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第271話 虫酸が走るよ

「小娘が……」


 唸るような低く短い呟きと同時に、ガリっと石の欠けるような音が室内に響く。

 それはアドニアスが奥歯を噛み砕いた音であった。 アドニアスは唇の端から血を流しながら、先程までとは打って変わって静かな声で答える。


「……もうよい……もうよいのだ! どうせこの世界は滅びる! いや滅ぼしてやる! いいか小娘、我に生意気な口を利くとどうなるか教えてやろう。なぁに、ティグリス姫の魔力で死ねるのだ、これほど名誉な事はあるまい? ……消えろ」


 そう言って下卑た笑みを浮かべるアドニアス。

 アドニアスは左手を握り締めると、不可視の触手に一層の力が込められたようで、ティアの右足から骨の軋む音が鳴る。

 それと同時に、ナタリアに向けた右の掌から黒炎が噴き出す。


「ナタリアァァァ!!」


 あまりにも一瞬の出来事だったため、周囲の人物は皆一歩も動けず、グレインがそう叫ぶので精一杯であった。


「ヒッ! きゃあああああ!」


 ナタリアが両手で顔を覆いながら腰を抜かして尻もちをつく。

 しかしその黒炎はナタリアの顔を焼くことはなく、二手に分かれて炎の檻のようにナタリアを円形に囲む。

 そして黒炎は次第に床へと燃え広がり、ナタリアの足元が闇で満たされる。


「熱く……ない? ……何よこれ……見掛け倒しじゃな──っ!」


 次の瞬間、ナタリアは声にならない悲鳴を上げる。

 彼女の手足が、足元に広がった闇に飲み込まれるように、ずぶずぶと沈み込んでいったのだ。


「グレイン、グレイン! 助けて! 嫌だ! こんなの嫌だ!!」


 泣き叫ぶナタリアにグレインが駆け寄るが、ナタリアの周囲に広がる黒炎の檻は、彼の衣服を、髪を焦がしていく。


「クフフファファ! 無駄だ無駄だ! その炎は小娘の足元に張った消滅結界を守り続けるのだ。消滅結界が人間を飲み込んで消えるまでな」


「ナタリア! ナタリア!」


 グレインはナタリアに何度も手を伸ばすが、悉く黒炎に弾かれ、その度に彼の手足に火傷の痕が増えていく。


「そんなに小娘を助けたいか。……ならば一つだけ方法があるぞ? 消滅結界の魔力の供給源である、そこの姫様を殺せ」


「なっ! ……そんな事……出来る訳が……!」


 先程エリオが抜いたグレインの剣が床に投げ捨てられているのを見て、アドニアスは愉しそうに笑う。


「なぁに、簡単な事であろう。こいつの動きは我が封じておるからな。その剣を拾い、姫様の首を落とせば小娘は助かる。訓練用の木人と思えば良いではないか。……ほら、どうした? 迷っている時間も惜しいのではないか? 早くしないと、あの小娘はこの世から消え失せるぞ」


 ナタリアは、既に胸から下が闇に飲まれている。

 それを見たグレインは、床に落ちている剣を拾い上げる。


「そうだ! それでいい! さぁ、姫様を殺せ! 殺せ! 殺せ!」


「……出来る訳ないだろ! そんな事をしてナタリアが助かったって、何が嬉しいんだ! お前が死ねば……二人とも……!」


 そう言ってグレインはアドニアスに斬り掛かるが、その刃はアドニアスに届く事はなく、見えない何かに押し留められる。


「……グレイン、駄目だぜ……。このジジイの触手、一本じゃねぇ」


 ティアに寄り添うエリオが、枯れた声でそう呟いた。


「……ふむ、やはりこのガキには我の魔力が見えるようだな。……まぁそれは後で調べる事にしよう。さて、姫様ではなく我を殺しに来たと言う事は、小娘は消えても構わんという事だな?」


「ナタリア!」


 グレインはアドニアスの眼前で止まっている剣を投げ捨て、再びナタリアの方へ駆ける。


「グレイン……あたし、覚悟決めたわ。あんたの足手まといになるぐらいなら、ここで死ぬわ」


「ちょっと待てよ! 勝手にそんな事決めるんじゃない! 今どうにかして助けてやるから!」


 ナタリアは床に飲み込まれる寸前の首を左右に小さく振る。


「もう……いいの……。それよりも……生まれ変わったら、その時は一緒に……なりましょ。……あたしの事……ちゃんと見つけてね?」


「……嫌だ! 嫌に決まってるだろ! 生まれ変わった後だって見つけるし一緒になる! でもな、今のお前はどうするんだよ! 今のお前の事、まだ幸せにしてないだろ……だから、消えるなよ! ナタリアァァァ!!」


 そう言葉を交わして涙を流すナタリアとグレイン。

 そんな二人の背後から、悲痛な叫び声が浴びせられる。


「もう、やめて! そんな悲しい話、もうやめて下さい! グレインさん! エリオくんでもいいから! 早く私を、私を殺して!」


 ティアもまた涙を流しながら、右足の痛みを堪えて必死に叫ぶ。


「これは愉快だ! グレインとやら、そこの姫様が死にたがっておるのだ。一思いに殺してやったらどうだ? さすれば小娘は戻してやるし、姫様も希望通りに死ねる。みんな幸せになれるでは──」


「ねぇ、そろそろ黙ったらどうかなー? あんたみたいなのがウチの親族だなんて、虫酸が走るよ」


 アドニアスの言葉を遮る声と同時に、顔の半分まで沈んでいたナタリアの身体が浮上を始めたのであった。


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