第254話 簡潔に申せ!
夜が白み始める頃、バナンザの街へと一人の魔族が訪れる。
彼は、バナンザの西門の上に立ち、街の外でモンスターを寄せ付けまいと一睡もせずに戦う兵士達を見て、声を上げる。
「某は魔王様の右腕であり、魔王軍総司令補佐兼、魔王軍歩兵育成部門最高統括責任者兼──」
「今はそれどころではないのだ! 簡潔に申せ! 貴殿は敵か、味方か!」
戦場を駆ける馬上から一人の男がセーゲミュットの言を遮り、彼の方へと馬を進める。
「私はロサード家の現当主にしてここローム広告の代表、ハイランドである。もう一度訊こう。貴殿は敵か、それとも味方か」
「某はセーゲミュット。魔女様に願いを聞き届けてもらう為、このモンスター達の無益な暴走を収めに参った魔族である」
そう言って腰の剣を抜き、天に掲げるセーゲミュット。
ハイランドの周囲にいた兵士達はその手に武器を構え、ハイランドを庇うように立ちはだかる。
一触即発の雰囲気が漂う中、当のハイランド本人は涼しい顔をしている。
「皆、矛を向ける相手を間違えているぞ? この者に害意はない。皆が戦わねばならぬのは、森から押し寄せてくるモンスターであろう。 持ち場へ戻れ!」
ハイランドはそう叫ぶと馬を降り、自らの前に壁となった兵士を押し退けるようにしてセーゲミュットの前に進み出る。
対するセーゲミュットも西門の上から跳び、ハイランドの眼前に着地する。
「折角の援軍にも関わらず、私どもの兵士が非礼な真似をした事を詫びよう。兎に角戦える者達を片っ端から掻き集めた故、貴殿の殺気の有無にも気が付かない者達も大勢混ざっているのだ。貴殿の助力には心から感謝する」
「構わぬよ。それよりも某には時間がないのだ。相談なのだが、今すぐ兵士達を退却させてはくれぬか」
セーゲミュットがそう切り出すと、ハイランドの眉がぴくりと動く。
「貴殿が我々と共に戦うわけではないのか?」
「実はこの街の南側に某の率いる魔王軍の部隊を待機させているのだが、その中には少々異形の者も含まれていてな。人間族からするとモンスターとの見分けがつかない可能性がある。……某としても、徒に敵対感情を生み出したくはないのだ」
ハイランドは顎に手をやり、暫し沈黙する。
「ふむ……貴殿の言う事は尤もである。我ら人間の兵士が友軍である魔王軍の兵を傷付けたならば……。それこそ種族間の問題になってしまうであろうな」
その時、ハイランドのそばに控えていた一人の兵士が口を開く。
「ハイランド様! 差し出がましい事を申し上げますが、これは罠です! そもそも魔王とは何者ですか!? おそらく名のある将軍の異名かと思われますが、全く聞いたことがございませんし、その軍がどこの国に所属しているのかも不明です。もしかしたら我々に兵を引かせた隙に、押し寄せるモンスターのどさくさに紛れて、この街を占領しようとしているのではありませんか!? この者も魔族などと申しておりますが、魔族は数十年前にこの世から絶えたはず。この者の話は一切信用なりませんぞ!」
ハイランドはくつくつと小さく笑い、セーゲミュットに問う。
「なるほど……一理あるな。セーゲミュット殿、この者はこう申しておるが、貴殿等にそのような悪意がない事は証明できるか?」
「なっ……某が騙し討ちなどという武人の風上にも置けぬ様な真似をする訳がない! しかし証明と言われても……」
そう言って、その場でうろうろと歩き回り、考えを巡らせるセーゲミュット。
そうしている間にも、街の東側に広がる水平線は次第に明るくなって来ている。
セーゲミュットは唐突に手を叩き、ハイランドへと振り返る。
「そうか、魔女様に! 某が森で約束した魔女様に事実を確認していただければ──」
そこまで言ったセーゲミュットのすぐ目の前で、ハイランドがひらひらと左手を振る。
「いやいや、許せ。ただの戯れであった。そのような証明は時間の無駄である。貴殿がそう言っているのだから、それが真実なのであろう」
「ハイランド様! 何を仰せでありますか! この魔物の言を信じると──」
そしてハイランドは意見した兵士の肩に手を置く。
「魔王を聞いたことがないか? 幼い頃に絵本で読まなかったか? 魔界からやってきて、人を攫っていく悪魔の話だ」
「あ、あれはただの……」
「あぁ、ただの御伽話だ。しかし、絵本に書いてある内容は作り話だと誰が決めたのだ?」
ハイランドは瞑目し、大きく息を吸う。
「皆の者よいか! 我々は南側から到来するセーゲミュット殿の援軍と入れ替わる形で、街の内側に撤退せよ! ……そして、危なくなったら家財もこの街も、全て打ち捨てて構わぬ! 自身と国民の生命を守る事を第一とせよ!」
「何の担保もなしに某を信用してくれるのか……。某の首でも質に取られる覚悟であったのだが」
ハイランドがあまりにあっさりと撤退の判断を下したため、呆気に取られるセーゲミュット。
「援軍を信頼するために、援軍の将を囚えては本末転倒ではないか。良いのだ。もし貴殿が裏切ったとしても、全ての責任は私が負う。……こんな男の生命では到底足りぬと思うがな。貴殿を信じるに至った決め手は、魔女に事実確認を求めた時の目だ。貴殿の目からは、人を謀ったり、騙そうとする邪な感情が一切読み取れなかった。只々懸命な思いが伝わってきた故である。これで貴殿が裏切る事があれば、私はその程度しか人を見る目を持ち合わせていない、国家代表たり得ぬ男だったという事だ」
そこまで言うとハイランドはセーゲミュットに手を差し出す。
セーゲミュットも笑顔でその手を握る。
「よろしく頼む」
「任せておけ」




