14 影
昼過ぎ、歩いていると、遠くで何か聞き慣れないような、懐かしいような音が聞こえた。
波の音のような、大きくなったり小さくなったりするざわめき。
ふいに光が大きくあたった。下を向いて歩いているうちに、木々はまばらになり、辺りが明るくなっていた事に気付く。
顔をあげると思ったよりずっと近くに、それはあった。
遠くから見た時はよくわからなかった茶色の部分が、あたしの背丈の何倍もある、木で出来た扉だという事がわかる。
灰色の大きな石で積み上げた、見渡す限りの塀。その上に小さく見える緑の旗。まさに外国のお城だ。
夕焼けになる少し前の、淡い黄色の光をうけてるお城は、やっぱり綺麗だ。
あたしが住んでいた市にも江戸時代のお城があって、遠足で見にいったけど、それを見た時と同じ圧倒される感じだ。形は違うけど、すごく沢山の年月とお金と苦労をかけて作られた建物だってことは同じだからかな。
あたしがお城に見とれていると、ウェンディが自分のマントを、差し出してきた。
「アリサ、ここから先はこれを。その格好は少し、人目を惹き過ぎるので」
あたしの格好?なんてこと無い綿シャツとスカートなのに、この世界では珍しいものなんだと思うと不思議だ。
あたしは、彼のマントを借りて、見よう見まねで被ってみる。どうやって留めれば良いのかわからず、端を抑えていると、ウェンディが、くるくるっと端をまいて器用に留めてくれた。
その慣れた手つきに一瞬、尚のコートのボタンを留めていた母さんの仕草を思いだす。かさついた、白い指先。
「アリサの髪も目立ちますからね、フードを被った方ががいいかもしれません」
いって、マントのフードをかぶせてくれる。
あたしは何だか落ち着かなくて、あいまいに笑ってフードの縁をつまんだ。
「ここでは、黒い髪も珍しいの?」
一瞬、ウェンディが言葉につまる。
「アリーシアに、黒髪の人間はいない。黒い髪をしてるのは海のむこうから来た人間だ」
ラセルが横から口をだした。ウェンディが頷いて付け足す。
「それと、ここでは黒髪はあまり歓迎されないのです。魔女の印だそうですから」
思っても見なかった言葉だ。あたしは、思わず自分の髪の毛をつまんで見つめてしまった。日本人には当たり前の黒い髪、これが、ここでは、金や水色よりも珍しいのだ。
黒髪が魔女の印なら、あたしも魔女に見られるのか。だから最初、二人はあたしを魔女だと思ったんだ。
あたしは何の力も持っていないのに。
「ほら、行くぞ」
せっかちに先へ進んだラセルが、後ろを振り向いてあたしをせかした。いつの間にか、ウェンディもあたしの前を歩いている。二人の姿は城門の影に隠れて暗い。
「わかってる」
そのまま影のなかに消えていくラセルとウェンディを、あたしは駆け足で追った。
あたしも影に飲み込まれる。
目に焼き付いた黄色い夕日が一瞬、影のなかにうかんだ。残像に思わず目を瞑った瞬間、
『在幸』
耳のすぐ後ろで声が聞こえた。
馴染んだ音。ラセル達が呼ぶ少し掠れたアリサではない、日本語の音。振り向かずにいられない、本当の響き。
誰?
後ろには誰もいなかった。夕焼けに染まる金色の森が遠く、見えるだけ。
『在幸』
声がまた呼ぶ。笑いを含んだか細い囁き。
「誰?どこにいるの?」
あたしの声だけが、冷たい敷石に響いた。
「アリサ?」
後ろから肩を掴まれびくりとして振り返る。
驚いた表情のラセルが、そこにいた。
「…何でも、ない」
思わずため息がもれる。身体にこもった力が一気に抜けて、少し膝が笑う。
気のせいだったのかな。
「行くぞ、早く休みたいだろ?」
ただ頷いて、ラセルの後を追った。太陽の残像も消えて、薄暗い石柱の向こうに、街が見える。
暗くひんやりとした、日陰を抜けて顔をあげると、そこは夕焼けに染まった街だった。
この世界へ来てからはじめてみる、ラセルとウェンディ以外の人。ひと。
路なりに並んだおもちゃのような家々の前を、ウェンディ達のような服を着た人たちがいっぱい歩いてる。
金色の髪の人もいる。茶色の髪の人もいる。わずかだけど、ウェンディみたいに水色の髪の人もいた。黒髪の人はいない。
「人が多いからな、はぐれないように気をつけろよ」
きょろきょろとあたりを見回してると、ラセルが言った。
確かにこの人の多さじゃ、背の低いラセルの姿はすぐ埋もれてしまうだろう。まるで、休日のデパートのような人の多さだ。
「すごい人だね」
あたしはラセルの金髪に向かって声をかけた。
「城下町だからな。当たり前だ」
素っ気無い返事。でも、ラセルはそういうやつなんだと、森を歩いている間にあたしもわかってきた。
少々偉そうだけど、不親切なわけじゃない。
「この人たちみんな、ここに住んでるの?」
「いや、ここは港町だからな。色々なところから商人や旅人がやって来るさ。怪しいやつもいるから、あまりきょろきょろするな」
遮るもののない太陽の光を浴びて、ラセルの髪はいっそう光っている。あたりを見回しても、これくらい純粋な金色の髪は他にいない。
素直に綺麗だなって思う。辺りの人々が、彼の髪を見ると思わず目を細めるのが分る。
ここではあたしの黒髪は歓迎されないのだと思うと、少し悲しくなった。今まで、この髪を嫌いだと思ったことはないけど、ちょっとだけラセルの髪が羨ましい。
「どうした?」
ちらりと後ろを振り向いて、ラセルがこっちを訝しげに見てる。
「あんまりきょろきょろするなとは言ったけど、だからって俺を睨むなよ」
「ちがうよ。たださ、綺麗な金髪だなって思ってただけ」
一瞬、変な顔をした後、ラセルはにやりと自慢げに笑った。
「この髪はアリーシアの直系の証だからな。血が純粋であればあるほど髪も純粋な光の色になる」
「直径?」
いつの間に算数の話になったんだろうか?。
ラセルが気まずそうに、肩に掛けた布袋を持ち直した。
「一応、城に着く前に言っておくか。俺は、今はアリーシアの一番濃い血を受け継いでる」
そこで一息吸って、改めてラセルは言う。いつの間にか、大きく見えてきたお城の門がその後ろにそびえ立つ。
「アリーシア王のたったひとりの息子、王子ってやつだ」
口をあけたまま、馬鹿みたいに城とラセルを見比べていたあたしの耳をひゅうっという鋭い高音が打った。
ラセルが、いつの間にか小さな銀色の笛を口に当てている。
門の上の壁に空いた小さな穴に、人影が見えた。
がたん、ぎゅ、と重く軋んだ音をたてて、大きな木の扉が以外にも滑らかに動いていく。
ざわめきが、くっきりとした音となって、耳に届いた。
音をたてて、大きな木製の門がひらく。
「お兄様!」
高く、はりのある声がして、金色の波が眼に飛び込んできた。
ふさふさと、波打つ豊かな金髪をもった少女が、石段の向こうから、駆け込んでくる。あたしと同じくらい?いや、もう少し幼いだろうか。
軽やかなその足取りが、敷石に引っ掛かってバランスを崩す。 薄桃色のドレスの裾がふわりと広がった。
少女が転ぶ音が聞こえそうで、思わず目をつぶった瞬間。
「ローザ」
ラセルの声が、脇をすり抜けていった。
目をあけると、ラセルが少女を抱きとめている。ほっと胸をなでおろした。
「お帰りなさいませ。お仕事ご苦労様」
ローザと呼ばれた少女がラセルの腕の中でにっこりと微笑んで彼の背中に手を回す。
「…ただいま」
ラセルも軽く、少女を抱き返した。