第266話 こちらでございます
「魔王様、定例の報告に参りました」
重厚な煉瓦造りの通路の途中、クライルレットが何の変哲も無い壁をノックし、セーゲミュットが壁に向かってそう告げた。
「入れ」
クライルレットが両手を広げて壁に触れると、静かに壁面が動き、二人を招き入れるように入口が開く。
その隠し部屋は、セーゲミュットがゲートを開いた旧い武器庫の倍ほどもある広い部屋に、玉座が一つ鎮座しているだけの非常に簡素な部屋であった。
その玉座に深く腰掛ける一人の男──アドニアスの前にローブを目深に着込んだ二人の魔族が並び立つ。
「今日は随分と遅い到着であったな。それに……何か城内が騒がしく感じるぞ」
「……っ! ははっ、ネズミが数匹入り込んだようで、対処しておりました故、到着が遅れてしまい──」
「殺してきたか?」
慌てて説明するセーゲミュットに対し、アドニアスは表情一つ変えずに抑揚の無い調子で問い掛ける。
「……は?」
セーゲミュットが返答に詰まっていると、アドニアスが質問を繰り返す。
「……そのネズミをちゃんと殺してきたのかと聞いている。……貴様からは一切血の匂いがせぬのだが」
「はっ! 元よりそのつもりですが、……只今侵入経路を尋問中ですので、終わり次第早急に処分致します」
セーゲミュットは隣に立つクライルレットの顔を見ると、彼女も同じ心境であったのか、悲痛な眼差しを返す。
以前の魔王様であれば、真っ先に『殺してきたか?』などと聞くはずもない。
彼女も『魔王様のご命令とあらば』と、どんなに非道な命令でも淡々とこなしてきた。
自分たちの敬愛する魔王様が、間違っている事など有り得無いのだから。
しかし、さすがに殺し過ぎていた。
『もしや、魔王様は正気を失われているのではないか?』そんな疑念が脳裏を過ぎるのも無理はない話であった。
ある日、セーゲミュットは思い切って自分の考えをクライルレットに打ち明けた事があった。
すると、彼女も同じような疑問を抱いていることが分かり、二人で議論を重ねた結果、何者かに呪いを掛けられ、操られているに違いない、という結論に達した。
しかし、仮にその予想通りに、呪いで魔王様が正気を失っているのだとしても、セーゲミュット達にはその呪いを解く術がないし、術者が誰なのかも分かっていない。
故に二人は、いつか、魔王様の自我を取り戻す手段が見つかるまでは、自分の心を殺して命令に忠実な駒であろうと誓い合ったのである。
そして、セーゲミュットは彼らと出会ったのだ。
魔王様を、苦しみから解き放つかも知れない、解呪の力を持つ魔女を引き連れた彼ら。
「……そうか。まぁ、殺すのであれば良かろう。我はお前達ほどの忠臣を失いたくはないのでな……この期待を裏切ってくれるなよ?」
「「ははっ! 元より我らの命は魔王様の物です! 何なりと御命令を!」」
「よろしい。……では、報告を聞こうか」
遂にその時が訪れる。
セーゲミュットは額に仄かに滲む脂汗を気取られぬ様、慎重に報告書を読み上げていく。
「──以上が、ヴァイーダの直近の財政状況のご報告になります。」
説明の切れがいいところ「セーゲミュット、お前少し太ったのではないか? ……お前が一番、魔界とこちらを行き来している筈だが……。さてはお前、魔界では机に座って居るだけなのだな? 各地を見て回れと言った筈だが……」
「は、はい! 魔王様の御命令通り、各地をこの足で巡って状況を確認しております! この体型には少々理由がありまして、それは後ほどご説明させていただきます」
「……分かった。続けよ」
するとアドニアスは若干不服そうにするも、短くそう言った。
「で、では、つ、次のごっほご報告にみゃ参ります」
「何だ、どうした!?」
「い、いえ、魔界の空気に慣れていたため、こちらの汚れた空気は合わないようでして」
「そうか…………続けよ」
「は、はっ! ……実は先日、ヴァイーダ南方の砂漠地帯で奇妙な物を見つけまして」
そう言ってローブの懐から一つの金属片を取り出し、手のひらに載せてアドニアスに見せる。
「ただの甲冑の欠片ではないか」
「いえ、この金属片、こちらの部分に小さく文字のようなものが刻まれておるのですが、知識に乏しい某には読めぬのです。しかしながら、古今東西の様々な知識に精通しておられる魔王様であれば読めるのではないかと思いまして」
「どれ、見せてみよ」
アドニアスは幾分面倒そうな様子ではあったが、玉座から上体を起こして前のめりになる。
それを見てセーゲミュットは重そうな身体のバランスを取りながら、ゆっくりと玉座へと歩み寄る。
「こちらでございます」
セーゲミュットがアドニアスの眼前に金属片を差し出すと同時に、金属片を載せた腕とローブの隙間からもう一本、細い腕が飛び出す。
「『解呪!』」




