23 テーブルを囲む人々
ひやりとした外気が、衿のないあたしの首元に触れる。
シエネさんが開いた扉から、夜の闇がしみ出していた。虫の音が、近く聞こえる。
「ここまででいいですよ。あなたも色々と忙しいでしょう?」
ウェンディにそう言われて、シエネさんは一つ頭を下げると、ろうそくを持って、来た廊下とは違う方の闇へと消えた。
ろうそくが無くなって、あたしは不安になった。これから暗い道を通るみたいなのに、これじゃ転ばないだろうか。
「ほら」
あたしの心を見すかすように、ウェンディが扉を広く開けて、外を指し示す。
細い、光が見えた。覗き込むと、視界に合わせて広がる。
あたし達が立つ中庭の端からも、そこが大広間だとわかった。
開かれた、2階まで届くような大きな扉から溢れる光。
ただ明るさだけで言えばあたしの家の蛍光灯よりもずっと暗いのだけど、既に真っ暗になったこの世界の、小さなろうそく1本の明かりに慣れた目にはそれはとてもキラキラして見える。
「さ、行きましょう」
ウェンディが軽くあたし手を引いた。
「足下に気をつけて」
ドレスに気を使ってか、土の上じゃなく、大きな石を敷き詰めた道の上を案内してくれる。
でもその道も、平らと言うわけじゃない。月とろうそくの明かりだけじゃ、まして、この大きなスカートの下。足下はよく見えない。
ウェンディの手に縋るようにして、足下を確かめながら歩く。時々、よろけそうになる。
月がちゃんと光ってるって、この世界に来て初めて知った。いつも、どこかに人口の光があったから、月はただ遠く、黄色いだけのものだって思ってたけど、ちゃんとあたしを照らしてくれる。
「上を見てたら転びますよ」
水色の髪が月の光を遮った。
あたしは水色の中の顔を見上げる。
彼が首をかしげた。
「どうしました?」
「ん、なんでもない」
引いてくれる手にすこしだけ力を込めた。
その温もりが伝わってくる。
大人の人に手を繋いでもらうのって、ずいぶんひさしぶりだなと思った。
月明かりを消して、広間の明かりが近付いてくる。かすかな音楽。ざわめきと、暖かい空気も。
開け放たれた扉から、大きなテーブルと、一段高くなっている場所に作られた椅子が見えた。
あれは、きっと王様が座る場所だ。
無意識に、あたしの咽がごくりとなる。
「大丈夫ですよ」
そう、何故かウェンディが言った。そのまま、握った手を少しだけ強く引いて、あたしを扉の中へとつれていく。
光が、ひらけた。
いくつものろうそくが、テーブルの上に窓辺に、並べられている。
オレンジ色の光の中に、大きな人たち。
幾人かは座り、幾人かは立ち上がって、大きな声で何か話していた。
低い、荒っぽい男の人の声が、あたしのお腹に響いてくる。
反射的に、ウェンディの手を強く握って、彼の後ろで身を小さくした。
ウェンディの背中越しに見る人たちは、大人ばかりで、しかも、みんな大きくて強そうな人ばかりに見える。なんだか、恐い。
ウェンディは何も言わず、ただ、あたしの前に立って歩く。
「よう! 久しぶりだな!」
大人達の、低いざわめきから、太い一つの声が飛び出してきた。
ウェンディが立ち止まる。あたしも、一緒に立ち止まって、顔をあげた。
大きい。
父さんよりも、学校の先生よりも、それどころかここにいる人たちの中でも飛び抜けて大きいおじさんが、あたし達の前に立ちはだかっていた。
「モートルデン! 貴方も帰っていたんですか?」
ウェンディが、嬉しそうな声をあげる。その顔に、心からの笑顔が見えて、あたしはほっと体の力を抜いた。
「ああ。冬が来る前に帰れて良かったぜ。しかも、ちょうどお前に会えるとはな」
まさに、「がはは」というふきだしが似合いそうな声で、その人は笑った。空気を震わすざらざらした声。
笑い声にあわせて、おじさんの赤い髭も震えている。
「ノールマンもガフェルラフもいるじゃないですか。本当に、珍しい」
ウェンディが、あたりを見回していった。
「ああ、なんだかな」
おじさんが、そのおきな体を折り曲げて、ウェンディの耳に顔を寄せた。
なんだか、あたしの理解できない「大人の話」になりそうで、あたしは他に意識を飛ばす。
大きい部屋だ。体育館くらいはあるんじゃないかな? 天井も、それくらい高い。
左右の壁には、見事な刺繍で飾られた布がかけられていて、足もとの、ふかふかできれいな絨毯と共に華やかな雰囲気を作ってる。
部屋のまん中には、黒くつやつやする木で作られたテーブルがあった。その周りに、背もたれの無い椅子が並べられていて、そこに人々が集まっている。
外にいた時は暖かく感じられた室内だけど、こうして中にはいってみると、結構冷たい。風がひゅうひゅう吹いてくるのだ。
扉は開け放してあるし、高いところにある窓も、ガラスとかははめ込まれていない。当然なのかも知れないけれど、お城って言ったら何となく暖かいような気がしていたので、寒さが余計に強く感じられる。
みんなは、寒くないのかな?
周りの大人達(子供は見渡す限りには見つからない)は、みんな、タイツのようなズボンのような薄手の履き物に、上着一枚羽織っただけだ。その上着がしかも半そでの人もいる。
女の人も、胸元が開いたドレスの人なんか、寒そうだ。
「ん? こっちのおちびさんは?」
そんなことを考えてぼーっとしてると、ガラガラ声が上からふってきて、あたしは飛び上がった。
「ぎゃはは。驚かせちまったか?」
赤毛のおじさんが、あたしを見下ろしてる。もじゃもじゃの髭の向こうから見上げる顔は、ちょっと恐い。
しげしげと、珍しいものでも見るようにされちゃ、なおさらだ。
「お前のガキにしちゃ、毛色が違うよな」
「貴方も相変わらずアホですね……」
にっこりと笑って、ウェンディが言った。笑顔はいつもの優しい顔だけど、言ってる言葉の悪さにあたしは思わず首をかしげる。
そのあと、はっとして、おじさんの方を伺った。怒ってしまったらどうしよう。この人の力で殴られたりしたら、すごく痛そうだ。
でも、おじさんは少しも怒ってるようには見えない。むしろ、楽しそうだ。
「久しぶりに会った旧友に、アホはないだろアホは」
「お変わりなく、と言ったつもりですけど。相変わらず、おめでたい脳味噌で、と」
涼しい笑顔のウェンディに、あたしははらはらして、彼とおじさんの顔を見比べた。
これが、ウェンディなんだろうか。確かにいつもと同じ優しい笑顔だけど、言ってることが全然違う。この人のことが嫌いなんだろうか?
「おお、そうかそうか。相変わらず、ねじまがった愛情表現だなぁ。俺みたいにわかりやすくやれ」
そう言って、おじさんが大きな腕で、ウェンディを抱き締めた。あたしの足よりも太い、彼の腕に抱き締められたウェンディは、やっと笑顔をけして顔をしかめる。
「モートルデン!」
「はっはっは! お前も変わりないようで嬉しいよ。相変わらず、姫様みたいなきれいなお肌で」
そういって、さらにぎゅうっとウェンディを抱き締めると、その髭を彼の顔に擦り付けた。彼に抱き締められてると、華奢なウェンディは子供のようだ。
「やめて下さい。髭が移る」
ぎぎッと音がしそうなほど力を込めて、ウェンディが彼の顔を押し退けた。
「抱き締めるんなら、女性にしてください。そのむさ苦しい体を近付けられても、少しも嬉しくない。それとも主旨替えしましたか?」
「けっ。全く可愛くない野郎だぜ」
しぶしぶ、と言うように、おじさんがウェンディから体を放す。
ウェンディは服の埃を払ってみるポーズで、彼から離れた。
「まったく……アリサに、変なところを見せないようにして下さいよ」
そう言って、やっと、あたしの脇に戻ってくる。
「アリサ、あちらのむさ苦しい大男が王の騎士の一人、モートルデン卿です」
「全く、随分な紹介だな。まあ、お前にしちゃ、マシな方か」
そう言って、モートルデンさんがあたしの方へ身をかがめた。
あたしの顔よりも大きいんじゃないかって言う手のひらで、あたしの頭をなでる。
「あんたが、客人のじょうちゃんだな。さっき、話には聞いた」
髭の顔を、笑顔でいっぱいにして、モートルデンさんは笑った。
「ようこそ、アリーシアへ。あんたにとっちゃ災難かも知れないが、まあ楽しんでいってくれや」
「知ってたなら、わざわざぼけないで下さい」
ウェンディが目を細めて言う。
何となく、あたしにもこの二人の仲が悪いんじゃなく、むしろその逆なんだって言うのがわかってきた。
言葉遣いは悪いし、言ってることもきついけど、それでもお互いに楽しそうだ。この人と話している時の、ウェンディは、あたしが思ってるよりもずっと若く見える。
「さ、そろそろ、料理がでてきます。席に着きましょう」
そう言って、ウェンディがあたしの背中を押した。
ウェンディとモートルデンさん、二人に挟まれて、椅子に座る。隣にモートルデンさんがいると、まるで壁を横にして座っているみたいだ。
他の人たちも、だんだんとテーブルに集いはじめた。
あたしは見知った顔、ローザとラセルを探そうとして、あたりをきょろきょろする。
見なれた金髪は、ここでは見つからなかった。
彼等は遅れてくるのかも知れない、そう思ったけど、何となく不安になって服の裾を直す。
子供はあたしの他にいなかった。女の人も少ない。みな、大人の大きな人ばかりだ。子供が一人もいない場所は、やっぱり居心地のいいものじゃない。
まだ誰もいない方が楽だ。
みんな、昔からの知り合いみたいに、楽しそうにあたしの知らない話に夢中になっている。
時たま、遠くからあたしのことを指して、なにか言っている人もいる。気のせいかも知れないけど、こっちの方を見て話してる人たちがいると、そんな気がして落ち着かない。
早く始まって終わらないかな。あたしはそう思って、あたりを見回した。大きなテーブルだ。
全員が席についていないからわからないけれど、20人近くが向かい合って座れるんじゃないだろうか。
そこに、白い、多分陶器でできたコップが並べられている。数えてみたら、17個あった。そんなにたくさんの人がここで飲み食いするのかと思うと、なんだかため息が出る。
当り前だけど、そのほとんどが知らない人。あたしはもう一度、テーブルを見回した。
まだ、ときどき夢を見ているような気がする。奇妙な世界の、奇妙な人たち。
あたしのみたこともないような服を着て、聞いたこともない言葉で話す人たち。
これが全部嘘だったらいいのに。お話だったら、きっと楽しいのに。夢だったら、ちゃんと覚えておいて、起きたら尚に教えてあげるんだ。
壁にかけられた布のことも、あたしが座っている椅子にほられた細かい鎖模様も、ここにいる人たちの不思議な、でもとても綺麗な服のことも。
そう思いながら見回していると、テーブルについた女の人の中に、ひときわ綺麗な人がいた。
ウェンディと同じくらいの年じゃないかと思う。
日の落ちる直前の空の色をしたどこか夢見るような目。さらにそれを深くした、紫がかった赤色の髪の毛を一人だけ、結わずにそのまま垂らしている。確かに、他の女の人みたいにふんわり結い上げるには少し短い。肩につくスレスレのあたりで、軽そうな髪の毛がふわふわ揺れていた。
ローザを見た時もすごい美人だと思ったけど、この人はまた別に、同じくらい綺麗。華やかで暖かいローザと違って、どこか、はかない妖精のような非現実的な美しさ。
あたしがもっと言葉を知っていたら、彼女の綺麗さをちゃんと表現できるのに。ただ綺麗って言うんじゃないんだ。綺麗って言葉だけじゃ足りないくらい。
今、ここにいる女の人は大抵、みんな綺麗だ。みんなお姫さまみたいに綺麗だけど、その中でも彼女だけ特別だって言うのがわかる。
彼女は、服装も他の女の人とは違っていた。あたしの普段の服に比べたら、ずっとひらひらしているけれど動きやすそうな細みの袖。アクセサリーもすんなりした指に一つ、指輪をしている以外、腕には何もない。
きらきら光る紫の目を楽しそうに細めてずっと隣の人と話している。
その隣の人も、とても目立つ人だった。
お母さんと同じくらいの年だろうか? もう少し若いかも知れない。
落ち着いた茶色のドレスを着て、黄色みがかった銀色の髪の毛を、ゆるくふんわりと高い位置にまとめている。結い上げた髪をとめる上品な髪飾りもはめ込んだ深い緑色の石が髪の毛によく似合っていた。
習字の先生みたいにピンとのばされた背筋。うちのお母さんよりは若いのだろうけど、お母さんよりも偉く見える。
まっすぐ前に向けられた目線には、厳しい先生みたいな雰囲気があるけれど、恐いって感じはしない。
でも、どこかしら特別な雰囲気がある。きっと、偉い人なんだろうと思った。
じっと見ていると、その人がこちらを見た。
深い、緑の瞳。どこか懐かしいような、優しい色だ。小さな赤ちゃんのように、年をとったおばあさんのようにおだやかに澄んでいる。
あたしは何故か、恥ずかしくなって、小さく頭を下げて目を逸らした。
ふいにあたりが静かになった。
まるで、チャイムがなって、先生が来たみたいにみんながだまって席につく。
あの綺麗な人が、ウェンディが、モートルデンさんが、扉の方を見ていた。
彼等の視線の先を、あたしもたどる。
大きな扉の前、ひときわ輝くろうそくの下にローザがいた。ラセルもいた。
そして二人の間に、背の高い男の人が立っていた。
ラセルよりも、頭ふたつ分は高い。まっすぐに延びたからだ。
その上にのった顔の、はっきりとした固い顎の線。焦げ茶の口ひげの奥には固くひき結ばれた唇がある。
右の目はラセルによく似た濃い青だ。怒ってるみたいに強く、しっかりと前を見据えている。そして左の目は黒いアイマスクのようなもので隠されている。見えないのだ。
言われなくてもわかった。彼が、ラセルのお父さん、この国の王だと。