第343話 皇帝殺し万歳
「はぁ? なんでお前がポップに乗ってくるんだ?」
「なによ。あたしが来ちゃまずい訳? それとも何かやましいことでもあるの? 魔王様とね」
「い、いや、それはサブリナが勝手に言ってるだけで」
「そ、そうなのじゃ。か、軽いジョークなのじゃ! け、決してナタリアに言えぬようなことなど──」
ナタリアに肩を掴まれたまま、子猫のように怯えた様子で全身を震わせるサブリナ。
「あら、どうしたのよサブリナ。久しぶりの再会に感動しているのかしら? ……サブリナってば、相変わらず華奢でかわいいわね。ねぇ、この肩から鎖骨にかけてのラインとか、その細ーい首とか。ちょっと力を入れたら、粉々に砕けちゃうくらいに」
「ぶるぶるぶる……やめてなのじゃ! ……別に、妾は何も悪いことしてないのじゃ! ちょっと出来心であることないこと言っただけなのじゃ」
「……それが人に謝る態度かしら? ねぇグレイン、あんたもそう思うわよね?」
「い、いや俺は別に──」
「思う、わ、よ、ね!」
ナタリアが言葉に力を込めると同時に、グレインの肩から骨が軋む音がする。
「あああああ! 痛、痛ぇ! 思います思います! サブリナ、ちゃんとナタリアに謝ってくれ! このままだと俺の片腕が砕け散る!」
「ごめんなさいなのじゃ! 妾が調子に乗りすぎました! ダーリンとは夫婦ではないのじゃ! もう二度とそんな事言わないのじゃ!」
そう言ってサブリナは慌てて土下座する。
その様子を見ていたクライルレットがサブリナに駆け寄ろうとするが、セーゲミュットがやんわりと制止する。
「セーゲ、止めるな。仮にも一国の王が、あのような庶民に頭を下げることなどあっていいはずが──」
しかしセーゲミュットはうっすらと笑顔を浮かべ、首を左右に振る。
「魔王様は、今はグレイン達の仲間として、ヒーラーギルドのいちメンバーとして過ごされておるのであろう。既に世界中への配信もされてはおらぬ故、我々は静かに見守ろうではないか。……まぁもっとも、あの娘が庶民とは思えぬのだがな」
そんな二人の騎士に見守られていることとは知らずにぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる三人。
突如、その背後から嬉しさに弾むセシルの声が掛かる。
「皆さま! どうやらポップは、ナタリアさんのあまりの殺気に威圧されて言うことに従ったそうですわ! 『自分があそこに駆けつけて全員ぶっ殺したい』という強い思いと溢れ出す殺気にポップは恐怖を覚え、従わざるを得なくなって自らナタリアさんに背中を差し出した、と」
「「「聖獣の威厳がない」」」
「良いじゃないのよ。馬なんて乗るためにいるのよ? 乗ってあげないと可哀想じゃない。ねぇ、あんたも乗ってもらえて嬉しかったわよね?」
ナタリアの問い掛けに、そこだけ時間が止まったかのように呆然とするポップ。
「おい……そこの駄馬……」
ナタリアが低い声でそう睨みを利かせると、ポップは震えながら首を縦に振り続ける。
「聖獣を脅すんじゃない」
「さすがにポップが不憫なのじゃ」
「ナタリアさんに逆らったら殺されそうで怖い……ってポップが言ってますわ」
「あんたらねぇ──きゃあっ!」
ナタリアが怒声を張り上げようと大きく吸い込んだ息は、背中側から一人の青年に抱き付かれたために悲鳴となって吐き出されることになった。
「ナタリアさん! お久しぶりです! 僕です、ダイアンです!」
次の瞬間、彼女はダイアンの身体を引き剥がし、頭に拳骨を叩き込む。
「何すんのよっ! いきなり抱きついて来るなんて……。ほら、あんたの奥さんだって泣きそうな顔してこっち見てるじゃない!」
「ダーくん……誰ッ? その女は誰なのッ!? 者ども、この女狐の泥棒猫の首を刎ねよ!」
アンネクロースの悲鳴にも似た叫び声に衛兵がナタリアを目掛けて殺到する。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! あたしは狐と猫どっちなのよぉっ!」
そんなことを叫ぶナタリアの身体に衛兵達が手を伸ばした瞬間、彼らは突然力が抜けたようにその場に倒れて動きを止める。
倒れた衛兵達は皆、後頭部を深々とナイフで抉られている。
「……ナタリアさんに近付くことは、私が許しません」
鮮血の滴るナイフを手にしたリリーが呟くようにそう宣言すると、周囲の騎士たちは右手を突き上げて歓喜の雄叫びを上げる。
「ウオォォォ!」
「あれはリリー様! リリー様だ!!」
「皇帝殺し万歳! 皇帝殺し万歳!」
「……ええッ!? な、なによこの大歓声は……」
「元はと言えば……あなたが悪い……」
リリーはそう言って、ナタリアの拳骨の痛みで頭を押さえていたダイアンの首筋にナイフを突き刺したのであった。




