第047話 目から鱗
すみません、寝落ちしまして……
「ううっ!」
ニビリムの大通、雑踏に紛れてトーラスが転移魔法を詠唱しようとしていたところ、どこからともなく飛んできた酒瓶が彼の後頭部を直撃し、鈍い音を立てる。
「トーラス、大丈夫か!? ……うおっ!」
ラミアを担いだグレインはトーラスの方を振り返ろうとするが、今度はグレインの方に矢が飛来し、グレインは既のところで躱す。
「まずい! ここは人が多過ぎる! 転移は人通りの少ない場所へ行ってからにするぞ!」
グレインはそう叫んでラミアを担いだまま駆け出す。
人一人を担いで走っているため、グレインには後ろを振り返る余裕はなかった。
彼の後ろでは、酒瓶の直撃を受けたトーラスが頭から血を流して蹲っており、それを庇うようにハルナ、セシル、リリー、ダラスが、それぞれトーラスに背を向ける形で取り囲み、四方八方から飛来する生活雑貨を払いのけている。
「兄様……起きて……兄様!」
リリーがトーラスに背を向けたまま叫ぶが、その声は彼の意識までは届いていないようだった。
「しょうがねぇ、援護してくれ!」
言うが早いか、ダラスはトーラスのもとへ駆け寄り、その身体を担ぎ上げて叫ぶ。
「走るぞ!」
その言葉を合図に、グレインと同じ方向に駆け出す四人。
そして、みるみるうちにグレインに追い付くダラス達。
ダラスの足は、トーラスを抱えていても衰えることなく、ぐんぐん加速していく。
「ガチギレアサシン、お前……暗殺者だけあって足が速いんだな……。トーラスは……ラミアよりも重いだろ?」
全速力で息も絶え絶えに、グレインがダラスに問うと、彼はふん、と鼻を鳴らして告げる。
「俺が『緑風の漣』に加入した時の事を忘れたのか?」
グレインは肩に抱えた女が以前発した一つの言葉に思い当たり、ダラスに対して憤りを覚える。
『ダラスは暗殺者なのに魔法も使えてさ、荷物の重さを感じなくできるって訳』
「そうか……重力操作魔法だな!?」
「あぁ、そうだ」
ダラスはニヤリと笑顔を見せる。
「ふざけんなよ! 俺がこんなに重たい思いしてるのに、自分はトーラスの重さを感じることなく走ってるのかよ! 頼む、このヘビー級魔女にも魔法かけてくれ! ……って言うか、最初から魔法掛けてくれればよかったんじゃないか?」
グレインは『ヘビー級』と言っているが、ラミアはむしろ痩せ気味な部類に入る体型である。
「それは……イングレ、お前がラミアの体重を知っていた罰だ。そもそも俺は、重力魔法を掛けようと思ってお前のところに駆け寄ったんだ。なのにお前が、ラミアと……ラミアとそういう関係だと言うから! その重さは貴様の罪の重さだ!! 思い知ったか!」
走りながら大声でグレインを断罪するダラスであった。
「こいつ味方じゃなかったのかよ」
グレインは深い溜め息をつきたかったが、そんな余裕はなく、ただひたすらに走り続けるだけであった。
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「はぁ、はぁ……もう、ダメだ……」
「とりあえず……ここまで来れば大丈夫ですかねっ」
グレイン達は大通りを通り抜け、狭く人通りの少ない路地裏に駆け込んでいた。
「おいイングレ、ラミアは大丈夫か!?」
「ガチギレアサシン、トーラスは大丈夫か!?」
慌てた様子でグレインに問いかけるダラス。
そして、それと同時にやはり慌てた様子でダラスに問いかけるグレイン。
「はぁ……。お二人ともまずは落ち着いてくださいませ。ハルナさん、まずはトーラスさんの治療を、次にラミアさんの治療ですわ。グ……イングレさんはハルナさんを強化してください」
明らかに浮き足立っているグレインとダラスを宥めるのは、溜息をつくセシルであった。
そして彼女の指示に従い、グレインに強化されたハルナは、トーラスの頭に矢を突き刺す。
「さっき俺に施された回復魔法はこの力なのか……」
ダラスは、トーラスを癒やす矢とハルナを興味深く見つめている。
その隣には、兄を心配そうに見つめるリリーの姿がある。
「ダラスさん、あまり油断されると困りますわ。言ってしまえば、ここはまだ敵地の中なのですから」
「あぁ、分かってるよ。そろそろ……追手が来る頃だろうな」
ダラスのその言葉を裏付けるかのように、路地裏に子供が一人入ってくる。
一同は目を見開いて、その子供を凝視した。
何故なら、その子供の手には、ナイフが握られていたからだ。
「ミゴールってのは、よっぽどいい性格してるんだろうな。……性根まで腐ってそうだ」
明らかに怒りを滲ませるグレインだったが、抱えていたラミアを地面に転がしてから、目の前の子供に感情を閉じ込めて優しく話し掛ける。
「なぁ坊主、そんな危ない物は仕舞った方がいいぞ?」
その子供は、こくりと頷くとナイフを下げ、笑顔でグレインの方へ歩み寄る。
次の瞬間、少年はグレインの腹部にナイフを突き刺そうと試みるが、ダラスの蹴りによって、路地裏の壁に叩きつけられた。
「すまない、ダラス。助かったよ」
「危ねぇなぁ……ああいうの信じるなよ? あいつは……ミゴールは理性まで含めて、対象を完全に乗っ取れるんだ」
ダラスは苦笑しながら言う。
「それにしても……。相手が子供だろうと容赦ないな」
グレインは、壁の下に倒れている子供を見ながら呟く。
「何言ってんだ。お前のパーティには、俺を治してくれたヒーラー様がいるじゃねえか。命が残ってりゃ、いくらでも治せるだろ?」
「あぁ、そうか! 今までほとんど手が出せなかったけど、死ななきゃ何やってもいいのか……。ありがとう、ガチギレアサシン! 今この瞬間、目から鱗が落ちたよ」
否、今この瞬間、グレインの理性が崩壊したのであった。
この後グレインは、路地裏に入ってくる人間を老若男女構わず片っ端から殴りつけていき、トーラスとラミアの治療を終えたハルナが治療に追われる羽目に遭う。
「おいおいイングレ、さすがにやり過ぎだろ。今の婆さんはただの通行人じゃないのか? さっきの男もこの路地裏を覗いただけだったし」
「イングレさん、おやめ下さい! これじゃただの通り魔ですわ! ニビリムから脱出する前に、イングレさんがお尋ね者になってしまいますわよ!?」
「む……そ、そうかな? じゃあ自粛するよ」
必死にグレインを止めるセシルとダラス。
二人の説得により、グレインは通行人に襲いかかる手を止め、地面にどっかりと座り込む。
ちょうどそこへ、杖をついたヨボヨボの老人が通り掛かる。
「あの爺さんも、俺達が止めなきゃイングレに殴り飛ばされてたところだったな」
「えぇ、良かったですわ」
二人がそう呟いた瞬間、老人は杖を掲げる。
すると杖の先から次々と火球が生み出され、ダラス達へと襲いかかる。
「きゃぁっ!」
思わず目を瞑り、覚悟するセシルだったが、いっこうに魔法が着弾しない。
恐る恐る目を開けると、そこには闇の靄が漂っていた。
「これは……魔力障壁?」
セシルははっとして後ろを振り返る。
「この町にいる以上は、グレインの行動が正解なのかも知れないよ?」
「トーラス様! 気が付かれたのですね!」
そこには満面の笑みを浮かべるリリーと共に、セシルとダラスに魔法障壁を張るトーラスが立っていた。
彼はそのまま詠唱を続け、地面に転移の黒渦を作り出す。
「さぁ、入って!」
最初にダラスがラミアを抱えて入る。
それからリリー、『災難治癒師』の三人が入り、あっという間にトーラス一人になった。
「どうやらリリーの奥義は使わずに済みそうだ……」
彼はそう呟くと、転移魔法に飛び込む。
直後、転移の黒渦は蒸発するように消えていった。




