第347話 もう付き合ってられないから帰るぞ
「父上……お元気でッ! またすぐに会いに行きますッ!」
ベルクート夫妻はダイアンが提案した護衛の騎士を断り、ミュルサリーナだけを伴って馬車に乗り込んだ。
城門を出ていく馬車にアンネクロースがそう呼び掛けると、ベルクートは馬車の窓から右手を出し、握り拳を天に向ける。
「ミュルサリーナさん、行っちゃいましたね……」
ベルクート一行を見送っていたグレイン達の中で、ハルナがそんな事を呟く。
「まぁ、森なんてすぐそこですわ。ねぇポップ。あなたの足にかかればあんなところ一瞬ですわよね。すりすりすり……」
ポップを絶え間なく撫で続けているセシル。
「セシルちゃんばっかり……ずるい。私も……」
たちまちリリーとセシルの間でポップの奪い合いが勃発する。
「リリー、あとでいくらでも撫でさせてもらえばいいじゃないか」
そんな妹をやんわりと窘めながら、トーラスはグレインを見る。
「じゃあ、僕たちもそろそろ行こうよ、グレイン」
「あぁ、そうだな。だいたい終わったことだし、ヒーラーギルドに帰るか」
「あんた達、ちょっと待ちなさいよ。帰る前に、これだけはちゃんと言っておかないと」
グレイン達を制し、ナタリアがダイアンの前に立つ。
「ダイアン……新皇帝陛下。今回の依頼について、報酬はヘルディム王国にお支払いをお願いします。……ちゃんと払いなさいよ? それと、前皇帝に頼まれた、あんたが皇帝になるのを見届けるって話の報酬は別だからね。そっちはヒーラーギルドに払ってよね」
「わかっています、ナタリアさん。……仮に、ちょっとでも支払いが滞ったら僕の事を叱ってくれますか?」
「はぁ?」
「ちょっとダーくん、私以外の女にデレデレしないで! 斬首するよッ!」
「さすが王妃様は良いこと言うわ。そうね、支払いが滞ったら是非とも斬首をお願いするわ。あんたはさっさと金払って死になさい」
「払ったら死ぬ必要ないだろ」
ダイアンを冷ややかな目で見つめるアンネクロースとナタリアには、そんなグレインの指摘も聴こえていないようであった。
「ナタリアさん、では帰る前に、最後にどうか、どうか僕を叱ってくれませんか! ……母さまのように!」
「あたしはあんたの母さまじゃないわよ……」
「また……デレデレ……。誰かッ! 誰かいるかッ! 今すぐダーくんの、皇帝陛下の首を刎ねよッ!! 直ちに斬首ッ!」
「アンネクロース様、どうされましたか!」
「え、陛下を……?」
「斬首……?」
アンネクロースの声に駆け付けた騎士達も次々と首を傾げる。
「ダーくんは私だけ見ていればいいのッ! 私から目を逸らしたら即刻斬首斬首ッ!!」
「おい、待てよ……ここでダイアン陛下の首を刎ねると、そいつは堂々と『皇帝殺し』を名乗れるってことだよな」
「え、何だよそれ。そうするとそいつが新皇帝か? 一瞬でこの帝国の主に……富と名誉が手に入るってことか?」
「これは……殺るっきゃねぇか!」
「そりゃそうだろ! 王妃様の命令だぞ!?」
「その王妃様も俺のものに!」
しかし、目の色が変わった騎士達の前にリリーが立ちはだかる。
「私はダイアンさんを殺してもいいけど、あなた達が殺ったら駄目……。一歩でも動いたら私が……あなた達を殺す……」
こうしてドン引きするナタリア、デレデレするダイアン、怒り散らすアンネクロース、野心にまみれた近衛騎士とそれを止めるリリーの構図が出来上がる。
「何だよこの状況……。ナタリア、もう付き合ってられないから帰るぞ。トーラス、バナンザのギルド前まで頼むな」
「ねぇグレイン、いつも言ってるよね? 僕は便利屋じゃないって」
「大丈夫、ちゃんとわかってるよ。転移屋だろ?」
「全然わかってない!」
トーラスは不満を漏らしつつ、転移渦を生み出す。
「はい、作ったよ。バナンザのヒーラーギルド本部行きでーす」
生気を失ったような眼のトーラスが棒読みで案内する。
「そういうことだからあたしは帰るわね。くれぐれも報酬はちゃんと払いなさいよ!」
「あっ、ナタリアさ……」
言うが早いか転移渦に駆け込むナタリア。
ダイアンはがっくりと肩を落としてそれを見送る。
それに続くようにハルナ、セシル、サブリナやポップまでも転移渦へと入っていく。
「馬は転移しないで自分で走れよな」
「聖獣って僕の闇魔法で転移させても問題ないのかな。完全に逆属性だと思うんだけど……」
グレインは、首を傾げるトーラスの肩を叩きながら言う。
「自分で入っていったんだからしょうがない。なんかあったら便利屋トーラスが責任取ってくれるだろ」
「だから便利屋じゃないって! まったくもう……。リリー、帰ろう」
トーラス兄妹を伴って転移渦へと進むグレイン。
その背後で慌てふためく二人の魔族がいた。
「魔王様! リナ様! 何処に行かれましたか!?」
真っ青な顔で辺りを見回すクライルレットとセーゲミュット。
「いつもはあんなにうるさいのに、偶にしれっと存在感を消すのが恐ろしいところであるな」
「セーゲ、それはリナ様に聞かれたらこっ酷く怒られてしまうやつだぞ」
「リナ様の行方が分かるなら怒られても構わぬわ」
トーラスもこの二人の様子に気が付く。
「なんか騒ぎになってるけど……」
「まぁ気にするな。俺たちは依頼を受けたわけじゃないからな。無関係だ。どうせあいつのことだから、すぐに顔を出すだろう。面倒なことになる前に帰るぞ」
「それもそうだね」
そうして転移渦を通り抜けたグレインの目にはヒーラーギルドが映る。
「おかえり……まぁあたし達も今帰ってきたけどね。無事に帝国から生きて帰って来られたわね」
「おかえりなさいっ!」
「ダーリン、おかえりなのじゃっ」
「ギルドマスター、おかえりなさいませ」
グレインはトーラス、リリーと顔を見合わせる。
「ここにいちゃいけない奴が一人いたな」
「そうだね……。お付きの騎士が血眼になって探してたよ」
「……死体にしてから……連れ戻してもいいけど……」
その後、泣きながら嫌がるサブリナが再び転移渦で送り返されたのであった。




