10 魔法使い
「すごい!」
何となくは、そうだろうと思っていても、本人の口から聞くと、あらためて興奮する。
かれは、魔法使いなんだ。ディズニー映画や、オズの魔法使いの姿が、ウェンディの隣に浮かんでくる。どちらかというと、長い髭と帽子の『魔法使い』というよりは、そのきれいな顔は、妖精みたいに見えたけど。
間違い無く、かれは、お話に出て来るのと同じ、『特別』なひとなんだ。
「そんなにすごいものでもありませんよ」
苦笑して、ウェンディが首をふった。
「足が早いとか、手先が器用だとかと同じです。持って生まれた性質でしか無い」
珍しく、投げやりな口調。何か、悪いことでもいったかな?
「そうでした、貴方にも、魔法について教えておかなければね」
そういって、軽くあたしの頭を叩く。その声は、もう、いつものウェンディで、あたしはほっとした。
「朝御飯の準備をしながらでいいので、聞いて下さいね」
「あたしは、何をすればいいんですか?」
「この袋のなかに、さっきラセルがとってきた木の実があります。それの、殻剥きでも頼みますね」
そう言って、もとは白かったのだろう袋をあたしは受け取った。ピンポン球サイズの茶色い実が、沢山入ってる。
「こうやって、溝のところからナイフで割って下さい」
ウェンディが、やってみせると、きれいに割れた殻の間から緑のみが顔を出した。
微かに甘い、アーモンドに似た香りがする。
「一つだけ、食べてみますか?」
「……」
「大丈夫ですよ、昨日みたいなことはありません」
そう言って、ウェンディがあたしの手のひらに気の実を転がした。
殻を剥くと、木の実はひと回り小さくなっていた。キャベツみたいな薄いグリーン。
それを、人さし指でつまんで、口に入れる。口のなかに、軽い甘さが広がった。微かに草のような、風味のする、爽やかな甘さ。
「おいしい」
「ウィズの実と言うんです」
ホッと息をはいて、ウェンディが眉を下げた。
「じゃあ、魔法について、お話しましょうか。あ、ちゃんと手は動かして下さいよ」
もちろん。あたしの手は既にナイフを握ってる。家で使ってた、包丁とは少しちがうけど、図工で使う小刀と同じような感じだ。
「魔法、と言っても実は人によってやり方は違うのですが。大雑把に言って、目に見えないもののことを『魔法』と呼んでます」
確かに、魔法を見たことは無い。アニメではいつも、杖の動きやきらきらの光で表されてる。
目に見えないものをどうやって扱うんだろう?見えなくちゃ、触れない、使えない。
「私は、そのなかの精霊を使う魔術師なんです」
「セイレイ?」
耳慣れない言葉だ。社会の授業で聞いたような気もするけど…違うだろうな。
「この世界の力の流れだと、私は師匠に教わりました」
少し困った顔をして、ウェンディがたき火をさした。
「例えば、アリサにはあの火に何が見えますか?」
「え……」
じいっと火を見つめる。火は、火だ。他の何にも見えない。
「私たちには、そこに力、炎のエネルギーが集まっているのが見えるんです」
ウェンディには見えるんだ。『魔法』が。あたしには、見えない。
何か、難しい話になってきた。
「そのエネルギーを、ある手順を用いて、自分の意志の通りに動かすこと。それが私の魔法ですね」
駄目だ、さっぱりわからない。学校の授業よりずっと難しい。
「さっきのを例にとると、枯れ葉に火を起こすためには火のエネルギー、炎の精霊が必要だった。けれど、枯れ葉の周辺には火の精霊はいない。それで、太陽の光のエネルギーを借りてそれを火の精霊に変えたんです」
あたしは余程、情けない顔をしていたのだろうか。ウェンディが、苦笑して、付け足した。
「私は、説明が苦手で…まあ、わからなくても、そんなには困らないと思いますよ。これだけは覚えていれば十分です。全ての魔法には理由がある。火を起こすのに、太陽が必要だったように。何もないところからは生み出すことは出来ない。見えなくても、触れられなくても、そこに確かに『それ』はあるんです」
『それ』ってなんだろう?見えないのに、そこにあるもの?
どうやら、魔法と言うのは、杖を振るだけではだめみたいだ。なんだか面倒な、理屈が必要なんだ。アニメの登場人物は、あんなに簡単に使ってるのに。
「全ての魔法には理由がある」
彼の言葉を繰り返す。そうすれば、理解できるかなと思ったけど、教科書の朗読のようにはいかなかった。
すべての魔法…あたしが見た魔法はせいぜい、昨日の紅茶ぐらいだ。
「昨日の、あの」
あたしは、ずっと聞きたかったことを聞いておこうと思った。ううん、ほんとは聞きたくない。でも、聞かなきゃ不安でしかたない。
「……あたしが、見た…あれは」
あれ、としか言えなくても、ウェンディは解ってくれたみたいだ。
「昨日は、ごめんなさい。あなたには、紅茶のなかにアーロネッサの姿が見えたのでしょう?」
「…うん」
あたしは、黙って頷いた。手許の、ウィズの実に意識を集中させる。
何かに気を向けておいた方がつらくない。お父さんと、母さんがけんかしている時は、勉強をするのと同じだ。
「床に……緑の服を着たおじさんが倒れてて……尚が…、血まみれの手で、笑ってた」
「!」
ウェンディが息を飲む。そこまでは、話してなかった事を思い出した。
「あれ、本当じゃないよね?」
「……あの紅茶は、貴族の間で、お遊びに使われている占いのおもちゃです」
うらない。あたし達が、雑誌で読んでるのと同じようなものだろうか。
同じように、当たらないものなんだろうか。
「それを飲んだ人の、未来を映すといいます。他愛のない魔法ですが、当たらないわけでも無い」
「あれは、本当になるって言うこと?」
唇が震えて、上手く言葉にならない。
ウィズの実の殻を剥かなきゃ。手許が狂わないよう、気を付けて。
「そうかもしれないし、そうじゃないかも知れません」
「どうして……」
ナイフを持つ手が止まった。半分殻の取れた実と一緒にひざに転がす。
「何一つ、断言してくれないの。大丈夫だって、言ってくれないの」
まぶたが熱い。回りの空気がやけに冷たく感じた。
ウェンディが、困った顔をしてる。誰かを思い出すその顔。
「断言したら嘘をつくことになります」
あたしは甘えたんだ。不安や、心配は全てウェンディにまかせて、安心したかった。考えたく無かった。
「大丈夫だと、いくら口にしたところで、現実はかわらない。今、私が、貴方にそう言っても、一時の安心が得られるだけです」
それは、正しい。母さんが、「大丈夫よ」って言ったって、結局二人は離婚したように。「すぐ行くから」って母さんは言ったけど、いつ迎えにくるかなんて、本当はわからないように。
嘘をついて、安心させてもらっても、あたしはいつも不安だった。それでも、嘘をついてほしかった。
嘘だってわかってるのに、なんで、それを欲しがっちゃうんだろう。自分が情けなくて、悔しくなる。あたしは、ばかだ。
唇が震えて、鼻の奥がつんとしてる。泣くもんか。これ以上、ばかになんてなりたくない。
「魔法には未来を見るものもあります。確かに、その魔法は当たる。でも、未来のすべてを知る魔法はありません」
何を言いたいんだろう?いつに無く、ゆっくりとした声の調子が、気になったけど、半ベソ状態の顔をあげるわけにはいかなくて、黙って聴いていた。
「あなたは、血にまみれた妹さんの姿を見た。でも、それはまだ決まっていない未来の一コマでしか無い。それが本当の血だったかは分らないし、倒れた人が、彼女によって傷つけられたとも決まっていません」
そっと、俯いていた顔を上げる。ウェンディの長い、きれいな髪が見えた。そのなかの、マリア様みたいな綺麗な笑顔。
どちらともいえない。何一つ、断言してはくれなかったけれど。
なぜか、まぶたの熱がひいた。体が軽くなった。たき火の暖かさが、急にはっきりと伝わってくる。
「もしかしたらその赤は、トマトやワインだったかもしれないでしょう?」
「ふっ」
ウェンディが、おお真面目な顔でそういうのを聞いてたら、おかしくて、思わず笑ってしまった。
「あはっ、ははっ」
なんでだろう、そんなにおかしいことだか分らないけど、声を出して笑うのは、物凄く気持ちよかった。
笑って、細くなった目から、少しだけ涙がこぼれ落ちたけど、気持ちよかった。
泣いていることに気づいてたと思うけど、ウェンディは何も言わなかったから、あたしは初めてウェンディが好きだなって思った。
この、判らないことばかりの世界を、少し、好きになった。