第308話 ヒールしか使えませんの
「……へ?」
セシルがバルガの質問に答えたことで、すっかり安心しきっていたアルテの表情が固まる。
『今から、貴様の弟も殺してやろう』、そう言ったバルガの言葉に、アルテはエルフ族特有の優れた聴覚さえ疑った。
「ちょ、今のはどういう……あいつは質問に答え──」
「まぁ、どっちでも君は……いや、エルフ族全員死ぬんだから細かいことは気にしなーいっ!」
そう言ってソフィアはアルテの足首を捻る。
「グぅわぁァァァァッ!! いた、いた、痛いよ、痛いよぉーっ!」
「おいリザベル、さっさとそのうるさいエルフを殺──ッ!」
ソフィアの人体破壊行為を無表情で見下ろしていたリザベルに、そう指示を出そうとしたバルガ。
しかしその言葉は、セシルが再び生み出した光球によって遮られる。
バルガはギリギリのところで飛び退き躱すと、光球は足元に転がっていたダイアンの身体に当たり、忽ち周囲に凄まじい空気の渦を引き起こす。
「うおぉぉぉっ! こ、これが……聖獣魔法の力かぁッ!」
バルガが慄きながらそう言った次の瞬間、ダイアンの身体は爆発し、凄まじい勢いで周囲に血肉が撒き散らされる。
「バルガ! 大丈夫か!? ──っ! ソフィア避けろ!」
リザベルは、ダイアンの血飛沫に紛れる形で、セシルが光球を二つ放ったのを見逃さなかった。
リザベルは自らに飛来する光球を躱すと、バルガの傍まで跳躍する。
もう一つの光球は、ソフィアが放り投げたアルテの身体に当たる。
アルテの身体も弾け、再び周囲に血の雨が降る中、ソフィアもバルガ達の傍へと駆け寄る。
「二人とも、この魔法は得体が知れん。破壊力が非常に高く、少しでも掠ると致命傷になるようだ! ……一旦退くぞ」
「何だと!? たかがこれしきの魔法で──」
「いや、違うのだ! ダイアンと違って、俺はお前達を失う訳にはいかんのだ! 我らの部隊から戦死者など出してなるものか! ……幸い、今なら馬車で最適な肉壁が待機しているではないか」
「……あぁ、そうか。我らが奮戦したとの証言を得るために、奴らを生かしておくかと思ったが、消すことにしたのだな?」
すっぽりと被ったローブにより、リザベルの表情を細部まで窺うことはできないが、その口角が嫌らしく吊り上がっていることはセシルにも見て取れた。
「くれぐれも全員を斬るでないぞ? 生かしておくのは一人で充分という判断だ。一人だけ残しておいて、あとは殺せばいい」
「そういうことなら納得だ。おい、貴様! そこから動くなよ? どこへ行こうと逃げ場など無いのだからな!」
そう言い残して森の外へと駆け出していくバルガ達。
「あぁぁ……気持ち悪い……耐えられないですわ」
セシルの鼻に突き刺さる血の匂い。
とりあえずセシルは木の洞をくぐり、里に踏み込んでみるも、やはり何処も彼処も同じ匂いが充満していた。
「こんな……こんなのって……。惨いですわ……」
涙ぐみながら同じ洞へと戻るセシル。
しかし彼女には一つ引っかかっている事があった。
それを確認しようとする前に、彼女の目の前に二つの人影が現れる。
「……僕を……助けてくれたのは貴女なのですか?」
「お、俺……死んでない? あんなに痛かった手足だって……元通りに……?」
それは、彼女が光球で身体を木っ端微塵にした、ダイアンとアルテであった。
「あなたは……確かそこに倒れていらした……」
「はい、ダイアンと申します」
「アルテはまだ生きていましたが、あなたは既に息絶えていたものかと思いましたわ。……でも、わたくしの魔法は遺体に反応しない筈ですので、あれで弾けたということは、生きていたのでしょうね」
「あなたの魔法とは一体……? 僕はさっきまで瀕死だったはずなのですが」
「恥ずかしながら、わたくし魔法はヒールしか使えませんの。当然、生きている人に当たれば回復しますわ。ただ、相応の副反応がありますが」
セシルの言葉を聞き、アルテはその場に膝をついて涙を流す。
「俺……怖かった……もう絶対死ぬってわかったから……。でも……生きてた……。いや、セシル……姉……ちゃんに生き返らせてもらった……。ごめんなさい、姉ちゃん……今まで意地悪して……ごめんなさい……」
森の木々たちにアルテの嗚咽だけが反響していたが、セシルははっと我に返ったように口を開く。
「二人とも、さっきの者達が戻ってきますわ! 一刻も早くここを離れましょう!」
焦るセシル、泣き続けるアルテ、そしてダイアンは、諦めにも似た表情で薄ら笑いを浮かべていた。
「うん……逃げ切れるならそうしたいんですけどね……。リザベルさんの足は速いから……。それに、僕じゃとても敵わないよ」
「諦めてはいけませんわ! ……そうですわ! ちょっとお待ちを」
そう言ってセシルは大きく息を吸い込む。
「ポップ! ねぇポップ!! あなたも逃げ切れたのでしょう!? どうかわたくし達のに力を貸してくださらないかしら!!」
木々の合間から僅かに空が見えるほどの鬱蒼とした森で、木々の葉が揺れるほどの声でセシルが叫ぶ。
「姉ちゃん……何を呼んでるの……?」
するとセシルは軽く溜息を吐きながらアルテになじるような視線を向ける。
「はぁ……。先ほどあなた達が連れて行った聖獣ですわ。あ、もしかしたらアルテがいるから来てくれないのかも知れませんわね」
「セシルさん、その聖獣というのはエルフの里に? だとすると、バルガ達に荒らされた時に──」
しかしセシルは笑顔で首を振る。
「あのバルガという者が、『聖獣など見たことがない』と言っていましたわ。それにポップは、ひと目見たら間違いなくこの世のどんな生き物とも違う、変な──」
セシルの言葉は、彼女の肩に感じる甘噛みの感触に、鼻息の風圧に、背中に感じる温もりによって遮られる。
「プップル!」




