第336話 左腕
「……内通しておったか? ……いや、そんな筈はない。ベルクートにリナ、二人はこの瞬間が初対面である筈……。何故、何故儂の思惑通りに動かぬのだ! ベルクートはまだしも、リナ、貴様は、何故儂の誘いに乗らなんだ!? 虐げられ、討伐され、もはや滅びるだけの魔物風情に北の大陸を分けてやると言っておるのだぞ!?」
「とうとう本性を現しおったか」
狼狽えるデルガデを鋭い視線で射抜くベルクート。
そしてリナも、靄の掛かった顔からは視線を窺い知ることはできないが、真っ直ぐデルガデを見つめているようであった。
《デルガデよ、もし貴様の思惑通りに事が運んだ場合、南の大陸──こちらの世界はどうする? ベルクートを排し、貴様達が支配する心積もりなのであろう?》
デルガデは高らかに笑う。
「ヒャヒャヒャ! そうじゃ、貴様、魔物のくせに頭が回るな? この場の者達に一つだけ忠告しておこう。儂はバシリト国王の名代である。儂を殺すということは、すなわちバシリト国王を殺すのと同義である。カゼート帝国、及び魔国ヴァイーダはバシリト王国に先制攻撃を仕掛けたということになる。つまり──」
デルガデは皺くちゃの手で白い顎ひげを整えるように梳くと、笑顔で言葉を続ける。
「儂を殺せば世界中を巻き込んだ戦争が始まる。数え切れぬ者達が死ぬことになるのじゃ。貴様らにはその覚悟があるのか?」
そんなデルガデを見ていたベルクートが呟く。
「貴様のその余裕……解せぬな」
それに頷くグレイン。
「あのジジイ、確かに今から殺されるかもしれないのに、全然そんな雰囲気無いよな……。まるで死ぬのが怖くないっていう感じに見える」
《そこの節穴共。特にそこのググレインとやら。役に立っておらぬ貴様の目をくり抜いてくれようか? ……それにしてもデルガデよ……まったく、下らぬ男じゃ。そんな身体でよくぞ名代などと言えたものじゃ》
リナは明らかに苛立った様子でグレインとデルガデを交互に睨みつける。
「サ……いえ、リナ様、今はデルガデの処理が先です」
リナの後ろに控えていた騎士の一人が、彼女にそう告げる。
《……そうじゃな。いつまでも覗き見されているのは不快じゃからな》
リナはそう言うと、懐から小瓶を取り出して栓を開ける。
それを見たデルガデは目を丸くしていた。
「き、貴様!いつから……気付いて……」
リナはすぐさま小瓶の中身をデルガデに掛ける。
するとデルガデはみるみるうちに溶け出し、やがて蒸発してしまう。
《あれはただ魔力で質量を持っただけの幻影じゃ。本体はずっと安全な場所で呑気に様子を見て居たじゃろうな。……さて、ググレイン。何故か無性に妾の腹の虫が収まらんでな。貴様には『一度』死んでもらうとしよう》
「なぁ、お前……一体何者だ?」
しかしリナはその問いかけに答えないどころか、一本しかない腕が魔力を帯びて赤熱する。
《リリー! グレインを殺すのじゃ! どうせその甲冑騎士達の中にいるんじゃろ? 早くしないと、妾が殺してしまうのじゃ!》
これを聞いていたミュルサリーナが大笑いする。
「あっははは! いいわよいいわよぉ! 私が呪いを解くから、これ以上血を流すのはやめましょう。ねぇ?」
ミュルサリーナがそう言うと同時に、彼女の右手に魔力が集中する。
そして指が打ち鳴らされると、リナは憑き物が落ちたように膝から崩れ落ち、傍らの騎士二人が咄嗟に彼女の身体を支える。
「やはりお主の仕業じゃったか、ミュルサリーナ」
リナが荒い息を整えながらミュルサリーナの方を見る。
その顔に掛かっていた靄が次第に晴れていくと、グレインは驚きの声を上げる。
「サブリナ! サブリナじゃないか!!」
「うふふっ。やっと気付いたみたいねぇ」
「お前……知ってたのか?」
「あなたとトーラス君には、愛する者の嫉妬の感情を増幅する呪いを掛けたわよねぇ? それでトーラス君はセシルちゃんに痛めつけられたけど、貴方はまだだったじゃなぁい。トーラス君にナタリアさんを連れてきてもらおうかと思ってたところに現れたのがサブリナちゃんだったのよぉ。ちょうど良かったわぁ」
このやり取りを唖然とした様子で見ていたベルクート。
「ググレイン、そなた達は魔王と知り合いであったか」
「あぁ、知り合いっていうか、大切な仲間──」
「──行け!」
グレインの答えと重なる形でサブリナが二人の騎士に指示を出す。
瞬時に駆け出した彼らの視線の先には、玉座の間から逃走を図るバルガの姿があった。
「貴様にはまだ用事があるのだ! ここから出すわけにはいかん」
「用事が済んだら解放してやる。それまでは我らの命令を聞いてもらおうか」
背後から聞こえる騎士達の言葉など無視して必死に駆けるバルガ。
あと一歩で玉座の間から出られる、そう思った瞬間、両足が空を切る。
空回りした足によってそのままバランスを崩してしまうが、転ばない。
慌てて足元を見ると、両足ともに宙に浮いている。
「お前は我らの事を散々魔物風情と揶揄しておったが、我ら魔族にとっては貴様等人間族など、でかいネズミを捕まえるのと大差無いのだ」
「あまり暴れるな。用事が済んだら解放すると言っているだろう。……その時に生きていられるかどうかは貴様の態度次第だ。あくまでも暴れるというのなら……魔王様に頂いたこの左腕、存分に活かしてくれようぞ」
小さくはないバルガの身体を片手で軽々と持ち上げる騎士と、腰の細剣を抜き放つ騎士。
その後ろ姿を見てグレインは気が付く。
「そうか、あの二人は……」
「うむ。セーゲミュットとクライルレットじゃ。クライは前魔王との戦いで左腕を失っておったからの。妾の左腕をくれてやったのじゃ」




