる。
落ちた落ち葉を拾って、抱えなおした。
森は静かで、きれいで、昔、みんなでキャンプに行った森と少しも違わないように見えた。
同じ、現実だった。
「お帰りなさい。ああ、こんなに持ってきてくれたんですか?お疲れさま」
火の側で、手を動かしながら、ウェンディが振り返った。相変わらず、にこにこと笑ってる。彼はいつも笑顔だ。
「ちょっと待って下さいね」
そう言って、あたしが持って来た葉のうえに屈みこむ。あたしには、聞き取れない言葉で、何か呟いた。
何をしているんだろう?
「…………」
また、同じ(ように聞こえる)言葉を繰り返す。
「なにし…」
てるのと聞こうとしたところで、ぱちん、と音がした。
落ち葉から、白い煙りが立ち昇る。
「……魔法?」
昨日の紅茶を思いだした。無いはずのものが、突然にあらわれる。
「ウェンディは、魔法使いなの?」
「ええ、そうですよ」
ごく、当たり前の顔で、ウェンディが頷いた。