第273話 手紙
「なんだ、たった一人消しただけで魔力切れか。仮にも王家の血を受け継いだ者がこの程度とは……。おい、起きろ! 王家の血はこの程度か? 貴様の親父は比べ物にならんほど膨大な魔力を備えておったぞ! ……やはり、このような弱者に玉座は相応しくないな。この国の王は我が務めるしかあるまい」
結界がアウロラを飲み込んだ直後、気を失ったティアの背中を乱暴に蹴り飛ばすアドニアス。
床を転がるティアの身体にエリオとミーシャが慌てて駆け寄る。
「てめぇ、姫様に何すんだよ!」
「なに、『それ』は魔力切れだったのでな。大事な呪いの蔦が絡まないように取り外しただけだ」
エリオは堪えきれない怒りで拳を握るが、その拳に傍らのミーシャの手が添えられる。
「エリオ、感情だけで動いたらだめだよ。素手じゃ絶対に敵わないから」
「……あぁ、そうだけど! そうだけど許せねぇよ! アウロラさんは殺されたし、姫様もハルナさんもトーラスさんもみんな魔力吸い取られてるし! ……みんなあいつをブッ飛ばしたいに決まってるんだ! だから俺が、みんなの代わりに──」
「ねぇ、落ち着いてったら!」
ミーシャの平手が喚き散らすエリオの頬を打ち、呆然とするエリオ。
彼の目を真っ直ぐに見つめるミーシャの目からは、涙が溢れていた。
「エリオ一人じゃ……逆立ちしたって勝てっこない。……お願いだから……死なないで……。ずっと……一緒だったんだから……。これからもずっと……っ」
そこで言葉に詰まり、嗚咽を漏らすミーシャの顔を見て、エリオは目を閉じて深く息を吐く。
「……そうだよな。俺がどんなに怒っても、敵わない相手には敵わないか。確かに、今まで一撃も入れられてないもんな。どうにもならないか」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、声も出さず静かに頷くミーシャ。
エリオは、そんなミーシャの頭を撫でながら、グレインに振り返る。
「なぁ大将、これからどうすんだよ」
「……ん? 大将って俺か!? ……よし、ちょっと待ってくれ」
突然の呼び掛けに驚きつつも、ナタリアから渡された古い手帳をぱらぱらと捲っていくグレイン。
「……なるほどな」
「これ……古代魔族文字みたいだけど、あんた読めるの?」
「いや全く読めん」
「何で頷いたのよ!?」
「それっぽい雰囲気出さないとアドニアスに殺されるだろうが」
「そんな小芝居してる暇あったらさっさと作戦を考えなさいよ!」
グレインの後頭部にナタリアの拳が炸裂する。
「いてぇぇぇっ!」
「我は構わんぞ? 殺される前に最後の足掻きくらいは許してやろう。準備ができたら殺してやるから声を掛けろ」
余裕の笑みを浮かべるアドニアスを睨みつけた後、ナタリアの一撃を受けた拍子に取り落とした手帳を再び拾い上げたグレインは、手元を見て目を見開く。
「最後のページ……ここだけ読めるぞ!」
「やったじゃない! という事は……今のあたしの一撃で古代魔族文字を習得したのね! じゃあどんどんいくわよぉぉぉ!」
ナタリアが笑顔で拳を振り回す。
「いや手帳が読める言語で書いてるだけですやめてください普通の文字も読めなくなりますやめてくださいお願いしますやめてください」
「……なーんだ、残念。合法的にあんたをボコボコにできると思ったのに。それで、手帳にはなんて書いてあるわけ?」
「……合法的に……? 冗談……だよな?」
「……なにが?」
首を傾げるナタリア。
「……」
「なによ、そんなの冗談に決まってるじゃないのよ。……それで手帳の内容は?」
「待ってくれよ? うーん……ちょっとところどころボロボロだけど、何とか読めるな。…………『女神の使徒』で『仮初めの事務員』を取り囲み、次の呪文を──」
「……『仮初めの事務員』……? ……冗談……よね?」
「……なにが?」
首を傾げるグレイン。
「…………ちょっと貸しなさい!」
ナタリアは真っ赤な顔でグレインの手から手帳を奪い取る。
「……なっ……何よこれ!? でも……このページの荒れ具合からすると、アーちゃんが咄嗟に書いた訳でもなさそうだわ。……まるでこの手帳が書かれた時代に、今の状況が見えていたみたい」
「とりあえずやるしかないな。エリオ、こっちに来てくれ! それと……トーラス……は魔力切れで倒れてたっけな」
「いや、大丈夫……復活させてもらったよ」
「わ……妾の魔力を分けてやったのじゃ」
今にも倒れそうなほどふらついているサブリナの傍に、しゃんと立つトーラスの姿があった。
ミュルサリーナはサブリナに肩を貸しながら、トーラスの上に覆い被さって気を失っていたセシルを小脇に抱えている。
「トーラスさんにサブリナの魔力を分けて、隙を突いて転移魔法で逃げ出す作戦だったのだけれどねぇ……。彼が必要なら諦めるしかないじゃなぁい」
そして、ナタリアの正面にグレインが立ち、彼女の右側にエリオ、左側にトーラスが立つ。
「……ねぇ……なんであたしが『仮初めの事務員』だって分かった?」
「そりゃそうだろ。この中でジョブがはっきりしてないのはナタリア、お前だけだからな」
「このジョブ、名前からしてもの凄く恥ずかしいのよね……」
「まぁ、そうだろうな。こんなジョブあるなんて初めて聞いたし、どこがどう仮初めなんだとか、じゃあ本来のジョブは何なんだとか、色々聞きたくなる」
「……そうなのよ。どうも、この世に一人しかいないユニークジョブってやつらしいわ。そして特殊能力があって、『誰かを支えることに特化している』って言われたわ。二番手、次席、補佐、副官に適正があるけど……何をやっても、どんな事でも決して一番にはなれないって。名前は胡散臭いし、能力は事務員と全然関係ないし、しかも効果もショボい。……当時、このジョブは珍しいけどハズレだって話になって、全く騒ぎにならなかったのよ」
グレインは、ナタリアの話を聞きながら、鏡の欠片の行方を見ていた。
何の役に立つのか分からないそれは、さっき手帳を落とした時に一緒に落としてしまったのだが、今は少女の手に握られている。
彼女はこの部屋に入ってからずっと気配を殺しており、アドニアスですら気付いているか怪しいものだ。
グレインが気付いたのも、偶然その欠片を目で追っていたからに他ならなかった。
敢えて皆の注意を逸らすため、グレインはすかさず呪文の書かれている手帳に目を落とす。
「……それじゃあ、呪文を読むぞ」
「無視!? ねぇそこで無視するの!? ちょっとは共感してよ!」
「……親愛なるナーちゃんへ」
「は!? なに!? この状況で手紙とか始まるわけ!? って言うかあの子何ふざけたことしてんのよ!」
しかし次の瞬間、騒ぎ立てていたナタリアも閉口する事になる。
グレインが最初の一節を読み上げた直後、彼の口が勝手に動き、言葉を紡いでいく。
「こんなお別れになってしまってごめんなさい。この手紙の文章は、ウチがすべての魔力と生命力を犠牲にして、世界に掛けた呪いを解くための呪文になっています。どうか最後まで聞いてください」
 




