8 客人
「ウェン」
ラセルが、後ろを向いた。顔は見えなくても、怒っているのを感じる。
「ごめんなさい。アリサ」
ウェンディが、目を伏せた。
「貴方が、本当に、アーロネッサの客人かを知りたかった」
「どういうこと?」
声が震える。
あたしが見たのはいったい何?
「ここが、貴方の世界とは違うところだと言うのは、もう、信じてもらえますね?」
あたしは黙って、頷いた。
「貴方の世界から、こちらの世界へやってくる人は、少なくはありません。高いところから落ちたり、道に迷った人たちが、何かの拍子にこちらの世界に迷いこむ。
そう言った人たちは、森にあらわれることが多いため、森人と呼ばれてます」
「あたしも、そうなの?」
ウェンディは少し困ったように首を振った。
「森人たちは、本当に偶然、世界と世界の隙間から、こちらへ迷い込む。けれど、そうではなく、必然で呼ばれてくる人たちがいる」
「必然?」
耳慣れない言葉。
「必要に迫られてって事」
ラセルが、わきから口を出してきた。
ウェンディが一呼吸おいて続ける。
「森人のほとんどは、この世界に長く居ることが出来ません。彼等はもともと、いるべきでない場所にいるのだから。精々一時間かそこら、ここに居るだけです。後は自然と自分の元いた世界へ引っ張られていく。でも、なかには違う人たちが居ます」
ウェンディが、あたしの方を、まっすぐに見つめた。
あたしも、ただ見返す。
「彼等は、森人とは違う。この世界に、必要とされてここに連れてこられる。その使命を果たすまで、帰ることはできない」
帰ることはできない。
その言葉が、耳のなかで、くり返される。
「その人たちは、客人と呼ばれる。それが、貴方です。アリサ」
「ど、ういうこと?」
とてもゆっくりと、あたしの口が動いた。
乾いた口から、言葉をこぼす。
「よく、わからない。それは、帰れないって事?」
「帰れます。貴方の使命を果たせば」
ウェンディが、あいまいな笑みで答えた。
「使命って何よ?」
「それは、『紡ぎ手』にしか判りません」
「紡ぎ手?」
「神々の事」
また、ラセルが短く口を出す。
「それじゃあ、わかんないってのと同じじゃない!」
信じられない!
思わず叫んだ。紅茶の湯気が震える。
「断言はできないってだけだ。予想はつけられる」
「ほんと?」
ラセルの声が、全然普通で、思わず、頼るように見つめた。
「客人は呼ばれてくるんだ。必要としているものとは、呼び合うようになってる」
「どういうこと?」
「これだよ」
ラセルがあたしの手を放した。
とたんに感覚が遠くなる。
「森人は、おれたちの言葉が通じない」
ラジオの声で、ラセルが言う。この声を聞いてると頭が痛くなる。
ラセルが、また、あたしの手をとった。
「おれたちの言葉を理解できるのは、呼ばれてきたものである証拠。そして、客人を、必要としているものの側にいればいる程、その度合いが高くなる」
まだ、よく判らない。
あたしの表情を見て、ウェンディが、少し笑った。
「貴方を、必要としているのは、私たちなのではないかと思います」
「貴方達に対して、何かするのが、あたしの使命って事?」
「まあ、そういうことですね」
なんで、あたしがそんな事しなくちゃならないんだろう?
何だか、なんて言うんだっけ?そうだ、思い出した。『理不尽』な気がする。
「一体、何をすればいいの?」
「………」
ウェンディと、ラセルが顔を見合わせた。
「あんたが、さっき見た、ものを話してほしい」
「さっき?」
聞き返して、背筋が凍った。
緑の湯気の向こうに見えた、真っ赤な手のひら。
尚!
「あたしの、妹も、一緒にここの世界に来たの!」
なお、何処に行っちゃったんだろう?こんな、何も知らない世界で、あの子がひとりだなんて。
「あの子、まだ5歳なの。ひとりできっと泣いてる。探さなきゃ」
立ち上がってみたけれど、あたしは何をすれば言いのか判らない。きっと、尚もそうだ。
「お願い、あの子を探して!何でもするから」
母さんに頼まれていたのに。あたしの妹なのに。
「それを、お前に協力してもらいたいんだ」
「え?」
思わず聞き返す。
「まさか、それが『使命』じゃないよね?」
「多分、お前の使命は、お前の妹に関する事だよ」
ラセルが、何だか、とても真剣な顔で言った。
「どうして?尚は、あたしの妹。あたしの世界の人間だよ?」
『使命』って、この世界の事じゃないんだろうか?
「体は、そうかも知れない」
からだ?
「でも、魂は、5年前、この世界を追われた魔女アーロネッサのものだ」
「どういうこと?」
「おれと、ウェンは、お前を見つける前に、5歳ぐらいの子供を見た。変な服を着て、お前と同じような、髪と肌をしていた」
「尚だった?!」
「その子供は、たった三つの言葉で、おれたちを吹き飛ばした」
「……どういうこと?」
そう言いながら、あたしは、尚がいなくなる直前に聞いた、爆音を思い出していた。
あの砂とほこりのなかに、尚が居たんだろうか?
あのとき、あたしが聞いた声は、5歳の子供のものじゃなかった?
「……どうして?」
涙が出そうになって、紅茶をすすった。
「あたし達、何もしてないよ。ただ、おばあちゃんの家に行こうとしただけなのに」
駄目だ、これ以上喋ったら、泣いてしまう。
「お前の妹の体は、アーロに乗っ取られたんじゃないかと、思う」
ゆっくりと、ラセルが話した。
「尚はどうなったの?」
「判らないけど、お前の妹の体を今操っているのはアーロだ」
「どうしたら、もとに戻るの?」
あたしの妹。その体を、知らない人が勝手に使ってる。そんなの、許せない。
「アーロは、自分の体を探してる」
尚を返して。
「彼女の体は、殺す事ができなかった。だから、王家で、秘密の場所に隠したんだ」
「魔女の体を返してやれば、尚は帰ってくる?」
「そうだけど、それじゃ困る。あの魂が自分の体にかえったら、その強大な魔法で、何をするか判らないからな」
「じゃ、どうするのよ?」
まさか、ずっと尚の体を貸せとか言うんじゃないよね。
「妹の魂を、蘇らせるんだ。もともと、あの体は、お前の妹のものだから、きっと、その支配力は、アーロより強いはずだ」
掴まれた腕から、熱が伝わってくる。
「まずは、アーロをみつけて、呼び掛けてやるんだ。お前の妹……ナオだっけ?そいつにな」
呼び掛ける?そんなので、本当に尚はかえってくるんだろうか?
「そのへんは、魔術が関係してるから、ウェンに聞いてくれ。おれには分からない」
そう言って、一旦あたしから手を放すと、自分の首の後ろで、手を回して動かした。
そして、拳を、あたしの方に突き出す。
「ほら」
反射的に、手を差し出す。
手のひらに、銀鎖が落ちてきた。
銀の板がついてるだけの、あまり飾りの無い首飾り。
「おれの、『銘』だ」
銘ってなんだろう?
「四六時中、手をつないでる訳にはいかないだろ」
思わず、深く頷いてしまう。
「それをつけてれば、触れるほどの効果はないけど、同じように、話が通じるはずだ」
そう言って、手を放す。
「どうだ?」
「うん、ちゃんと聞こえる」
少し、遠い感じがするけど、ノイズは聞こえない。
「ラセル」
ウェンディが、少し困った顔をしてる。
「仕方ないだろ。あとで返してもらえばいい」
「当然よ。あたし、泥棒じゃないよ」
思わずむっとする。そんなに、大切なものなんだろうか。
「わかってる」
ラセルが、短く頷いた。
あたしは、少し迷って、それを首にかけた。鎖をとめる金具は、あたしが持ってるペンダントのやつと同じみたいで、楽にとめることができた。
「今日はもう暗い。詳しいことは明日にして、休みましょう」
あたしの首に首飾りがかかったのを確認して、ウェンディが言った。
「もしかして、野宿なの?テントとかも、なし?」
恐る恐る聞いてみる。まさかこの地べたに寝るんだろうか?
あたしの、去年買ったコートは、今までの出来事にだいぶ汚れていたけど、それでも、このまま寝るのは抵抗がある。
ウェンディが眉を下げて、頷いた。
「ごめんなさい。なるべく軽装で、旅しているものですから」
そう言って、それでも毛布のような布をくれる。
あたしは何も言えなくて、それを受け取った。
ラセルは早くも、自分のマントに包まって、横になろうとしてる。
あたしも、渡されたマントを頭から被って、あまり石のない地面を探した。
柔らかく草の生えた地面に横になる。
暗い夜空を覆う木々のあいだから、ちいさな光が見えた。
木と木の隙間をうめつくす、光の、粒。
プラネタリウムみたいに、光ってる。
びっくりした。
星って、こんなに綺麗だったっけ?こぼれ落ちそうにたくさんの星。
あたしの頭のなかが、その光でいっぱいになる。
尚のことも、ここが、あたしの世界じゃないことも忘れて、あたしの意識は闇に落ちていった。