第186話 ヴェロニカ
「彼女はね……さっきバルちゃんが言ってたとおり、バナンザギルドのサブマスター、ヴェロニカ。……一度しか会った事ないんだけどね。……ウチがギルドの仕事でこの街に来た時の案内役だったんだー」
アウロラは小さな墓石を見つめながら、ぽつりぽつりと話を始める。
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一年前、アウロラはバナンザギルドの応接室で二人の男女と向かい合っていた。
「バナンザ冒険者ギルドマスター、人呼んで『殺人銛のバルバロス』だ。アウロラさん、っつったか? お嬢ちゃん、よろしくな」
「ここバナンザへようこそ初めましていらっしゃいませ! バナンザギルドのサブマスターに就任してまだ三日目のヴェロニカっス!」
バルバロスの隣に立つ細身の女性が、ミニスカートを軽く押さえながら青い髪色のおかっぱ頭を深々と下げる。
そして顔を上げて、弾けるような笑顔をアウロラに向ける。
「どうもー。ヘルディム王国のサラン冒険者ギルドマスター、アウロラですー」
アウロラは微笑みながら軽く会釈する。
「お……おお……! おおお! いいっ! 実にいい! お姉様! これぞ自分の追い求めていた存在! 自分にギルマスのいろはを、手取り足取り教えて下さいっス! いつかは自分もバルさんみたいに立派なギルマスになりたいっスから!」
ヴェロニカはアウロラに食いつきそうな勢いで迫る。
至近距離に見るヴェロニカの褐色の瞳には、引きつった笑顔を浮かべるアウロラが映っていた。
「ヴェロニカさん、ち、近いよー」
「自分のことはヴェロニカ、でいいっスよ、お姉様」
「じゃあ……ヴェロニカ、ギルマスのやる事って言ったら、サブマスターに仕事を押し付けることぐらいだよー? ウチだって優秀なサブマスターがいるからこうやって……コホン、とにかくそんな感じー」
「ガハハハハッ! そりゃいいや! おい、ヴェロニカ、『お姉様』のご指導に従って、これからは俺の仕事をお前に全部押し付けるからな? ギルマス目指して精々励めよ?」
バルバロスはヴェロニカを指差して意地悪そうに微笑む。
「ひっ、ヒドイっス! 自分まだ三日目っスよ!? 日記ならそろそろ書くのをやめる頃っス!」
「あぁ? ……まさかサブマスターも三日坊主で辞めるとか言い出さねぇよなぁ? このバナンザギルド、役職に就いた奴ァ死ぬまで足抜けを許さねぇからな。地獄の果てまで追いかけてやるぞ」
バルバロスは応接室に飾ってある銛を手に取り、銛先をヴェロニカに向ける。
「……バルさんの言葉で急に辞めたくなってきたっス」
「さてさて、ご挨拶も済ませたし、ウチはこの街を観光……じゃなくて視察してきますねー」
アウロラは我関せずといった様子で応接室から出ていこうとする。
「おう! 見ての通り漁師ばっかりの街だからあまり観光には向いてないけどな! 酒場で変な奴に絡まれないよう気を付けろよ! たしか……一週間の滞在予定だったか? 帰りにまたギルドに寄ってってくれや」
「はいー」
「お、そうだ。名案を思いついたぜ。嬢ちゃん、案内役がいた方がいいだろ? ヴェロニカ、アウロラ嬢ちゃんにこの街を案内してやってくれや」
「ほ、本当っスか!」
満面の笑みでバルバロスに詰め寄るヴェロニカ。
「あ、あぁ……。近ェよ。……なんでそんなに目を輝かせてんだよ」
「案内するということはお姉様とずっと一緒にいても良いって事っスよね!? この街の隅から隅まで案内した結果、いかがわしいところに連れ込んでも合法──」
「常識の範囲で頼むぞ。後で報告を聞くからな。もし変なところに連れて行ったら、魚と一緒に三枚におろしてやる」
「……いやそれ普通に怖いっス」
こうして、ヴェロニカはアウロラの滞在中、バナンザの案内を引き受けたのであった。
無論、案内の道中も、ヴェロニカはひっきりなしにアウロラに話し掛けていた。
「お姉様は好きな食べ物とかあるっスか? 好きな言葉は? 趣味とか特技とか……」
「一度にたくさん聞かれても答えられないよー」
「じゃあ順番に質問いくっス。あ、その前に、ここが漁港になるっスよ。ここには水揚げされた魚の加工場なんかも併設されてるっス」
そんな調子で、ヴェロニカはバナンザの街を案内しながら、ありとあらゆる雑談を交わす。
それはアウロラがバナンザに滞在している一週間の間、毎朝宿屋の前でアウロラを待ち、夜の食事を終えて宿屋の前で別れるまでずっと繰り返された。
そして、アウロラがバナンザを後にする日。
アウロラは冒険者ギルドに立ち寄った──と言うよりも立ち寄らざるを得なかった。
最終日の朝、宿屋の前で出会ってから、ヴェロニカは彼女の左肩に泣きながらしがみついて離れなかったのである。
「おいヴェロニカ! そろそろ離れろ! 嬢ちゃんにも迷惑だろうがッ!」
そう言って、バルバロスはヴェロニカの頭に拳骨を落とす。
「済まねぇな……。こいつ、一人っ子で親も早々に流行病で亡くしてな。それに……嬢ちゃんも見て分かったと思うが、この街にゃ若者がほとんど居ねェ。年の近い人間なんてほとんど会わねぇから、距離の取り方も分からず一気に懐に飛び込んだ挙げ句、情が移って離れられなくなった……そんなところだと思うぜ」
「ウチは退屈しなくて助かりましたよー。ヴェロニカ、また来るからね? 国は違うけど、世界を股にかける冒険者ギルドに関わっていれば、またすぐに会えるから……ねー?」
「うぐっ、うぐ……うえぇぇぇ」
アウロラは泣き止まないヴェロニカの頭を撫で、子供をあやすように優しく話し掛ける。
「じゃあサブマスターの仕事に慣れたら、サランギルドに遊びにおいで? うちのギルドには、バリバリ仕事ができるサブマスターがいるからさー。仕事教えてもらえるよ」
「うぅ……分かったっス。約束っスよ?」
「うん、約束しよー」
「バルちゃん、それじゃあお世話になりましたー」
「お姉様、自分が街の出口まで送っていくっス」
「あぁ、またガキみてぇに泣いて嬢ちゃんにしがみつくんじゃねぇぞ?」
そう言って、応接室から出ていく二人を見送るバルバロスであった。
そうして二人が街の出口に差し掛かった頃。
「そろそろ……本当にお別れっスね」
再び涙を流すヴェロニカ。
「今度はサランにおいでって言ったじゃないのー。また、会えるよ。ばいばーい」
そう言って、アウロラは門番に会釈しながらバナンザの街の門を抜けようとしたその時。
「危ないぃぃぃぃ!……っス」
アウロラの背中めがけて小さな棘のような矢が飛来する。
アウロラと門番の騎士はヴェロニカの声で異常に気が付き振り返る。
一同は、必死に右手を伸ばしてアウロラの代わりに手の甲で矢を受け止め、その場に倒れ込むヴェロニカの姿を目撃する事になった。
「……っ! ヴェロニカ!! 今回復するからね! あなた達は狙撃手を探して! あっちの方!」
ヴェロニカに駆け寄りながら門番に指示を出すアウロラ。
彼女がヴェロニカを抱き寄せた時には、既にヴェロニカの全身は紫色に変色していた。
アウロラは両手に治癒魔法の魔力を集め、ヴェロニカの右手を覆って一気に魔力を流し込む。
しかし、変色した身体が癒える様子はなく、全身が脈打つように痙攣を起こし、彼女はその痙攣に合わせて痛々しい悲鳴を上げる。
「おごっ! ウグあぁァァ!! ハァ……ァ……お……ねえさ……マッ! あああああああぁァァ!」
「ヴェロニカ! ヴェロニカ! これ……何かの状態異常なの!? 少し我慢して、ヴェロニカ!」
アウロラはヴェロニカの身体を背負い、冒険者ギルドへと駆け出した。




