第331話 近衛兵
「リーブキンの死体も片付いた。あとは魔界の使者だが……来るのはいつになるか分からぬ。故に、そなた達はここ帝都で暫し休むが良い。余も些か疲れた」
ベルクートはそう言うと、大きく息を吐いて再び玉座に腰掛ける。
「分かった。それじゃあお言葉に甘えて休ませてもら……おわっと!」
グレインはそう言って、玉座の間の大きな鉄扉に手を触れようとすると、するりと扉が動き、体勢を崩して転びそうになる。
「大丈夫ですか」
全身を甲冑で覆われた騎士二人が扉の裏から滑るように現れ、グレインの身体を支える。
兜の中で目線がどこを向いているのか、表情すら読み取れない二人の騎士を、怪訝な目で見つめるグレイン。
「あんた達、ずっとここにいたのか?」
「はっ! 我々二人だけは、たとえ人払いをされても陛下の周囲で警戒を続けております」
「我々は、近衛兵を極めた、いわば近衛兵の中の近衛兵。自分で言うのも憚られますが、役職名は『最優秀超級トップエリート近衛兵ナンバーワン特別部隊』であります!」
「役職名はよく分からないが、それじゃあ中で起こったことも把握してるのか……?」
「……は、はい。当然ですが……ある程度は把握しております。今回のように人払いをされた場合は、直接陛下の様子を見ることはできませんので、音を聞くだけですが……。そのため、リーブキンが普段から陛下にあのような暴挙を働いていたとは認識出来ませんでした。突然陛下のお人柄が豹変するなとは感じていたのですが……」
「当然ですが、我々は知り得た秘密について、いついかなる場合でも決して口外しません」
「なんだ、ここに適任者がいたじゃないか。それならあんたたちに死体の片付けを頼めば良かったよ……」
「我々は!」
「死体の処理が下手ですので!」
二人の騎士は示し合わせたようにそう言って敬礼する。
それを見てベルクートは玉座の背もたれから上体を起こして笑う。
「フハハッ! その者達の申すことは本当だぞ? 以前、王宮に盗賊が忍び込んだことがあってな。不幸なことに騎士が追い詰めたら高所から足を滑らせて落ちて死んでしまってな。その片付けを任せた事がある」
「へ、陛下……」
「その話はどうか……」
甲冑の中で蒼い顔をしているのが如実に分かるような声を出す二人。
「翌朝、王宮の前にそれがうち捨てられていて大騒ぎよ。運びやすいようにしたのか、切り揃えられた状態でゴロゴロと転がっていたのだ。通行人どころか、騎士達まで悲鳴を上げるような惨状であったわ。……今回、同じ事をされると、色々不都合があるのだ。その者達は知っていても構わんのだが、他の騎士達にリーブキンの死を知られると、リーブキンを敬い、付き従っている者もそれなりに居るからな。出張という名目にして内密に処理するのが一番よ」
「うう……」
「面目次第もございません……。我々は生まれつき不器用でして」
「……なるほど。頼まなくて良かったよ」
「まぁそういう訳だ。ググレイン、何かあればすぐに使いを出す故、しばしここ帝都で寛ぐがいい」
「あぁ、そうさせてもらうよ」
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「い、嫌だ……もう……限界、です……」
王宮の貴賓室で味のよく分からない紅茶を啜っていたグレインのところへ、げっそりと疲れた表情のリリーがやって来る。
聞けば彼女は、帝都の道端で沢山の騎士達に取り囲まれていたということであった。
「『皇帝殺し』様! どうか一度稽古をつけてくださらぬか!」
「一度手合わせをお願いしたい! 『皇帝殺し』の強さをこの身体に覚え込ませたいのです!」
「『皇帝殺し』様! 甲冑にサインをお願いします! そのナイフで私の甲冑にサインを刻み込んでいただけないか!?」
と、こんな調子で、帝都のどこへ行ってもリリーの周囲には『皇帝殺し』を一目見ようとする騎士達が犇めき合っていたらしかった。
「もうやだ……帰りたいです……」
「随分と大人気で良かったじゃないか、『皇帝殺し』のリリーさま」
グレインの言葉に、リリーはむくれた表情で彼を睨む。
「あぁ、すまない。リリーは本気で嫌なんだよな」
「……はい。……少なくとも、全員の首を刎ねてやろうかと思うくらいには」
「あー……うん、それだけはやめておこうか」
無意識にナイフの柄を握り締めるリリーを見て、冷や汗を流すグレイン。
「それにしてもすごいな。あの二つ名がそんなに有名になるのか?」
グレインのそんな独り言に、紅茶を淹れていた給仕の男が振り返る。
「今の皇帝陛下が、どうして帝国民からあれほど絶大な支持を得られているかご存知ですか」
リリーの分の紅茶を淹れながら、給仕の男が問い掛ける。
「先代皇帝の息子だからじゃないのか?」
グレインの答えに、給仕は首を振る。
「他の国はどうかわかりませんが、カゼート帝国では強さこそが地位を築く唯一の方法なのです。そして、ベルクート陛下は帝国最強の戦士でいらっしゃいました。陛下に勝てる者などこの国には存在しない。それこそが陛下が慕われる理由なのです。しかし──」
「リリーがその皇帝陛下を……」
そう言いかけたグレインの目を見て、給仕は静かに頷く。
忽ちグレインはにやついた笑顔を浮かべ、リリーを誂う。
「そっかぁ。そうすると、当然リリーが次の皇帝に──」
「絶対嫌です! そんなの無いです!」
リリーは涙目でナイフを抜き、その拍子にグレインの鼻先が割れて血が滴る。
「グレインさん……言っていい冗談と悪い冗談があるのはご存知ですか? 悪い冗談を言った者は……死に値するという事もご存知ですか?」
鼻先にナイフを突き付けられたグレインは、必死に謝るのであった。




