4 見知らぬ緑
「尚!そんなに急がないでいいんだよ」
本当の事を言えば、急がないで欲しい。おばあちゃんの家へと続く林に入って、ほんの少し。今まで、足が痛くて機嫌の悪かった尚が、突然元気になったのにあたしは驚いていた。
駅から歩いて、15分。あたしにはそんなに辛く無くても、尚にはちょっと無理があったかもと反省していたのに。
さっきまで、おんぶをせがんでいた尚が、驚く程確かな足取りで、あたしの前を進む。
「尚!」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん」
尚が、振り返って笑った。でもその顔は暗くて良く見えない。
「尚、ここを知ってるもん」
「え?」
「思い出したよ。ずっと探していたんだ」
尚は、もうこっちを振り向かない。今朝、あたしが キキララのゴムで結んでやった髪を揺らしてただ歩く。
「尚?」
かさ、かしゃ。がしゃ、ざく。
あたしと尚の足音が、薄暗い林に吸い込まれる。
「そっちじゃないよ」
あたしは慌てて、尚の手を掴もうとした。
けれど、尚の足取りは一段と早くなる。林道から、草の生えた道無き道を、夢を見ているような、足取りで進む。
「なおっ!」
あたしは声を荒げた。
「そっちじゃ無いって言ってるでしょ!」
尚は振り返りもしない。
「なお!」
いいかげん頭にきた。あたしは乱暴に尚の手を引っ張る。力の加減なんて考えなかった。
「いたっ!」
「!ごめん」
慌てて謝る。泣き出すかと思ったけど、尚はそうしなかった。
「うるさいなあ。あたしはあたしのやりたいようにやるんだから、邪魔しないでよ」
尚が、こっちを向いていった。口元に、笑い?
「な、お?」
汗がひいた。首筋が、冷たい。
ここにいるのは、今、あたしに向かって薄笑いを浮かべているのは、誰?
「なお!」
尚が、あたしに背を向けて再び歩き出した。その姿が草に埋もれて見えなくなっていく。背の低い茂みでさえ、あの子を隠すには十分。
まだほんの子供なのだ。あたしの小さな妹。
追い掛けなきゃ。あの子をひとりにするわけにはいかない。
草薮を掻き分ける。
遠くに、でも確かにキキララのゴムを付けた頭が見えた。良かった。まだ見失ってない。
あたしは歩調を速めた。滑りそうで、走ることが出来ないのがもどかしい。尚が転んで怪我をしませんように。
足の下で、小枝が折れた。小さな衝撃が、靴底をとおして伝わってくる。あたしは顔をしかめた。でも歩調はゆるめない。尚の小さな頭に少しずつ追い付く。あと少しだ。
「っ!」
急に、尚の姿が、欠き消えた。そんな筈ない。さっきまで確かにそこに居たんだから。
まさか、転んだり、穴に落ちたりしたんだろうか。あたしは駆け出した。
「尚ッ?」
ただ、名前を呼ぶ。何処に行った?
足元なんて、構ってられなかった。尚の姿が消えたあたりまで行ったところで、木の根か何かに足をすくわれる。
「ぅわっ!」
思いっきり顔から草に突っ込んで、あたしは目をつぶった。
草が頬を切る感触。熱い痛みを感じる。
顔をしかめて、目を見開くと、ひかりの中に、見なれた赤い靴が見えた。恐る恐る、視線を上へ這わせる。レースの着いた靴下。コートの下から覗くチェックのスカート。ボンボンの付いたマフラー。その上に、ちゃんと、尚の顔があった。
ほっとして、全身の力が抜ける。地面に突っ伏したまま、息をはいた。
しばらく目を閉じて、やっと、体を起こした。もう一度、尚の姿を確認しようと顔を上げる。
その時初めて、あたりの様子がおかしいのに気付いた。
地面に蛍光灯でもあたっているかの様に。いや、地面自体が蛍光灯のように光ってる。光は、あたしが何も考えられないでいる間にも光を増して、眩しくて、目が痛い。
光の中で、尚の姿を探した。何も考えられなかった。ただ、尚さえいれば、この訳の解らない状態から抜け出せると思った。
見なれた妹の顔が、半分光に消えかけて、浮かんでる。
「なお」
その顔に向かって、あたしは手をのばした。真っ白な光の中で、あたしの手は確かに、ぷくぷくした子供の手を感じた。その瞬間、光が弾けた。