第295話 ただのスパイス
「カロリーヌさん、咄嗟にあんな嘘ついて庇ってくれてありがとうございますっ」
カロリーヌに連れて来られた厨房で、ハルナは彼女に頭を下げる。
「それで……ハルナちゃん、一体どういうことなのか説明してくれるかしら?」
「は、はいいぃっ!」
そしてハルナはこれまでの経緯をカロリーヌに洗いざらい打ち明けた。
「なるほどねぇ……。それで、その手に持っている小瓶が……?」
ハルナは頷きながら、カロリーヌに小瓶を差し出す。
「はい、この『秘密兵器』をあの忌々しい勇者様の料理に……と思いまして」
カロリーヌは手渡された小瓶の中のどす黒い粉末を、首を傾げて眺めながら、ハルナに語り掛ける。
「ハルナちゃん、一つだけ言わせてもらうとね、勇者様に靡くかどうかはナタリアさん自身が決める事なんじゃないかしら。たとえ、結果的にグレインさんを捨てる決断になったとしてもね。そして……それを決める自由も権利も、ナタリアさんにあると思うの。だから、ハルナちゃんが介入して勇者様を排除しようとするのはちょっと筋違いじゃないのかしら」
「う……」
俯いて言葉に詰まるハルナ。
「まぁ、私は仲間に捨てられて死にかけていたグレインさんを直接見ていたわけじゃないし、ハルナちゃんの気持ちを全て理解できているとは思わないけどね。……ちなみに……この粉末の材料を聞いてもいいかしら」
「は、はいっ! ヒーラーギルド建設予定地裏の雑木林に生えていた、毒草っぽい草と毒キノコっぽいキノコを煎って混ぜ合わせた粉末です!」
「……えぇと……もう一度聞いてもいいかしら? 材料は……」
「毒草っぽい草と毒キノコっぽいキノコですっ! 草もキノコも数種類ずつ採ってきて混ぜたので、どれかには毒が入っているはずですっ!」
「……なるほど、それは身体に悪そうな感じがするわねぇ。……確実に毒というわけではないけれども」
「そうなんですよぉ。セシルちゃんがいれば、ちゃんと毒キノコを選んでくれたと思うんですけど、今はヘルディムにいるはずなので……」
「分かったわ。この粉末はちゃんと全員の料理に使わせてもらうから、あなたは席に戻っていなさい」
「はいっ! カロリーヌさん、よろしくお願いしますっ!」
ハルナはぺこりと頭を下げ、厨房を出て行く。
ハルナと入れ替わるように、人払いされていた料理人達が入ってくる。
「あの……特別料理長……俺達……今の話を……聞いちゃったんですが」
その料理人の一人が、おどおどしながらカロリーヌに耳打ちする。
「えぇ、大丈夫ですよ。これはちゃんと料理に使います。──こうやってね!」
カロリーヌは小瓶の蓋を開け、小瓶を握る手に魔力を集中すると、瓶の中で粉末が発火し、黒煙と共に火柱が噴き上がる。
「この火種で薪に着火してオーブンを加熱しましょう。これで『料理に使った』事になるでしょう。瓶から出る煙はちょっと臭いですが、無毒なので少しだけ我慢して下さいね、皆さん」
「「「はいっ!」」」
カロリーヌの呼び掛けに、笑顔を取り戻しててきぱきと作業を始める料理人たち。
そんな厨房をぐるりと眺めながら、カロリーヌは微笑む。
「……この粉末、特に毒性は感じなかったのでただの雑草の類なんだと思いますが……。ハルナちゃん達には少しお灸を据えてあげましょう」
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「お、戻ってきたな」
食堂へと続く廊下の先にハルナを見つけたグレインの一言で、再びリザベルは険しい表情で錫杖を手に取る。
「リザベルさん、落ち着いて下さい」
そんなリザベルの様子に気付いたダイアンが彼女にそう声を掛けて制する。
ハルナは満面の笑みでグレインの隣に座る。
「(ハルナ、大丈夫だったか?)」
グレインはリザベラに聞かれないように極力小さい声で話し掛ける。
「(はいっ! 問題ありません! ちゃんと全員のお料理に使ってくれるって言ってましたっ!)」
満面の笑みでそう答えるハルナであったが、グレインの表情は一瞬で凍り付き、みるみる顔色を青くする。
そこへ二人の会話が丸聞こえだったのか、リザベルが錫杖を掲げて立ち上がる。
「き、貴様等! とうとう越えてはならない一線を越えたな!? 許せん! 我慢の限界──」
「やめてください、リザベルさん」
激昂するリザベルを、ダイアンの静かな声が制止する。
「し、しかし、あろうことかこいつらはダイアン様の召し上がる料理に毒を!」
「大丈夫です。先ほどの女性も、注文していたスパイスだと仰っていたではありませんか。ただのスパイスですって。人気のスパイスなんですよね?」
ダイアンはハルナに問い掛ける。
「ぇ……えと……あれは……っその……どk──」
「もしスパイスなどではなく、皆を欺いたというのであれば……」
ダイアンの鋭い眼光が、身体を射抜かんとばかりにハルナに突き刺さる。
「ひ、……い、いえいえいえいえっ! あれは紛れもなくただのスパイスですっ!」
「ほら、やっぱりスパイスなんですよ。リザベルさん、納得しました?」
「違う! どう考えてもあの料理人の女もグルだ! 皆でダイアン様の命を狙っているのだ!」
顔を真っ赤にしたまま、ハルナを指差して激怒しているリザベル。
そのハルナの隣で震えた唇を開くグレイン。
「ち、ちょっと……待て」
「どうしたんですかグレインさん、顔色が悪いですよ」
心配そうに覗き込むダイアン。
「ハルナ……さっきの話だが、カロリーヌはあのスパイスを『全員の料理に使う』とそう言ったんだな?」
「あ……そ、そういえばそう……ですね……」
その言葉を聞き、ダイアンを除くその場の全員が沈黙する。
「……あれっ? ただのスパイスなのですよね? どんな美味しいお料理を頂けるのか楽しみですね! ね! バルガさん、リザベルさん!」
静まり返った食堂で、一人笑顔で料理が待ちきれないとばかりにそわそわしているダイアンなのであった。




