第217話 未来があるのだから
朝陽が射し込む宿屋の階段を、グレインとエリオは欠伸をしながら降りて食堂へと向かう。
ここ最近繰り返される、いつもの風景だ。
彼らは食堂の入り口で、中から出てきたナタリアとすれ違う。
「あら、おはよう。いつも寝坊助のあんた達にしては早いじゃない」
「今日はあちこち行かなきゃならないからな」
「ハイランドさんのところ? あれって午後からじゃなかったかしら?」
「あぁ、午前中は港に立ち寄る予定なんだ」
「あら、そうなんだ。……あ、もし弁償しろって言われたらあたしは関係ないって言っておいてね」
「弁償は必要ないだろ!? あんなボロ船、二束三文だよ」
「案外、歴史的価値があるかも知れないわよ? あの変態だって、調度品には興味津々だったじゃない」
グレインは『確かに』と、トーラスが室内のあらゆるものに興味を示していたのを思い出す。
「なぁグレイン、早くメシ食おうぜ! 俺、もう腹ペコなんだけど」
ナタリアとグレインの話が終わるのを待ちきれないのか、エリオが腹を押さえて身体を捩る。
エリオ達が治療院へ狙撃を試みた日から、二週間が経過していた。
あの日、『助けてほしい』とエリオに懇願されたグレインは、すぐには解決策を見出すことはできなかった。
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「助けてって言われてもな……。まず、お前たちが捨てられたっていうのも、可能性があるというだけで、そうと決まった訳じゃない。それに、助けるって言ったって、一体どうして欲しいんだ?」
「分かんない……分かんないよ! でも、今のままが辛い……苦しいんだ! 村のみんなの期待を裏切るわけにはいかない。でも、殺さなきゃいけない人は、ミーシャの命を救ってくれた人だし、周りにいるあんた達も悪い奴には見えなくて……。だから……だから、もうどうしたらいいか分かんないんだよ!」
エリオは人目を憚ることもなく、ぼろぼろと泣きながらグレインに胸の内を明かす。
「……エリオ、お前にとって幸せってなんだ? どんな時が幸せだった?」
グレインも、エリオを救うための道を必死で探る。
「……俺は……あの日に戻れるなら戻りたい! 村で狙撃の訓練をしながらのんびり暮らしてたあの頃に!」
「残酷な話だが……もしアウロラ達の憶測が正しかった場合……それは無理な話だって事はお前も分かってるよな」
エリオは無言で頷く。
「どうにかしてやりたいが……」
グレインは周囲の面々に視線を向けるが、板挟みに遭っているエリオの心情に遣り切れないのか、皆沈痛な面持ちで只々俯くばかりであった。
「とりあえず、今後は俺達と一緒に行動してもらおうか。お前達を野放しにして、またティアを襲われてもたまったもんじゃないからな。常に誰か監視をつけて、ティアを襲わないように見張らせてもらう。……それで、これからどうするかはゆっくり休んでから考えよう。俺達も一緒に考えるから」
そう言ってグレインはエリオの肩に手を置く。
エリオはしばらく俯いてから徐に顔を上げ、グレインの目を真っ直ぐに見つめる。
「いや……、今、決めたよ!! 俺は村長の、ううん、村のみんなの事を信じるよ! 俺達は捨てられたんじゃない。村のみんなは俺達の事を捨てるような、そんな人間じゃないから、いつかまたヘイザーランドに帰って、村のみんなに会うんだ! 王女様の暗殺もやめて、それを村のみんなにも説明して分かってもらう! それで、それで、あとは……また、あの村で前みたいに暮らしたいかな」
「……分かった。じゃあそれまでは俺達が責任もってお前達を守ろう」
エリオの真っ直ぐな言葉に、グレインはそう答えるしかなかった。
魔界に帰る方法など、彼には皆目見当もつかない。
だが、だからと言ってエリオを否定する事など出来ないという事も彼は理解していた。
グレインの半分も生きていないエリオには、まだまだ無限の可能性を秘めた未来があるのだから。
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こうしてグレインとエリオは、行動を共にしながら魔界に行く方法を考える事にしたのであった。
グレインは魔界と聞いて真っ先に港の幽霊船を思い浮かべた。
あの船は当時、北の大陸──つまり魔界と南の大陸を往復する為の船であった。
つまり、航海日誌などの資料が残っていれば、魔界への行き方についての大きな手がかりになる可能性が高い。
さらに、書庫には無数の蔵書が眠っている。
古代魔族文字が読めるアウロラを連れていけば、何らかの情報が得られるかも知れない。
しかし、港の幽霊船のマストが倒壊したという情報は即座に騎士団にも伝わっており、船体の崩壊、あるいは沈没の危険性があるということで、発覚した翌日から幽霊船の周囲は封鎖されてしまっていた。
そこで、ハイランドに事のあらましを書いて嘆願書としてティアに届けてもらったのがちょうど十日前のことであった。
「役所ってのはホント動くのが遅いよな……。でもこれで、ようやくあの船を調べることができるぞ」
『グレインとその仲間達に幽霊船の立ち入りを許可する』との通達書を見ながらグレインがぼやく。
「なぁ、昔はあの船が北の大陸に行ってたんだろ? じゃああの船を修理すりゃ、そのまま魔界に行けたりしねぇかな?」
エリオはそう言って、パンを大きめにちぎって口へと放り込む。
「海流にぶち当たって粉微塵になりたきゃそれでもいいぞ? なんせ、何百年、何千年前の船かも分からないんだからな」
「粉微塵……むぐっ……!」
パンを喉に詰まらせたエリオが胸を叩きながらコップの水を流し込む。
「うへぇ……死ぬかと思ったぜ……。それにしても、船に入るのを認めてくれたのはいいんだけどさ、『ついでに、グレインとその関係者は全員屋敷に出頭せよ』ってのは何なんだ? あんたまさか、裏でヤバい犯罪でもやらかしたのか?」
「そんな訳ないだろ? ……なぁエリオ。大きな声じゃ言えないが、今この国には、お前以上にヤバい犯罪者はいないぞ?」
「えっ」
突如自分の名前が出た事に驚くエリオなのであった。




