第326話 あんたが皇帝陛下か
アンネクロースの発した号令により、騎士達は慌てて駆け出していく。
グレインは彼らを見て半ば呆れた声を出す。
「あの騎士達は知ってんのか? バルガ達って今頃はまだ馬車の中で、ここまでちんたら移動中だろ?」
「えぇ、問題ありません」
騎士達に号令を出した張本人が答える。
「彼らには、ダーくん──コホン、ダイアン様から聞いた情報を包み隠さずすべて共有しています。 あぁ、彼らは私の身辺警護をしてくれる騎士達で、私が最も信頼の置ける者達ですのでご安心下さい。私が生まれた頃から、かれこれ二十年近くずっと見守ってくれている者もおります。父上よりも……信頼しています」
そう言って昏い顔をしたアンネクロースの様子が気になったグレイン。
「その父上の事なん──」
「グレインさん! ミュルサリーナさんを許してあげてください!」
グレインの言葉はダイアンの威勢のいい声によって掻き消される。
「本当に、ミュルサリーナさんは、彼女は、心から反省していました! それに、アンに──コホン、アンネクロース様に、グレインさんの釈放をいち早く請願したのもミュルサリーナさんなんです」
「……セシルもダイアンも……分かったよ。お前らがあの魔女を庇う気持ちはもう分かった。……いいよ、とりあえず許すよ。……それよりダイアン、お前も……色々と大変だな」
ダイアンの背後で、騎士達に命令を出したときよりも険しい表情をしたアンネクロースが目に入ったグレインは、ダイアンの肩を叩く。
「ダー……くん……」
その声にダイアンはゆっくりと後ろを向く。
「ダーくんッ、やっぱり! あの女と浮気してるんでしょ! あの女の事、彼女って言ったッ! 魔物討伐っていうのは口実で、単なる浮気旅行って事でいいッ? じゃあ死刑になる前に、最後の言葉は何かある? 無いわね? じゃあ『僕が全て悪かったです』ってことでッ! 誰か、ダイアンを死刑に処する! この場でダイアンの首を刎ねよッ!!」
しかし、アンネクロースの言葉に反応する騎士はいなかった。
「あ、アン……騎士達は、さっきバルガ達を連れてくるために駆けずり回ってると思うよ」
ダイアンがそう言うと、アンネクロースはますます顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「キィィィッ! なんで来ないッ! 浮気男には死を! 浮気男には死を! 浮気男には死をォォォッッ!!」
「落ち着いて、アン! ……落ち着いて……」
そう言って、ダイアンはアンネクロースを抱き寄せる。
「僕はいつでも君のことしか考えていないよ」
「……グズッ……ぅ……ううう……わ〜ん!」
ダイアンの胸の中で大泣きするアンネクロース。
グレインはそれを呆れた様子で見ていた。
「……なんだあれ。情緒不安定過ぎるだろ……」
「グレインさん、愛し合う男女はそうなるものなのです。わたくしだって、トーラスさまと結ばれるためならば、いつでもリリーちゃんをこの手にかける覚悟はできていますわ」
「ぇ……。わ、わたし、セシルちゃんに殺される……の……?」
突然名前が出てきて狼狽えるリリー。
「いえ、た、たとえばの話ですわ! さすがにわたくしがリリーちゃんを殺すなんて、あるわけがありませんわ」
「……そう、なら……よかった……」
微笑むリリー。
「……まぁ、セシルはさっきリリーに殺されたところだしな」
グレインがそう言って笑っていたところ、低く力強い声が中庭に響き渡る。
「これは、何の騒ぎか」
皆の視線が声の主に集まる。
いや、集まらざるを得なかった。
そう思えるほどに荘厳で、しかしはっきりと全員の耳に届く声であった。
「ち、父上!!」
アンネクロースが驚きの余り裏返った声でそう叫ぶ。
「お、あんたが皇帝陛下か。──っ!」
「皇帝陛下を『あんた』呼ばわりはさすがに無いわよぉ。死にたいのかしらぁ?」
ミュルサリーナがグレインの尻を抓りながら耳打ちする。
「は、ハジメマシテ……ひ、ヒーラーギルドマスターの……グ、グレインと申します」
「ほう、ヒーラーギルドの噂は聞いたことがあるぞ。如何にも、余がカゼート帝国皇帝、ベルクート十四世である。ググレインと言ったか、そなたがマスターか……ふむ……」
そう言って皇帝は値踏みするようにグレインのつま先から頭頂までをじろじろと見る。
「ぁ……いや……名前を間違──」
「それで、今日は如何なる用向きで参ったのか。アンネクロースとも仲が良い……よう……だ……が……」
涙をたたえた瞳でダイアンに抱かれているアンネクロースを見て、皇帝は目を見開き動きを止める。
「あ、こ、皇帝陛下! いえ、これは、ちがちが違うんです! む、娘さんとはまだそういう関係では──」
「ダイアン! ダイアンではないか! 貴様、どうやって帰ってきたのだ!? バルガ達はどうした!?」
ダイアンの思いとは裏腹に、皇帝はダイアンの存在自体に驚きを隠せない様子であった。
それを見て、アンネクロースが皇帝を睨みつける。
「父上……本当にダイアンを殺そうとしたの!?」
「ダイアン……今頃はまだ魔物討伐の任務中ではないのか? こんなところで娘とサボりおって! 職務怠慢も甚だしい!」
「皇帝陛下……いえ、お父さん! 娘さんを僕にください!!」
全く会話の噛み合わない三人なのであった。
 




