第300話 やりたくない
「おはようございます、グレインさん!」
明くる日の早朝、まだ空も薄暗い中、バナンザの中央広場に停められた馬車の窓から、ダイアンがひょっこりと顔を出す。
「あぁ、おはよう、ダイアン。しかしこんな早くに出発するなんてどうかしてるぞ? もう少し日が出てからにしないか?」
「どうかしてるのは貴様の頭だろう。我々はこれからヘルディムへと引き返す。日暮れまでには宿のある村落へ辿り着いておかねばならんのだ。……まさか、私やソフィアとあわよくば野宿が出来るのでは……などと考えているのではあるまいな? 早朝に出発するのが嫌なら、ここで貴様の首を叩き斬って首だけ持って行ってやろうか? なぁに、貴様の身体が無いだけだ。頭数は合っているぞ?」
ダイアンの背後で、リザベルはにやりと笑って錫杖に手を掛ける。
「いやいやいや、大丈夫! 俺の頭はまだ身体と離れたくないって言ってるんで! ……怖い事を平気で言う女だな……」
「聞こえているぞ」
「いえっ、何でもありません! さあ出発イタシマショー!」
「おい、グレインとやら、そこな男女が連れて行くヒーラーで相違ないか?」
ダイアンの隣からバルガが面倒臭そうに顔を出す。
「『とやら』じゃねぇよ! バルガ、もう俺あんたに何回名前言ったんだ!? いい加減覚えろよ」
「田舎者の名前など覚えるつもりも無いわ。それで、その者達がヒーラーなのかと聞いておるのだが」
「あぁ、そうだよ」
不機嫌そうに問いを繰り返すバルガに合わせるように、ぶっきらぼうな答えを返すグレイン。
しかしその答えに呼応するように、隣に立つ男女は胸に手をあてがいながら小さく会釈をする。
「初めまして勇者様方。僕はトーラスと申します」
「妹のリリーです」
「あともう一人、途中で拾っていく予定だ」
「ほう? 我々勇者パーティーはダイアン様を含めて四人、それをサポートするヒーラーギルドも四人連れて行くと申すか。……パーティメンバー毎に担当ヒーラーでも用意するつもりか?」
「あぁ、まぁそんな所だ」
グレインは前日、トーラスに『ヒーラーとして同行してほしい』と話をしていた。
ヒーラーでないならば、無駄に馬車が狭くなるだけなのでおそらく同行が許可されないという懸念があった為である。
しかし、そんな根回しも、リザベルの一言で全てが灰燼に帰す事になるのであった。
「バルガ、あのグレインって男はヒーラーじゃない」
「なに……?」
「あんたが前に馬車で頭打って倒れてた時に聞いた。私の見た限りじゃ、グレインはただのギルドマスターという肩書きだけで、何の役にも立ちそうにない」
「分かった。おいそこの田舎者、貴様は馬車から降りてギルドに引きこもっていろ!」
「え、俺?」
バルガに指を差されたグレインが目を丸くする。
「貴様しかあるまい! この田舎者が!!」
「あ……あの! ……グレインさんが……いないと、私……魔力切れになってしまうんです」
リリーが震える手を堪えて、必死に大声を上げる。
「なんだと……? 魔力切れなど、寝ていれば治るではないか。大した話ではないわ! それにこの田舎者がどうやって魔力切れを解決するというのだ」
「やれやれ。……グレインは、僕達兄妹にだけ、無限の魔力を供給できる特殊能力を持っているんです」
トーラスが溜息を吐きながら、余裕たっぷりにそう語る。
「なに……無限の魔力だと……? ならば、私ともその契約を結べば、私にも無限の魔力が供給出来るというわけか」
バルガも契約したいという発言が予想外だったのか、トーラスは理由を考え込む。
トーラスがなかなか答えないために、バルガも首を傾げる。
「あの……あの……儀式を……再びやるということですか……」
ぽつりとそうこぼしたリリーが、全身を震わせながら呟く。
「やりたくない……やりたくない……やりたくない……やりたくない……」
その様子を見ていたバルガは、恐る恐る訊く。
「ち、ちなみに……どういう儀式なのだ?」
「何度か……死にかけます。まずはナイフで魔力を得る者──たとえば兄様であれば、私が兄様の心臓を貫き、新鮮な血を魔法陣にぶち撒けます」
「ん? 死にかけというか、それは死ぬのではないか?」
「いえ……ギリギリ助かります。……ヒールが間に合えば」
リリーの答えに、無言になるバルガ。
「次に、兄様が回復したところで首を切り裂き、再び新鮮な血を魔法陣に──」
「分かった、もういい! 田舎者の野蛮な風習など、聞いていて気分が悪くなる。お前達の魔力庫だというのであれば、グレインの帯同を許す。さぁ行くぞ」
そう言ってバルガは、青い顔を馬車に引っ込めるのであった。
「リリー、説明ありがとう」
そう言ってリリーの頭を撫でるトーラスは、後先を考えない嘘は吐くべきではないな……と痛感したのであった。
 




