7 紅茶
「ここは、あなたのすんでいる世界とは全く別の、もう一つの世界だから」
阿呆かと思うようなことを、テレビのアナウンサーみたいにきれいに笑って、ウェンディは言った。
「信じられないでしょう?」
どう、言ったらいいんだろう?
ここは、あたしの知ってるところとは何か違う。それは、分かるけど。
もう一つの世界って何だろう?
あたしの顔をみて、ウェンディはまた笑った。
「 今、お茶をいれますね」
いつの間にか、ティーカップが出ている。
土のうえにじかに置かれて、まるでおままごとの食器みたいだ。
そして、同じく銀色をしたポットに、やかんのお湯を注いだ。
瞬間、ポットが弾けた。
ポン、と言う軽い音。クリスマスのシャンメリーみたいな音をさせて、ポットが光につつまれた。
よく見ると、弾けたわけじゃないみたいだ。
淡くなった光の中で、確かにポットの輪郭が見えた。
「ウェン」
男の子が、露骨に顔をしかめる。
「いいじゃないですか」
そう言いかけて、ウェンディは言葉をとめた。
こちらを見る。
「名前を、まだきいてませんでしたね」
「在幸。北原在幸」
二人が顔を見合わせた。驚いてる?。
「アリーシャ?」
ウェンディが聞き返す。
「あ、り、さ」
もう一度、一語一語、ハッキリと発音してやる。
「ああ、苛々する」
男の子が髪を掻きむしって、息を吐いた。
「え?」
不意に近付いて、あたしの腕をとる。
「わっ!なにすんのよ」
「もう一度、言ってみろ」
彼の声が嫌にくっきりと、耳に張り付く。
「何を?」
「名前!」
「ありさ!」
そう言って、彼の手を振りほどく。
「さっきからなんなのよ!気安く人の手を触んないでよ!」
「こっちだって、好きでやってるんじゃない」
困ったように言われて、ますます腹がたつ。
「じゃあ何なのよ」
「手、かしてみろ」
渋々手を出した。
訳がわかんない。痴漢の一種なんだろうか。
「聞こえるか?」
男の子が、ゆっくり言った。
「聞こえるに決まってるでしょ」
「じゃあ、今度は?」
そう言って手を放す。
「どうだ?」
不自然な、ノイズ混じりの声。ラジオのダイヤルがあわないときみたい。
「もう一回やるか?」
そう言って、また手をとった。
ざらざらのノイズが、途中から、クリアな声に変わる。
「何……これ」
「それが、貴方が違う世界から来た証拠。そして、貴方が、アーロネッサの客人である証拠です」
ウェンディが、あいまいに笑っていった。
「アリサ、でいいんですよね?」
何だか『さ』の音が『す』に聞こえたけど、こだわらないことにした。
「では、あらためて。私はウェンディ。女性みたいな名前ですが、男ですよ」
そう言って、にっこり笑ったあと、男の子の方を見る。
「ラセルって呼ばれてる」
短く、少年が名乗った。
「はい」
ウェンディが、淡い銀色のカップを手渡してくる。
冷たい金属の感触。軽く叩いてみると、指先に振動がかえってくる。
このカップは、別に普通みたいだ。
まあ、見た目が普通だからって、信用できないけど。
「少し、熱いかも知れないから、これで包むといいですよ」
そう言って、ウェンディがハンカチぐらいの布をかしてくれる。本当にハンカチかも知れない。
「そんなに、熱いの?」
「いいえ、飲めるくらいですから」
そう言って、まだ淡く光っているポットを、持ち上げた。
あたしは、黙って、カップを差し出す。
本当を言うと、少し恐かった。心臓が、マラソンの後みたいにどきどきいってる。
ウェンディが、なれた手付きでポットを傾けた。
ポットの口から、金色の光が飛び出す。
「うわっ、と」
思わず、カップを落としそうになって、あわてて持ち直した。
少し、ハンカチにこぼれたそれは、もうふつうの紅茶と同じに黒い染みをつくっている。
「大丈夫ですか」
ウェンディがくすりと笑った。
あたしは、手の中のカップに視線を落とした。
はちみつみたいな色の中で、光の粒がキラキラしている。
とても、現実とは思えない光景。
「あなたの世界の人たちが飲んでも、大丈夫なのは証明されてます」
ウェンディが、促すように、微笑んだ。
彼は、魔法使いなのかな。どうして、あたしの考えてることが分かるんだろう?
カップを両手で持ち直した。
冷たくなった指先に、紅茶の熱があたたかい。
どんな、味がするのだろう。
恐る恐る、口をつける。
唇に、暖かい湯気。目の前が、白く曇った。
のどに、熱を持った液体が、流れ込む。
「おいしい」
別に、ふつうの味だった。
ケーキと一緒に飲む紅茶となんにも変わらない。
少しだけ、拍子抜けしてカップを見下ろす。
「え?」
紅茶の色が、変わっていた。
物凄い早さで、金色から、赤、紫、緑へと色を変えていく。
淡い若草色になったとき、湯気の中から、人影が見えた。
「なお?」
これが、魔法?
湯気の奥に、尚が見える。
萌葱色の中で、ゆらゆらゆれて、笑ってる?
視点が、後ろへ下がった。
人が、倒れている。
尚の足元に、赤い血黙り。
「ひっ!」
「何が見えた!?」
ラセルが、カップを覗き込む。
あたしは、声が出せずに、ラセルを見つめた。
カップを見るのが恐い。
尚の手が、赤く染まっているのを見るのが。