第329話 参謀長
「へ、陛下……。よくぞご無事で」
烏の羽のように黒光りする光沢を帯びたローブの男が、玉座に腰掛けるベルクートの前に跪き、恭しく頭を下げる。
「あれしきの事で余が死ぬことなどないわ。それよりも、そなたは今までどこに居たのだ? リーブキン」
「わ、私めは次の軍事作戦をどうするか、関係各所の重臣達の意見を取り纏めておりました。……陛下、何かを疑っておいでですか」
「いやいや、何も疑ってなどおらぬ。大儀であったな、参謀長」
「い、いえ、これが私めの努めでありますゆえ」
「それで、余に報告があると聞いたのだが」
「は、直ちに。しかし……軍事機密にあたります故、まずは人払いを」
ふとリーブキンは頭を上げ、後ろを振り返って手を挙げ、周囲の騎士達に合図する。
騎士達が一人残らず退室すると、リーブキンは自らの眼前に魔力を集約し、玉座に向けてその魔力を放出する。
「ふふ……どうも呪いが解けたようだが、再度呪ってやればいいだけの話よ。……ご気分はいかがですか? 『裏の皇帝陛下』」
「あぁ……あまり良いものではないな」
虚ろな目でそう応えるベルクート。
「これはこれは、すぐに朗報をお耳に入れます故、いましばらくのご辛抱を! 私めにとっての陛下は、貴方様お一人で御座います。やることなすことすべてが正義に基づき、臣民に愛されるあの偽善者などではありませぬ」
リーブキンはそう言うと、壁際に立ち並ぶ、歴代皇帝の石像へと歩み寄る。
彼は初代皇帝の像、その腰にある柄を握ると、壁の一部が動き、通路の入り口が露出する。
「お前達、来なさい」
その声に応じ、通路から歩いてきたのは、バルガ、リザベル、ソフィアの三名であった。
「これはこれは陛下、我ら『影鴉』、全員無事に帰還いたしました!」
バルガの言葉に合わせるように、跪くリザベルとソフィア。
「陛下のご命令通り勇者ダイアンを始末し、アドラード大森林のエルフ族も皆殺しにして参りました」
「余が……そのような事を……命じた……?」
バルガの報告に、明らかに戸惑っている様子のベルクート。
それを見て、薄ら笑いを浮かべるリーブキン。
「あぁ、先ほど陛下にかけていた呪いが解けてしまってな。いま再び呪ったところなのだ。まぁ一度解呪されたとはいえ、表の人格の侵食は進んでおるので問題なかろう。表の陛下の人格が死ぬのも時間の問題だ」
「そうか、それは安心した。さすがはリーブキン殿。では陛下、我らは次の任務に赴きますので、これにて失礼いたします。我らはいつでも陛下のためにこの身を擲つ覚悟であります!」
バルガはそう言って、リザベル達と通路の奥へと姿を消す。
リーブキンは再び石像の柄を握り、隠し通路の入り口を閉じる。
「影鴉は魔界の使者を出迎えに、北の隣国へ向かいました。では陛下、使者が到着する頃に再びお会いしましょう」
そう言ってリーブキンは再びベルクートに向けて魔力を流す。
「余は……余は……。リーブキン、余は何を……」
「お疲れなのでしょう、少しお眠りになっておられましたよ。私めの報告は些細なものですので、陛下の手を煩わせる事もなく、文官に言って解決しておきます」
「そうであるか。──して、誰に教わった?」
ベルクートの質問の意味が分からず、首を傾げるリーブキン。
「教わった……とは?」
「貴様が余に掛けた、その呪法である。正直に答えよ。バシリト王国の手の者か、それとも……魔界の者に教わったのかァァァッ!?」
「ヒィィィッ!」
ベルクートは玉座に腰掛けたまま、リーブキンを威圧する。
「き、き、北の……」
リーブキンは震えながらそう答える。
「北の、王国の者です」
「目的は何だ? 余に呪いを掛けて生み出した、もう一人の皇帝の目的は何であるか! 答えよォッ!!」
「あ、あ、あ……。ま、魔界の者と手を組み、共に世界を手中に収めりゅ……ことが……もくてギボぁァう」
突如、口から大量の血を吐くリーブキン。
「……あらあら、これはもう駄目ねぇ。真相を口外すると死ぬって事なのかしらねぇ」
玉座の背後から、ため息を吐きながらミュルサリーナが姿を現す。
更にグレインとトーラスも顔を出す。
「魔女殿、これも呪いであるか?」
「うーん、詳しくは分かりませんが、呪いというよりは、魔族の『契約』が最も近いものかも知れません」
「……やはり北の王国が魔界の者と繋がっている、という噂は間違いではなさそうだな。……それにしても、意識がなかったとは言え、余があのような非人道的な命令を……っ」
ベルクートはそこで言葉に詰まり、両手で顔を覆う。
「陛下……。もし、陛下が心からエルフ族に謝罪するのでしたら、私が仲立ちをいたします」
ミュルサリーナが肩を落とすベルクートにそう告げたとき、グレインは、首を傾げながらベルクートに別の質問をする。
「おい陛下、あんたも魔界の存在を信じてるのか?」
ベルクートは両手で顔を覆ったまま、静かに首肯する。
「……信じるも何も、余は魔界に行ったことがある。自分の目で見たものを信じられぬ訳が無かろう」




