20話:クモの子を散らすようにとはいかない
押し寄せる雲。
道の全てを埋め尽くすような灰色。
光遮る濃密なその中で、ただ一つの安息の地。
それが正しく私の展開した、少し狭めの領域内部。
円周からヒビのようにジグザグ伸びる紫の光は、外敵を排斥する力場を形成して、ほんの僅かに景色を歪める。侵入しようとした雲はそれに苛まれると怯むように揺らいで動きを止めて、直後通過した魔球に散らされて退散する。
領域とはまた異なった弾き飛ばす力場を纏った紫色の魔球は三つ、狭い領域の外縁をぐるんぐるん回るだけで、寄ってくる雲に対して十分に働いてくれる。
その名前からして場所を維持するのにこれ以上はないだろうと思って使ってみた排斥力場。この狭さでもぎりぎりMPが均衡を保つ程度という比較的高い消費も頷けるくらいの、いやそれどころか想像を超える性能についついガッツポーズをしてしまったくらいだけど、それでも油断ならない状況は続いている。亀のときは個の恐ろしさだったけど、今回は物量というものの恐ろしさを痛感させられている感じだ。
「むうぅぅー!全然斬れないいいい!」
「ちょっとでも散らすっすよ!」
ぶんぶんと、大剣を振るう風圧で雲を散らしながら、それでも直ぐにその場を埋め立てるように押し寄せる雲に、何度目か分からないけど吠えるスズ。きらりんも槍をぐるんぐるん回したりして雲を散らすけど、やっぱり物理耐性は伊達じゃないのか、効果的な様子は欠片も見当たらない。
「■■、きらりん」
「りょーかいっす!おりゃあっす!」
身体ごと槍をぶん回しながら、スズはアンズの呼び掛けに応えて立ち位置を変える。
「■■■、■……■■、」
かといって休みを挟める訳でもなく、アンズは即座に魔法を唱え唱える。
MPと魔法の兼ね合いのために適度に間を挟みつつも、休むことなく魔法を放ち続けるアンズが、今この場で雲に対して効果的なダメージを与えられるたった一人の存在だった。
ひっきりなしに現れては消える魔法陣から放たれる光は広域に散らばって、明確に雲を弾き飛ばしていく。攻撃力よりも範囲と消費MPを優先した拡散ライトショット、それでもそこまで耐久力がある訳じゃないらしい雲は所々でポリゴンに散ったりているけど全然数が減ったように見えないのは、死ぬ度に上がる絶叫に釣られて数が増えるからだろうか、それとも実際は減ってるけど絶対数が多すぎて分からないのか。
どっちにしろ、少しでも攻撃の手が止めば押し切られそうな危うい状態だ。アンズなんて二重展開と高速詠唱のために貯めておくはずだったEXPをMINに注ぎ込んでまで戦線を維持しているけど、それでもちょっとずつ赤字になっているらしいし、このまま打開策がないと多分じきに押し切られるだろう。
こうなってくると、スターくらいしかまともな攻撃手段のない私としてはかなり焦る。
なんならもう忌避感とか一旦見ない振りして、貯めてあるEXPを使ってアンズと同じように魔法陣魔法でも取った方がいいかもしれないと思うんだけど、そうしようとして手を動かした途端にアンズに視線だけで抗議されるという、この、うん、この状況でもまだ私は無力であってほしいらしい。いやまあ、今に限ってはそこそこ貢献しているけど、傍から見れば突っ立ってるだけだし、なんとかならないものかな。
そう思って、アンズの希望に沿う程度の都合がいいアビリティでもないかとウィンドウを表示する。途端、やっぱり向けられるアンズの視線にそうじゃないよと視線で返しつつ、ウィンドウを眺めるけど……うん。
やっぱりそう都合よくはいかない。
そりゃあこんな状況を打開できるなにかがピンポイントである訳ないなんて、分かってはいるんだけど。
うーむ。
こういうときのために、ひとまず十分なMPをさておいてEXPを溜め込んできたんだけど、絶望的に役に立たない。いや、まあ理想が高すぎるっていうのもあるから、仕方ないけど。
分かってても、少しでも役に立ちたいというこの気持ち、さてどうしたものか……ああ、そういえば……うん、よし。
そうだ、領域魔法に振ろう。
あわよくば新しい魔法……というか領域守護の新しいやつを覚えたい。できれば遠距離に強いやつ。そうすればアンズの手助けになるし、領域魔法だから仕方ない。
うん、これだ。
間違いない。
という訳で早速どーん。
【新しい魔法を習得しました】
ほいきた、900くらい叩き込んだし、それくらいはやってくれないとね。
さあてどんな魔法かな……と、お?
おお?
これはまた、都合がいいというかなんというか。
「新しい守護者出すからびっくりしないでね。……『領域守護』―『徘徊する霊戦士』」
集う光。
私の言葉に従って、それはさながら領域の地面から這い出でるかのように形を成して―――
ぶぃんっ!と魔球にぶっ飛ばされて、領域の外に飛んでいった。
そして雲に呑まれるようにして見えなくなる。
……ええ。
「なんだー!?」
「なんっ、な、なんか飛んでったっすよ!?」
「■■、……■、」
そりゃあびっくりするよなあ、アンズは置いといて。
いやうん、まさかあんなことになるとは……。
え、あれ、もしかしてもしかするけど、私の新魔法これで終わり?役に立つどころかなんなら動揺を提供して足を引っ張るだけ?
なんて呆れていると、それは唐突に起こった。
衝撃波が、吹き荒ぶ。
晴れ散る雲。
いつぞやテレビで見た、晴れを作る機械の動作実験映像みたいなその光景に、私は目を見開く。
「わ」
「な、なんっすあれ!」
「うおー!かっこいー!」
「……」
その向こうから現れたのは、幽霊みたいに下半身を揺らめかせた戦士。
紫色の光を纏って、その手に一本の、なんだろう、薙刀みたいな武器を構えたそれは、形ある上半身に胸当てを着けて、頭には一本角の生えた兜をかぶっている。
「強そう」
私のそんな呟きに応えるようにその戦士が槍を振るうと、その途端吹き荒れた衝撃波がまた群がる雲を撒き散らした。
ぶわんぶわん、振るうことによる風圧とはまた別の衝撃波が出ているみたいで、どう考えても届いてないところまで影響を及ぼしている。
強い。
強いというか、便利。
なにげに領域の外で普通に戦ってる辺りがすごい便利。スペース取らなくていいし、積極的に動けるのがいい。
多分この衝撃波みたいなのは排斥力場の効果もあるんだろうけど、正に今欲しかった魔法っていう感じがする。
アンズはすっごい納得いかない顔してるけど、でもアンズにあんまり無理して欲しくないというのもあるから、これくらいは妥協してほしい。
あとでいっぱいなでなでしてあげよう。
なんて、そんなことを思う余裕ができるくらいに、その戦士が加わったことで戦いは遥かに楽になっていった。なにより、敵の進行を大きく遅らせるというか退けられるから、アンズが休めるようになったというのがありがたい。精神的にもMP的にも。
とはいえ。
とはいえ、やっぱりそれでも戦いに急展開が訪れたかといえばそんなことはない。
永遠に続くような気がする戦いを永遠に続けられる気がするようになっただけで、終わらせる目処は相変わらず立たない。どうやら紫戦士は攻撃力自体はそこまである訳じゃないらしくて、吹き飛ばした雲がをやっつけるのは今のところ見たこと……あ、ちょうど今一つやった。でもあそこら辺さっきからちょくちょくアンズの魔法が飛んできてたところだから、やっぱり攻撃性能はそこまででもないんだろう、ともかくこの状況を打開するほどの力は持ち合わせていないみたいだ。
せめてあれがもう一人でもいれば、少しは違うのかもしれないけど。
「スズもできないの?あれ」
「よし任せろー!うぉおおおお―――!」
ぶぅん!
……。
「無理だったー!」
「いや、うん、まあいいや」
私はなにかよさげなアビリティでもないかなと訊いてみたんだけど、なんだろう、スズの馬鹿が進行しているような気がしてならない。
「でもほんと、っと、おりゃっす!……ほんとどーするっす?延々続ける訳にもいかないっすよ?」
「■■、……続ければなんとかなる、可能性は、■■■、無きにしも非ず■、」
そう言いつつ、ほぼないとも思っていそうだけど。
とするとやっぱり逃げの一手を打つべきだろうか。それはそれでちょっと意味分かんないけど、さてどうしよう。
そんな膠着状態は、けど唐突に終わりを告げた。
「……あ!そーだ!分かった!」
「え?」
「任せたリコット!」
どうしたのかと訊ねる前に、既にスズは飛び出していて。
「『こいやぁぁあああああ――――――!!!!!』」
雄叫びが響く。
それに釣られるように、雲が徒党を為してスズの元に集って……って、いや、え?
なにが、つまり、えっと、スズが、え?
スズが、雲に呑まれて、呑まれて―――
「す、スズ!?」
「わ、ちょ、ユアさん待つっす!」
「スズが!スズが!」
咄嗟に飛び出そうとして、きらりんに止められる。
状況に理解が及ばなくてもがく私を、きらりんはそれでも押さえつけた。
STRに振っていない私に、当然それを振り払う力はなくて、でもその間にもスズが、スズが、スズが!
「スズ!スズ!いやぁ!」
―――■■■■■■■■
私の絶叫を喰らい尽くすみたいに、爆ぜるような光が舞い踊って鼓膜を突き刺す悲鳴が轟く。
数え切れないくらいの魔法陣が現れて消えて、そして凄絶な悲鳴と共に開けた視界の先には……あれ。
「なーいすリコット!っしゃーにげよー!」
「……」
「ゆ、ユアさん、とりあえず逃げるっす!」
……えっと、あれ、なんだろう、これは、つまり、んん?
混乱しながらもきらりんに抱き上げられて、一旦まとめて派手に散らかされたおかげで疎らになった雲の中を突っ切る。息苦しくて重い感覚と共にLPが減ったけど、あっという間だったからそこまで大きくもなくて、そして気がつけば辺りのヒビから雲が漏れ出す坑道を、私たちは抜け出していた。
そしてしばらく山を降りたところで、立ち止まる。
……どういうことなんだろう、これ。
紫戦士の活躍とか一切なく抜け出したんだけど、え、あれ、いやでも、うん?
「いやーなんとかなったね!」
朗らかに笑うスズが、なにを言っているのかいまいち分からない。
どうしてあんな、雲に自分から突っ込んでいって、あまつさえ引き寄せるみたいなことをしたのに、こんな普通に、平然と、なにが、つまりなにがどういう?
「……やっぱり、ユアさんは考えてなかった」
「え?」
アンズのどこか拗ねたような、それでいて嬉しそうな視線が向けられる。
どうしてそんな視線を向けられているのか意味が分からなくて視線を転ずると、きらりんも似たような表情をしていた。
最後にスズは。
「なんだよー、そんな変な顔しないでよもー!」
そんなことを言われてもそもそもどんな顔をしているのか分からないのに、さらにほっぺをつまんでむにむにとかされちゃったら、さすがに表情筋もほにほにになって表情なんてなくなってしまうに決まっていた。
ただ、その手の温もりを感じているとむしろ冷静になってきて、そしてこの状況に対してようやく理解が及ぶようになった。
と同時に、やっぱり意味が分からなくなる。
「ふゃん……」
「えー、もう終わり?」
言葉にしようとしたけど、ほっぺが弄ばれているおかげで上手くいかなかったから、しっしと手を払う。スズが残念そうな表情になるけど、そんなことは気にしない。
「なんで、あんな真似したの」
「んー、だって、それが一番ユアが安全かなって」
「なにそれ。そんなの頼んでないんだけど」
「……ユア?」
さんざ運ばれといて、その上戦いをほとんど丸投げしといて何様だという話だったけど、これはちょっと看過できなかった。
だって今のは、違う。
なのにスズは全然反省の色もなくおろおろするだけで、私は自分が苛立つのを感じていた。
「ねえ、おかしいよ。なに今の。なんであんな、自分から敵のど真ん中にいくみたいなことしたの?自殺行為でしょあんなの」
「え?あ、え?いや、えっと、ユア?」
「うるさい」
「はい……」
しゅんと縮こまるスズに、さらに言葉を続けようとして。
「ユアさん」
「あの、ちょっと待ってほしいっす」
かけられた言葉に試験を向ければ、アンズはもうなんか心底嬉しそうな表情で、私を見下ろすきらりんはかなり戸惑っているみたいだった。
……どうしたらこんな訳の分からない組み合わせになるんだろうと、疑問に苛立ちがちょっと塗り潰された。
「なに」
それでも、怒っているアピールのために少しつっけんどんに言うと、アンズときらりんは目を見合わせて、それからきらりんが言う。
「えっとっすね、まずそもそも、リーンさんが死ぬ訳ないんっす」
「え?」
「いやあの、だってっすよ?亀に蹴られて死なないくらいなんすから、雲に集られたくらいで死ぬ訳ないっすよね?」
「……確かに」
言われてみればまあ、うん。
それに雲の攻撃は、さっき感じた限りだとじわじわくる感じだろうし、自動回復を持つスズとの相性も悪くない。なにより私ですらあの程度のダメージだったんだから、スズなら、なんなら一人で普通に突っ切って帰れたくらい……うん?
そこで私はアンズに視線を向けて、頷かれて。
それからきらりんに視線を向けて、頷かれて。
最後にスズに視線を向けると、必死な表情でブンブン頷かれる。
……なるほど。
「つまり普通に考えて死ぬ訳がないスズを囮にして、一発大きいので蹴散らそうと」
「そ、ういうことです……はい……」
「えっとまあ、そういうことっす」
「ん。やっぱりユアさんは、誰かを囮にするとか、考えてなかった」
……うーむ。
なんだろう、この、凄い恥ずかしい感じ。
いや、心配したのは本気だし、心配させたことについてはちょっと腹立つ部分もあるんだけど、考えてみれば確かに亀との戦いであんなにズタボロになれたスズが低レベルな雲ごときにどうこうされるとは思えない訳で、だから私の心配なんて的外れの極みでしかなくて、なんならある程度雲の力量が分かった時点で即採用しててよかったくらいの至極真っ当かつ有効な手立てだったんだけど、そう正しくアンズが言った通り、誰かを囮にするとか、そんなの考えたことなかった。
考えたこともなかったし、考えたくもなかった。
……うん。
「まあ、私がすごい大袈裟だったのは、分かった。けど、あの、できれば今度からは、もっとちゃんと話してほしいというか、むしろ絶対やらないでほしいというか、うん……ごめん、すごいわがままだけど、もうやだ」
私の言葉に。
「ん。もうしない」
「もちろんっす!そんなに心配してくれると、なんか照れるっすけど」
「まったくもー!しかたないなーユアは!」
即座に返ってくる快諾は、なぜか笑顔と一緒で。
むう。
なんでそんなに、みんな嬉しそうなんだろう。
いやまあ、うん、分かるよ?分かるけど。
……みんなも全然人のこと、言えないと思うんだけどなあ。
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《登場人物》
『柊綾』
・ゲームの中のアバターだろうとも自己犠牲とか絶対してほしくないというか見ていてハラハラするからそういうのやめてほしい二十三歳。骨ばっきばきになったスズとかわりとぬるぬる傷が治るから平然としていたけど、今回みたいな危機感と独断専行の組み合わせでさらに姿が見えなくなるやつとか冷静になる前にびっくりしちゃうからだめ。今回溜め込んでいたEXPを叩き込んで新しい魔法を習得してみたが、これが割とぎりぎりだったりする。もっと早く気付いてたら多分無理だったかも。こいつ領域魔法単体で運用してるからそこんところ大分きついんだよなあと。
『柳瀬鈴』
・雲に集られても全然余裕な二十三歳。そもそもあいつらめっちゃ集まるし集まりすぎると振り払えないし重くなるという性質を持っているがダメージ量としてはそこまで高くない窒息狙いモンスターなので、他のモンスターとの組み合わせとかの方がメインなのよさ。ユアにめっちゃ心配されて嬉しいけど、当然ながらユアのためなら今後も囮とか厭わない。
『島田輝里』
・なんとなくあやが色んな人と恋人やってる意味がちょっと分かってきた二十一歳。どこがなにとは上手く言えないながら、あやに対してせんぱい可愛いっす……とか自然と思ってる辺りもう落とされてるんじゃなかろうかと思わないでもないけど、だからこそまだまだ頑張りたい。でもスズとか凄いいい人すぎてそこら辺密かに悩んだりしつつ、まあうん、頑張れ。
『小野寺杏』
・ゲームの中でも本気で心配してくれるあやに愛情が溢れてくるけどそれが今回はスズに向いている辺りがちょっと気に食わなくて結局あんな表情になった十九歳。最後の一撃のとき全力でぶっぱなしながらもスズへの被害を最小限にとどめるために色々計算してたりするが、もしやろうと思えば多分諸共半殺しぐらいにはできていた。というか先の展開が少しは予想できてたからちょっとやろうかと魔が差したりしたのは秘密。
今思ったんですけど、考えてみたら戦士召喚しても結局あやって棒立ちですよね。




