第029話 聖獣超え
「ナタリア、さっきの話、どっから聞いてたんだ?」
ナタリアの平手打ちを受けて、いつものように鼻血を流すグレインだが、その鼻血を拭き取っているのはセシルではなくハルナがやっていた。
セシルはまだ、窓越しにポップと話をしている。
「別に、何も聞いてないわよ……。それよりも、さっさと王都に行って依頼をこなしてきなさいよ」
「まぁ、そうだな。……セシル、ポップとの話は済んだか? そろそろ王都に向かうぞ」
グレインはセシルに向き直り声を掛ける。
「グレインさん、どうやらポップは、わたくしの命の危険を感じて、飛んできてくれたようですわ」
「命の危険を? ……あぁ、コレのせいか」
グレインは親指で背後のナタリアを指差す。
「こ、コレとは何よ! 人を物みたいに!」
再び怒り出すナタリアだったが、グレインがそれを制して言う。
「ナタリア、落ち着け。少し冷静に考えてみろよ? セシルはお前に怯えて、その感情をポップが感じ取ってここまで駆け付けた。つまりお前が、セシルの恐怖感を通じて、聖獣を召喚したようなもんなんだぞ? 聖獣を召喚するレベルの恐怖を、人に与えるってどんだけだよ」
「ナーちゃん……ぷふふっ」
思わず吹き出したアウロラの隣で、グレインに言われて恥ずかしくなったのか、ナタリアが顔を真っ赤にしたまま俯く。
「……く……け……くるな」
ナタリアは俯いたまま、ブツブツと何かを呟いている。
「なんだ? どうかしたかナタリア?」
「は、や、く、早く行け! もう二度と帰って来るなぁぁぁぁ!!!」
耳を劈くほどの怒鳴り声が執務室内に響き渡った。
「プププ……プルプルプル!」
窓の外ではポップが何やら喚きながら小刻みに震えていた。
「グレインさん、ポップですら『この存在には近付きたくない』と言っていますわ。わたくしの事を助けられなくてごめん、と」
「ナタリアさん聖獣超え」
「グレインさま、これ以上お姉ちゃんを挑発しないで下さいっ! 早く行きましょうっ!」
「あ、あぁ、そうだな。……んじゃ、行ってくる!」
そう言ってグレイン達はギルドの執務室を飛び出していく。
再び、執務室に静寂が戻り、ナタリアは無言のまま自分の執務室へと戻ろうとする。
「……ナーちゃん、なんであんな怒鳴りつけて、無理矢理追い出すような事言ったのー?」
「だって……これ以上あいつらにダラダラ誘われたら、仕事を放り出して行きたくなっちゃうじゃない……」
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グレイン達はギルドを飛び出した後、貸し馬車屋の前で、空の幌馬車を前に屯していた。
「それで、この馬車本体だけ借りてきたんだが、本当にポップが引いてくれるのか?」
「プッププー!」
「『任せて』と言っていますわ」
「しかしこれ、馬二頭とか三頭ぐらいで引くような大きさの馬車だぞ? ポップ一頭だけで大丈夫なのか? それに、お前は家族の元へ帰らなくていいのか?」
「プップ……プル、ッププル」
「『何もかも大丈夫』と言ってますわ」
「セシルさんすごいですっ! 私にはプルプル言ってるだけにしか聞こえないのに……。こうなったら私もポップ語の勉強を──」
「四六時中プップルプルプル聞かされると頭がおかしくなりそうだ……頼むからやめてくれ」
何故か無駄な事に気合を入れるハルナと、それを窘めるグレイン。
そんな二人をよそに、セシルは淡々と出立の準備を進めていた。
「ではポップに引いてもらうということで、馬車の準備を整えますわ」
そう言ってセシルはあっと言う間にポップを馬車と結び付け、荷物を積み込み、御者も彼女が務めたいのか、真っ先に御者台に座っていた。
「なぁセシル、ポップの水と食糧はどうすればいいか聞いてもらえるか?」
「かしこまりましたわ」
そう言うと、セシルは御者台から降りて、ポップと再び話を始める。
「普通の馬三頭分より飲み食いするようだったら却下だな」
「聖獣なんて飼った事ないですもんね」
「まぁ、見たこともないってのが普通だろうからな」
ポップに話し掛けるセシルを、ぼんやりと眺めるグレインとハルナであった。
「グレインさん、大丈夫みたいですわ。お腹が空いたり喉が渇いたら、馬車を外してもらって自分で調達してくるという事みたいです」
「「馬車を置き去りにする引き馬」」
「まぁいいか……。よし、準備が整ったな!」
「セシルさんが一人で頑張ってくれたお陰で、グレインさまは何もしてないですけどね」
「おいおい、それはハルナも同じだろ?」
「私はセシルさんの準備中、グレインさまのお守りを」
「俺は子供じゃないぞ! ……まったく。それじゃあ気を取り直して、『災難治癒師』」
「「「しゅっぱーつ!」」」
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サランの街中を、聖獣が引く馬車は周囲の人々の目を引きながらのんびりと進んでいく。
グレインはそんな幌の外側の様子をちらちら覗いていた。
「なぁ、なんか俺達の馬車、随分と目立ってないか?」
幌の中でグレインがセシルに話しかける。
「さっきグレインさまも仰ってた通り、聖獣なんて普通に生活してたら、一生お目にかかれない生き物ですからね」
「やっぱりポップのせいか」
「それ以外に理由はないかと」
グレインは溜息をつきながら御者台に座るセシルを見る。
彼女もまた、聖獣を使役して馬車を引かせている御者と言うことで注目を浴びており、それが恥ずかしいのか顔を真っ赤に染めていた。
「なぁセシル、ゲレーロ捕まえたときにポップに乗ってここまで来ただろ? その時は騒ぎにならなかったのか?」
「当然、街中までポップで来たらこのように注目を浴び、騒ぎになってギルドへの報告どころではなくなりますもの。ちゃんと町に入る前に、人目につかないところで降りて歩きましたわ」
「さすがセシル……。だからナタリアもポップを見たことが無かったのか」
「グレインさんのところへ戻る時はさすがに同行する衛兵の方々に説明しましたが、やはり訓練された衛兵の皆さまですら、腰が抜けるほど驚いてましたわ。まぁ、ギルドに飛来した時点でもう大騒ぎになりましたので、今更隠す意味もないかと思いますわ」
隠さなくていい、ということが嬉しいのか、セシルは晴れやかな笑顔を浮かべている。
「ですので、ポップには外に出たら本気を出してもらうよう言ってありますわ」
「「えっ」」
グレイン達が驚くのも無理はない。
街中を進んでいる現状ですら、三頭ほどの馬が引くサイズの馬車を一頭で引いているのだが、これでも『本気ではない』と言う事なのだ。
「お、もうすぐ門が見えて来たぞ。門を抜けた後のポップの本気、どれだけの速さなのか楽しみだな」
もうすぐ馬車はサランの北門へと差し掛かる。
この門を抜けた後、一同はポップに引かれて、馬車ごと空の彼方へ吹っ飛ぶことになろうとは思いもしなかったのである。




