第279話 『成功だよ』
「……そう……あの人が……アウロラさんが……師匠の本来の姿だったのねぇ……」
壁に身体を全て預けるようにもたれ掛かっていた『魔女』が、更に脱力するようにため息を吐く。
グレイン、トーラス、エリオに囲まれて動揺していたナタリアは、グレインの口から語られた物語に出てきた思いもよらない人物──ミュルサリーナに視線を向ける。
「ミュルサリーナ、あんたが最後の鍵なんでしょ!? だったら──」
その言葉を掻き消すように、轟音と共に拳が冷たい石壁へと叩きつけられる。
それはついさっきまで傍らで余裕の笑みを浮かべていたアドニアスであった。
しかし、そんな彼の顔が今はとても悔しそうに歪んでいる。
「ッチィィィ!! あいつら、揃いも揃って生きてやがったのか! 身近に膨大な魔力源があったから使ってやっただけだったが、あのクソ王族がどいつもこいつも時空属性だった所為で、そんな馬鹿げた、馬鹿げた事が! ……そんな事であれば、クソ王族の魔力など使わずに、我の魔力で直々に一人ずつ焼き殺しておくべきだったァァァ!! 我の恨みを! 苦しめ、苦しめ!」
それを見て、ナタリアが溜息をつく。
「あいつ、心の底から腐ってるのねぇ……。それでミュルサリーナ、最後の鍵があんたなんでしょ? 何するのか分からないけど、早くしてよ」
ところがミュルサリーナは相変わらず壁に背を預けたまま動かない。
「一体何をすれば良いのかしらねぇ? 師匠からは、何も聞いてないわぁ」
「ケホケホッ……ちょ、ちょっと待ってくれ。何か走り書きがあるぞ?」
その時、喉を勝手に使われてすっかり声を枯らしたグレインが、手帳の裏表紙を見て声を上げる。
「相当急いで書いたのか、読み辛いな……。『ミュー、修行の成果を見せて。三人にすべての呪いを。全呪合成だよー』……ってえぇぇぇぇぇ! ちょっと待──」
「ふふっ、承知しました、師匠。……みんな、死なないから大丈夫よぉ!」
グレインが言い終わらないうちに、ミュルサリーナは壁から離れると、次々と両手で印を組み、あるいは蛇や魔力弾を生み出しては三人に浴びせ、懐から針のような物を取り出して次々と突き刺していく。
ミュルサリーナが何かをする度に、三人はナタリアを取り囲んだまま悶絶し、絶叫する。
「目が! 見えねぇ!」
「鼻が痛い! 何これ!?」
「背中が、背中がァァァァ!」
「熱い熱い! 僕の足燃えてない!?」
「身体が……重い……」
「息が! 苦しい!」
そんな三人に囲まれたまま立ち竦むナタリア。
どこを向いても苦しむ男達が目に入り、彼女も悲痛な顔をする。
「なっ、何なのよこれ! あたし何でこんなものを見せられてるの……? ねぇグレイン、あんた目が白目剥いて血走って、唇が紫色よ!? 大丈夫なの!?」
しかしあまりの苦しみに反応すらできないグレイン達。
「一体何なのよこれぇ……うぅっぷ……おえぇぇぇ……」
耐え難い嘔吐感に苛まれ、その場に蹲り、胃の中の物を吐き出すナタリア。
その時、ミュルサリーナが叫ぶ。
「みんな、これらの呪いじゃ死なないけど……死ぬより苦しいかも知れないわねぇ。でもこれで……最後! 風化の呪い!」
その瞬間、風化すると思われた三人の全身から、金色の輝きを放つ光の粒が舞い上がる。
「あら、風化しない……失敗した!? もう一度、風化の──」
『成功だよ』
ミュルサリーナの脳内に突如声が掛けられ、彼女は身動きを止める。
『ミュー、ありがとうね。この声は、あなたが呪いを解いてくれた時だけ聞こえるようになってるんだー。だから、これが聞こえたなら、あなたが呪いを解いてくれた証。そして……ウチはもう生きていないはず。だって生きてたら、ナーちゃんのピンチなんだもん、何としてでも駆けつけるよー』
「師匠……師匠……」
『言ったでしょ? 修行完了の証を授けるって。これにて、不憫な村娘シンディこと、呪いの魔女アウロラの修行が完了でーす。これでミューが当代随一の魔女だよ。そもそも魔女ってほとんどいないんだろうけどね。それじゃ、あとは……ナーちゃんの事とこれからの世界をよろしくねー』
「親友と世界を同列にしない! ……師匠? 待って、師匠! アウロラさん!」
『あ、そうそう。最後に一つだけ、ミューの疑問に答えようかー。そう、どうやってナーちゃんを守るのか、疑問に思ってるでしょ? それはね──』
「そんな事疑問に思ってませんけど」
『ナーちゃんを最強にすればいい、って閃いちゃったんだよねー』
「……は?」
『そろそろ始まるんじゃないかなー? ……仮初めの事務員ナタリア。しかし真の姿は──世界最強の存在! ふふふっ、ナーちゃん溢れ出す力に喜んでくれるかなー』
「いや、彼女さっきから盛大に吐いてますけど……。こんな酷い解呪方法は聞いた事が無いですよ! 私、師匠のこと今まで尊敬してたのに……」
『さぁ、始まるよ! 世界に掛けた数百年分の、【ジョブの代償】を贄に、いまこそ最強の存在が生み出され──』
ミュルサリーナは驚きのあまり、腰を抜かしてへたり込む。
「え……そんな……。『ジョブの代償』……? まさか師匠は、この瞬間の為だけに……!?」
呆けたような表情のミュルサリーナ。
その視線の先には、グレイン達から舞い上がった光の粉を頭から大量に浴びながら、未だに嘔吐を続けて咽るナタリアの姿があった。
そしてそんな魔女の傍らに跪き、手を差し伸べる少女。
「……ナタリアさんは……大丈夫なんですか?」
ミュルサリーナはその手を取り、ゆるゆると立ち上がる。
「あぁ……リリーちゃん。ありがとうね。恐らく、命に別条はない筈よぉ。何と言っても私の師匠が生み出した、世界最高の呪いなんだからぁ」
ナタリアの様子を見ながら、ミュルサリーナは笑顔でそう答える。
「さっきの話だと、師匠……アウロラさんが掛けた呪い……ですか?」
「えぇ……。全部、合点がいったわ。師匠はその昔、ナタリアさんを守るために、世界中の人々のジョブを制限したの。その結果、師匠は『呪いの魔女』として、ジョブが制限されてしまった世界中の人々から嫌われた」
「私も……ジョブさえ無ければ、暗殺者に……」
「そうよねぇ。みんなそうやって、師匠を──『呪いの魔女』を恨んできた。何でこんな呪いを掛けたんだ、という具合にね。でも、私たちのジョブが制限されているのは実は呪いではなくて、今ここでナタリアさんを強化する呪いの為の代償だったのよ。そして、代償が大きければ大きいほど、呪いの力は……ね?」
ミュルサリーナはそこまで言ったところで言葉を切り、誇らしげな表情で静かにナタリアを見つめるのであった。
 




