第198話 お礼
「みなさま、大変ご迷惑をお掛けいたしました。……そして……お世話になりましたわ」
セシルが治療院の入り口で頭を下げる。
彼女が治療院に担ぎ込まれた二日後、退院の許可が出たため、グレイン達に迎えられて見送りに来た職員に退院の挨拶を交わしていたのであった。
「それじゃあ、あたしはハルナとアーちゃんのそばに居るから、また夜に宿屋で」
そう言って治療院の中へと戻っていくナタリア。
「じゃあ、僕とリリーもこっちの護衛に残るけど、ほんとに良いのかい? アウロラさんなら今の状態でも、そこらの賊ならボコボコにできそうだけどね。 今、一番危険なのは治療院組じゃなくて……」
トーラス兄妹を治療院に護衛として残すと言ったのはグレインの提案であった。
ヴェロニカがアウロラに懐いているとは言っても、グレイン達にとっては未だに敵か味方か分からない存在であるため、グレイン達の最高戦力をヴェロニカの傍に残しておくことにしたのである。
「あぁ、分かってるさ。いざとなったら、俺たち全員がティアの盾になって、ここかハイランドの騎士団のところに逃げ込めばいいだろ?」
「それはそうなんだけど……この治療院もいい迷惑だよね」
「何かあったら国から莫大な迷惑料を払ってもらうさ。ティアを守るためだし、ハイランドならいくらでも出すだろ。それに……ティアが狙われることで、命を狙ってる奴らの手がかりを掴みたい」
「命を狙われてる本人をダシにしてお金を巻き上げて、さらには囮にする……言葉にすると完全に悪人だよね!? うーん……。僕とリリーはここに残るけど、夜になったら宿に戻るし、……まぁ大丈夫かな」
グレイン達は、諦めたように微笑むトーラスに軽く手を振り、治療院の外へと歩き出す。
「しかし、アウロラはともかく、ハルナまでこんなに長引くとは思わなかったな」
「職員の方から聞いたのですが、魔力をすべて使い果たし、挙げ句の果てに生命力の一部まで削っていたそうですわ……。通常のヒールではほとんど効果がないほどの呪いの傷で、命を繋ぎ止められた事自体が奇跡だと仰っていましたもの」
「あいつはどうにも頑張り過ぎるきらいがあるな」
「それじゃあ私が治癒魔力を抑える呪いでもかけてみようかしらぁ?」
ミュルサリーナが悪戯っぽく笑う。
「お前の呪いは本当に強力だからな……。こないだ、俺の口が開かなくなったときなんて一生あのままじゃないかと焦ったぞ」
「それが呪い。呪術というものよぉ。掛けられた相手は、術者に服従してでも呪いを解いてもらおうとするほどの苦痛と絶望を与えるのが理想と言われているわねぇ。……あ、私は味方を呪うなんてことはしないから、安心してちょうだぁい」
「いや、俺は……」
「たまには例外もあるわぁ。ただ、呪いは心が弱いと掛かるのよぉ? 心の隙に魔力を刺し込んで、相手の内面から行動を制限する……そんなイメージかしらぁ」
「ミュルサリーナは魔法使いとか、呪術師寄りのジョブなのか?」
グレインが尋ねると、ミュルサリーナは下唇を噛む仕草を見せる。
それはいつも飄々としているミュルサリーナが珍しく感情を露わにした瞬間であったが、それもほんの一瞬。
歩きながら話をしているグレイン達は気が付かない。
一人のエルフを除いては。
「ジョブ……ねぇ……。そんなもの──」
「みゅ! ミュルサリーナ! ……さん」
歯切れの悪いミュルサリーナの言葉を切り裂きながらセシルが割り込んでくる。
「あらぁ、小娘ちゃん、何かしらぁ?」
「その……あの……わたくし、この度は……い、色々と、ありがとう……って思いましたの……。それで……お礼を……何と申したらいいのか……その……」
セシルは顔を真っ赤にしてきょろきょろと周囲を見回しながら、ミュルサリーナに告げる。
その様子を見ながら、ミュルサリーナは笑顔を浮かべる。
「じゃあ、お礼はトーラスさんをもらおうかしらねぇ」
「んなっ! だ、ダメダメダメダメ絶対ダメですわ!」
「うふふっ、ただの冗談よぉ。ちょっとあなたの気持ちを確認したかっただけじゃなぁい。……それに……お礼ならもう貰ったわぁ」
「えっ」
セシルはそう言って自分の身体をぺたぺたと触って確認する。
「腕も指も、……髪の毛も、耳も大丈夫そうですわ」
「何を疑ってるのかしらぁ?」
「じゅ、呪術の触媒に使われそうな部位を、わたくしの身体から抜き取ったのかと思いましたの!」
「うふふふ……大丈夫よぉ、目に見えない物だからぁ。ありがとね、セシルちゃん」
その後、セシルは怪訝な目をミュルサリーナに向けたまま宿まで歩いていくのであった。
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その夜、セシルは宿の浴場で三日振りの入浴を楽しんでいた。
「あぁー……生き返るようですわ」
たまたま浴場に一人きりになっているため、セシルが湯船の中で両手足を伸ばして寛いでいると、浴場の入り口が開く。
「あらぁ、死んでもないのに生き返るのぉ?」
「うげっ、出ましたわ!」
「なによぉ。人を不快なモンスターみたいに扱わないでちょうだぁい」
笑顔でそう言いながら浴場に入ってくるミュルサリーナ。
「わたくし、あなたに感謝はしているのですが、まだ魔女を憎んでいることには変わりないのですわ」
セシルが浴槽の縁に腰掛ける。
「……えぇ、それで良いと思うわぁ。感情って簡単に割り切れるようなものじゃないもの」
ミュルサリーナもセシルの隣に腰を下ろす。
「……そういえば、さっきのお礼って……結局何だったんですの?」
「……あなた、気付いていたのでしょう?」
セシルはミュルサリーナの顔を見て、やはりあの時彼女が見せた表情は見間違いではなかったのだと悟る。
「あの時……話題を変えて欲しかったんですの?」
「やっぱり気付いてたのね。……えぇ、その優しさをもらったわぁ。……私ね、もう何者でもないの。人間でも、そしてきっと魔女でもないの」
浴槽から立ち上る湯気を見上げながら、ミュルサリーナは寂しそうにぽつりと呟いた。




