33話:塔を登ることすらできない方々
「楽しい旅行でしたね」
「そうだな。これでまた一年頑張れるというものだ」
くぅー、と、ヒビキ先輩は気持ちがよさそうに伸びをする。
その表情はさっぱりとしていて、まるでなんの憂いもないようで。
また一年会えないのに、ヒビキ先輩はそれを少しも寂しがっていないみたいだった。
「また、一年ですね」
だけどそれは私も同じことで。
どうしてかは分からないけど、ヒビキ先輩との別れは寂しくなかった。
次来る電車に乗ってしまえばそれでお別れだというのに、少しもそれを惜しむ気にはなれない。
惜しむ代わりに、私は言う。
「次はどこに行きましょうね」
それに対してヒビキ先輩は、当然のように答える。
「いっそ海外にでも行きたいところだな」
そんな言葉が私には無性に嬉しくて、少しだけ笑みがこぼれる。
来年のことを話すと鬼に笑われるらしいけど、鬼だって笑ってしまうくらいに面白い話なんだから、別れの寂しさなんてそりゃあどこかへ消えてしまうに決まっていた。
「そういえば大学時代にも行きたいとか言ってましたね。どこでしたっけ」
「スペインだな。といっても今年行ってしまったが」
「そうなんですか」
「ああ。件の温泉好きとな」
「……」
「ほんとにやつとはなんでもないぞ?だからわざわざ言った……っておい待てそのキャリーバッグを下ろせ!」
……まあ、さておき。
そんなやりとりを経て、私はヒビキ先輩と別れた。一年の別れ、寂しくないというのは少し嘘、だけどそれよりもまた来年には会えるというのが待ち遠しくて、それまでの一年をどんな風に過ごそうかなんて、そんなことを考えてみたりしながら帰路につく。
そして自宅。
そこそこ疲れたから、お昼くらいまで寝てようかななんて思いつつドアを開く。
「ただい……ま?」
「にゃぅ……むにゃ……」
「……もう」
ドアを開いた途端に目に飛び込んできたその光景に、私はじんわりと心が暖まる思いだった。
だから私はそっと、できるだけを物音を立てないようにと、廊下で眠るスズの元へ歩み寄る。
「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」
「んぅ……あやぁ……」
そっと頭を撫でれば、スズはしがみつくようにして身を寄せてくる。私のことが分かっているのか、それとも夢の中で私に甘えているのか。どっちにしても私を求めてくれていることに変わりはなくて、むず痒いような感じを覚える。
わざわざ毛布を被って枕まで用意した上で、きっと私を迎えるために、こんな硬いところで寝ているんだろう。いっそマットレスか敷布団でも引っ張ってくればよかったのに、まったくスズはスズだなあ。
「スズ、ベッド行こっか」
「あぅ……んー」
もずもず。
スズは身動ぎをして、それだけ。
……ふぅまったく、やれやれほんとにしかたない。
いつものお礼じゃないけど、たまには少し、無理をしよう。
■
「なんかいつにも増して気合入ってるっすね?」
「うーん、まあ、色々あって」
どこへ行くというのもなにひとつ決まってないのに既に私をお姫様抱っこしているスズをみんなが不思議がっているけど、これは多分スズなりの喜び表現だから別に気にしないでいい。
そんなことより。
「さて、じゃあどうしよっか。πちゃんのことってもう言ってあったよね?」
「はい。ステータスをもう少し上げてからということに決まりました」
「そうだね」
やるなら勝ちたいというのは、主従二人の共通意見だった。πちゃんも、さっさと来い今すぐ来いとか言いつつ新しい素材を要求していたから、まあ、どこぞのエリアを探索してみてからの方が多分都合がいいだろう。そう連絡したら、なんか普通に受け入れられたし。
となると結局、次はどこを目指すのかという話になるんだけど、これがまた見事に別れた。
(北)今度は亀に鎧を壊させない:スズ
(西)目指せダンジョンマスター:きらりん、ソフィ
(東)古代文明の超技術を求めて:アンズ、ナツキさん
こんな感じ。
私はまあ、一票の格差問題を是正するためにどこでもいいということにしてある。実際どこでもいいし。
だからみんなで色々話し合ったんだけど、しばらくして出た結論はこれだった。
「なら、ユアに決めてもらおー!」
「そうっすね」
「賛成」
「いぎなしですわ♪」
「それが公平ですね」
「え」
公平とはどういうことなんだろう。それ結局私の独断なんだけど。いや、まあ、みんなが話し合った結果そうなったなら、いいのかもしれないけど。
そんなこんなで。
「塔だ」
「たかー!」
「塔っすね」
「塔」
「とうですわ」
「塔ですね」
聳え立つそれを見上げれば、夜ということもあるんだろうけど、その頂点は全く見えない。なんなら永遠に続くと言われても信じられそうな程の高さで、なんというか、今からこの塔を登ろうとしているんだと思うと、それだけで若干二の足を踏んでしまいそうなくらいの迫力はある。
西。
塔や遺跡や迷宮だったりするという訳の分からないエリアに、私たちはやってきていた。冒険者組合で行き先を告げるとこの場所の依頼を見繕ってもらえたので、ちゃんと依頼は六つ受注済みだ。
さて今はどうやら塔らしいそれは恐るべきことに最下段には壁がなく、その果てしない胴体は柱によって支えられている。外縁に立ち並ぶ数え切れない程の柱の中心には一際太い柱が地面と天井を貫いていて、それがこの塔の基礎になっているみたいだった。
もっとも、基礎と呼ぶには危ういことに、入口と思しき穴が等間隔に並んでいたりするんだけど。見た限りだと、全部で六つくらいだろうか、多分それくらい。わざわざそんな大事なところに穴を開けなくてもいいのに。
ともあれ。
テンションの高いスズを筆頭に色々一階を探索してみたけど、どうやらここは単なるエントランスでしかないらしくて、特に面白いものもなかった。なぜかふんどし一枚で雄叫びを上げる面白いプレイヤーがいたりしたけど、関わり合いになりたい感じじゃなかったからスルー。他のプレイヤーも、あからさまに避けてたし。
となると残るは入口だけ。
左右に松明が揺れる、大きな口。
一体どんな巨人が入ることを想定しているのか、それは私たちにはあまりにも大きくて、その向こうは全く見えない。スターがあるのに、なんだろう、光が届いていないというか、光を返すものがないみたいな、そんな暗闇がそこにはあった。
ちょっと怖い。
けど、まあ、そんな私にみんなが気を回してくれたから、少しは楽になって。
そして私たちはその暗闇の中に―――
ちり、と。
なにかを感じた。
なにを感じたのかは全く分からなくて、だけど私はなにかに導かれるみたいに観察の目を発動して、振り向く。
床。
今まさに歩き出したその場所、そこは単なる石のブロックみたいで、だけど、だけどどこか作為的な図形があって。それが文字だと、言葉だと理解するのと。
それが表示されるのは、同時だった。
―――『『奇禍の間』直通』
「ま」
言葉は届かない。
とっくにスズは闇に身体を飲まれていて。
私に向けて、どうしたのかと不思議そうな表情をするみんなが、暗闇に飲まれて。
ふわりと、奇妙な浮遊感。
「おおお!?」
スズもそれを感じたらしい、びっくりして転びそうになりながらもなんとか堪えて、立ち止まった頃には既にその感覚は霧散していた。
代わりに感じる、肌を突き刺す威圧感。
私たちのやってきたその場所、公立学校の体育館くらいの広さを持つ広場。松明が並んでいるけど、それでも頼りなく薄暗いその向こうに、まるで私たちを待ち受けるみたいに、ナニカがいた。
ナニカ。
それは、なんだろう、なんというか、えっと、少なくとも一つ間違いなく言えることは、
【不明】
「スズ!撤退!なにも分からない!」
「おおおおー!?」
半ば悲鳴じみた絶叫と共にスズは飛び退るようにして後退……した途端に、衝撃。
「わっ」
「おぅ!?」
「うおっす!?」
「む」
「きゃっ」
「おや」
どうやらちょうど後ろからみんなが来ていたらしい、視界が開けた途端に飛んできたスズはさすがに避けられなかったようで、みんなの悲鳴が上がる。とはいえそこは流石の高STR、スズはその跳躍で後ろからついてきたみんなを諸共にふきとばして―――
また、衝撃。
「ぐぇ!?」
どうやら一番後ろはきらりんだったらしい、その潰れてしまったような声に、そして私は理解する。
二度目の衝撃はつまりスズの身体諸共に壁に叩きつけられた衝撃で、だとすればそれは、私たちが未だにこの広場から逃れられていないということで。
「敵!なにも分からない!」
「ユアごめん!」
私がこの絶望的な状況をみんなに伝えるのと、スズが私を床に下ろすのは同時。
「え」
全部聞こえなくなる。
みんなの反応も分からない。
ただスズの背中が遠のいて。
この前と同じような光景。
あのときは大丈夫だったという楽観を、スズを喪う恐怖がねじ伏せる。
スズは。
ごたごたやっている私たちに向かって襲いくるそのナニカに、たった一人で立ち向かうように。
真白の鎧を身に纏って。
「『こいやおぐぅ―――!?」
接触。
奮起の声を上げる余裕すらない。
苦悶の声と共にスズは地を滑って、だけど確かに、立ち塞がる。
スズの背中がそこにある。
白い輝きがそこにある。
その背は揺るがず真っ直ぐと、気炎を立ち上げそこにある。
そこでようやく私は、呼吸することを思い出した。
「はっ、はぁっ、はっ」
乱れた呼吸が苦しい、押し寄せた安堵に吐き気すら覚える。身体の震えが止まらない、目眩みたいに眩む視界が鬱陶しい。
だけどまだ終わってない。スズはまだ生きている、だけどそれがいつ終わるのかは分からない。だからどうにかしなきゃいけない。この場をどうにかしなきゃいけない。
分かっているのに動けない。
なにをすればいいのかがまったく分からない。
どうすればスズを助けられる?
いやスズだけじゃない。
このままじゃみんな、みんなが。
みんなが?
そうみんなが。
スズに続いて駆け出したきらりんもアンズも、傍に寄り添うソフィもナツキさんも、みんな。
みんなが、死ぬ。
「『領域指定』―『円環』
『領域構築』―『安らぎの地』
『領域守護』―『徘徊する霊戦士』!」
円環、光、そして戦士。
吐き気がするくらいに悲惨な未来から逃れるように。
続けざまの詠唱がもどかしい。
光の軌跡が憎らしい。
永遠にすら思える長い時の果てに、光纏う戦士が形を成して。
「守って!!」
「―――!」
命ずれば、戦士は応えて、迅速にスズの元へと。
そして割り込むように盾を滑り込ませて、スズの負担を和らげるように、そのナニカへと障壁を押し付ける。
「こっちっす!」
「■■■」
更にそこへ後ろに回った二人からの攻撃が殺到、ナニカは怯むように揺らいで、そして多分振り向いたんだろう、圧力から解放されたスズが大急ぎで領域に駆け込んでくる。
「ありがとユアー!死ぬかと思ったー!」
本当は抱き締めたい、ぎゅってして全部を確かめたい。
だけど今はそれすら惜しい。ここにいるのはスズだけじゃない。
だから私にできることはただ一つ、喜びの言葉よりもまず紡ぐ。
「『領域守護』―『巡回する魔球』
『領域守護』―『巡回する魔球』
『領域守護』―『巡回する魔球』!」
続け様に形を成す三球。
「リーン、どう?」
「んー、だいじょぶ!」
リーンはビシッと親指を立てる。
……少し無理してるなこれは。
「二十秒後に集合!」
「了解っす!」
きらりんからは元気な返事、アンズからは確かな頷きを。
霊戦士の防御力を活かして、二人にはこのまましばらくナニカを撹乱していてもらう。その間にきらりんは休ませるとして。
「ゾフィは集合に合わせて魔法、リーンは二人が戻ったら引きつけて、なっちは回復薬を戦士に!」
「わかりましたわ!」
「わかった!」
「お任せを」
多分各々それくらいのことは分かってるんだろう、だけど言葉にすることで確実に共有して、そしてもちろん彼らも忘れちゃいけない。
「ボールさん達は構えといて!」
(くるくる)
(くわんくわん)
(ぴょんぴょん)
私に向けてそれぞれがそれぞれに意気込みを示すけど、なんだろう、まさか個性まであるんだろうか。いや、というかあるよねこれ。すごい。
さておき。
二十秒。
「盾さん援護して!二人とも!」
「っす!」
「■■■■っ」
「―――『やきこがすかえん』」
ダメ押しの攻撃、二条の鞭撃と光の連槍、そしてうねり猛る火炎。
それを嫌がるみたいにナニカは揺れて、その隙にきらりんは即座にアンズを持って、逃げるように駆け出す。
即座に追いすがるナニカの前に、立ち塞がる霊戦士。
衝撃。
ミシリ、と空間に亀裂が走る。
それが障壁の綻びだと理解したその瞬間に、私は叫ぶ。
「跳んできてっ!!」
「―――!」
「任せたっす!」
「おうよ!」
再度、衝撃。
滑り込むきらりん、その言葉に親指を立てるスズ、その横を、敢えて耐えないで吹き飛ばされた戦士が通過、直後どむんっ!と盛大な音を立てて、ボールたちに受け止められる。
見れば盾にヒビが入るほどの一撃、更にはボールたちの障壁にぶつかって、だけど戦士は、生きている。もしかするとそこら辺はボールたちがどうにかしてくれたのかもしれない、なんにせよこれで全員の生存を確認できた。
「『こいよぉおらぁぁぁああああああ―――――――――!!!』」
続けてスズの咆哮、応えるように震えて、ナニカはぞわりと這い寄るように―――
「ぬぐぐぅ!!」
その突進をまたスズが受け止めて、その援護のためにボールたちが殺到する。
そしてようやく私は見た。
そのナニカを見た。
見て。
途端にそれは姿を変える。
形のない、ただ漠然とした恐怖感の集う闇のような形ないナニカから、姿を変える。
それはまるで人だった。
それはまるで獣だった。
それともやっぱり漠然としたナニカのままで。
不明瞭。
腕の本数足の本数頭の数すら明確じゃない。
瞬きの間に形を変えて、目を離さずとも見失う程に定まらなくて。
ただひとつ間違いないことは、それが恐るべき力を持っているということだけ。
πちゃん謹製の鎧を纏ったスズに大ダメージを与えて、πちゃんの斬撃すら跳ね除けた障壁を破る強者。私なんかが触れれば、きっと一溜りもなく消し飛んでしまうんだろう。一歩間違えれば、一歩間違えなかったとしても、敗色は濃厚。
それでも私はみんなに告げる。
無理を通して道理を引っこめるつもりで。
まるで身体が勝手に動いているみたいな、どうしてか心地よい感覚に浸りながら。
「『全員―――死なないで』」
―――そのとき世界は、私に染まる。
■
《登場人物》
『柊綾』
・唐突に覚醒した二十三歳。あまりに唐突すぎてもう読者さんとか全速力で置いてけぼりだけど筆者も微妙に着いていけてない。いや、少なくともホームゲットの前とは思ってたんだけどまさかこんな急にくるとは。どうなんだろうなあとか思ったけど考えてみれば二人の、特にすっちんのお気に入りもらえるくらいだしその上少なくともこのパーティでは他の誰より世界に対する認識が密接だから条件的には揃ってるんだけどでもこんな序盤……まあ場合によってはキャラメイク時点での可能性もありえる訳だからまあいいや!別にチートめいた性能はじゃないしね!なんの話かといえばまあ、筆者がこのAW世界について考えている中で一番身近なプレイヤー格差の話です。あるアビリティがあったときそれらしい行動をすれば習得可能になるのなら、それらしい行動なのに対応するアビリティがないときどうするでしょうという。すっちん辺りに質問すれば、答えなんて決まってるようなもの。なんであいつを法則にしたんだ!……ちなみに入口でなにかを感じさせてみたりと密かに役立っているクラブさんのお気に入りだけど未だにあやはその内容を知らないという。まあ読んだところで分かりゃしないけども。
『柳瀬鈴』
・なにげに白亀の初実戦投入な二十三歳。初戦からこいつって……もし白亀じゃなかったら、例えばその前の鎧だったら一撃で死んでた。なんなら白亀の特殊効果で硬くなるのが身体まで及ばなかったら死んでた。中身入りプリンカップ振ったらイメージ湧くと思います。まあ相手が攻撃特化してないからというのもあるけども。
『島田輝里』
・ダンジョンにはお宝が眠ってると信じて止まない二十一歳。君ゲームのやりすぎだぜ、まあこれもゲームだけど。鞭をゲットしたおかげでなにげにこういうとき距離を取って戦えるようになったしなにより威力が段違い。そりゃあ初期装備レベルのカスとπちゃん謹製の装備を一緒にしちゃあいけないよね。早く新武器を作らねば……!
『小野寺杏』
・雑魚相手に積極的に闇呪属性使っていこうと思ったらまた強敵と遭遇しちゃう十九歳。使っても能力低下通らないから効率とか考えるとどうしてもなあ……みたいな。亀といい今回のといいMIN高めなのよね。アンズ自体のINTも実はそこまで高くないし。でも闇呪属性とアンズってなんかシナジー感じるよね。闇で病み悪化して闇深まりそうな感じ。まあそこまで病んでるキャラでもないけどさ。
『沢口ソフィア』
・驚いたときは素直に「きゃっ」とか言っちゃう十一歳。でもスズに対するあやの反応を見て自分も今度死地に身を投じようとか思ってるからまあやっぱりソフィはソフィ。現状有するただ一つの攻撃が直線的だからこういう場面ではなかなか役に立てない。本人的には巻き込んでも全然いいしむしろなんなら巻き込みたいくらいの心持ちだけどあやに怒られるかもしれないからやらない。だからやるの思考になったら手遅れだから気をつけよう。
『如月那月』
・ダメージ量が一番低いからとりあえず補助に回る二十四歳。回復薬とか霊戦士に渡してた。霊戦士も回復薬飲むんだ……。根本的にご奉仕体質だから人のために気を回すのが好き。世話好きクールなお姉さんとか基本素晴らしい属性だと思うんだけどなあ……ナツキさんはなあ……。
『藤咲響』
・作品内時間にして年一登場なのに二話でさよならになってしまった二十六歳。でもこれゲームの話だから仕方ないのよ。ディレクターズカット版な『湯けむりの話』とか大学時代のあやとの出会いな『自殺の話』とかいずれ書きます。多分。




